2011年9月29日木曜日

一神教純正ドグマからの逸脱

緑の資本論10 一神教純正ドグマからの逸脱


この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載しています。

緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
   1節【魔術的思考の時代】
   2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
   1節【象徴界と現実界の一致】
   2節【利子の厳禁】
   3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
   1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
   2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
   1節【「三位一体」のドグマ】
   2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
   3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて

(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)

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五 マルクスの「聖霊」
2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
ア 要約
[マルクスの貨幣増殖の考え 貨幣以前の商品による原初形態]
●上着(金モールがあり、素敵なデザインで消費の欲望を誘う製品)
リンネル(ごわごわした安価な素材)

●上着はリンネルの価値形態となり、上着がリンネルの等価物になる。(使用価値は上着とリンネルは感覚的に違うが、価値としてリンネルは上着に等しくなる。例20ヤールのリンネル=1着の上着)(上着は他の商品の等価物として役立っているから等価形態にある。)
リンネルは自分の現物形態と違う価値形態を受け取る。(相対的価値形態)

●リンネル(商品)は相対的価値形態においては、いつも自分の価値を表現される地位にある。
等価形態である(欲望をさそう製品である)上着は、他の商品の相対的価値形態を表現する地位にある。

●マルクスによれば、アウラをまとった等価価値としての上着を前に、田舎娘リンネルはその魅惑的な姿の中に、素朴なリンネル族の美しい価値魂を発見して、20ヤールという数量をもって、自分の価値を表現されることを欲したのである。上着の方から進んで関係して与えた等式がこれではない。
他の村娘(他の商品)も、上着がそれ自身でリンネルと交換する能力を備えていると思い込み、上着はつぎつぎと他の村娘と関係を結んでいくようになる。
これはいつでも商品を買うことができる特殊な商品、つまり貨幣の萌芽を示している。

●上着のような等価形態をとる商品(つまり後の貨幣)は相対的価値形態であるリンネルの価値を表現するシンフィアンの地位に立つ。
リンネルのような相対的価値形態をとる商品は、等価形態をとる商品(つまり後の貨幣)によって表現されるシニフィエの地位に立つ。

●シニフィアン商品(後に貨幣として結晶)はシニフィエ商品に対して流動的アウラを帯び、それにシニフィエ商品が愛を抱き、それによって表現されることを意思した。
こうしたマルクスの説明で使われるアウラ、流動性、愛、意思、欲望などの性質はスコラ学が「聖霊」の概念のうちに見出そうとしたものである。

●「20ヤールのリンネル=一着の上着」に象徴される商品同士の出会いとおたがいの値踏みの過程には、すでにしてシニフィアンとシニフィエの不均衡がおこり、流動性や浮遊性をはらんだシニフィアン商品はそれ自体のなかに、すでにして価値増殖ということがおこるために必要な能力がそなわっている。

●貨幣は特殊な商品として、すでにして自らのうちに増殖性への秘められた意志を潜在させており、その意志はシニフィアンとしての商品に内在する流動性、浮遊性によって、すでに準備されてあった。

[聖霊]
●「聖霊」が激しい発動をおこなうとき、シニフィアンはシニフィエとの結びつきを解かれて自由に浮遊しはじめ、この浮遊シニフィアンが想像界と交わって増殖をおこなうのであった。このような過程の萌芽が、貨幣-商品-貨幣-…-流動体-結晶体-流動体-…の変態のうちに、すでに完全に準備されてある。こうして、資本主義における価値形態論の全領域が、「聖霊」の息吹に貫かれていることを、私たちは確認することができるのである。

●資本主義の普遍性と今日言われていることは、キリスト教のおこなった(イスラーム的なタウヒードの観点からすると)一神教の純正のドグマからの逸脱から発生した経済的現実なのである。その証拠は、「聖霊」の働きにかかわる記号論的思考が、新石器時代以来の「人類的」伝統に根ざしていることのうちにある。「聖霊」はまことに古い来歴をもっているのだ。

イ 感想
●貨幣として結晶していくような等価価値商品と、それによって表現されることを意思した相対価値商品の関係から、貨幣が生まれる過程と、貨幣が増殖する過程の双方がよくわかりました。

●貨幣が生まれ、増殖する過程には、マルクスの説明から、聖霊の概念とパラレルな人の思考(アウラ、流動性、愛、意思、欲望)が潜んでいると中沢新一は指摘しています。

●この節の結論部分を次の要約のように理解しました。
マルクスによって貨幣の増殖が聖霊と同じ概念で説明されていて、その貨幣の増殖を核心とする資本主義が現在世界を覆っている。
聖霊の概念を取り入れるということは、一神教を逸脱したものであるが、一神教の内部構造に生命的なプロセスをセットする素晴らしい効果を持つ。
イスラームにとってそれは一神教発生の人類的意義を危うくする。
聖霊は新石器時代以来の人類的伝統に根ざしている。

(つづく)

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