中沢新一著「圧倒的な非対称」2 狂牛病とテロの病根は同じ
この記事では、中沢新一著「緑の資本論」収録論文「圧倒的な非対称」の2節を扱っています。
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2節【狂牛病とテロの病根は同じ】
ア 要約
●対称性の保たれている社会
・人間の方が技術において動物に優れていたことは間違いない。
・現実を支配する非対称のつくりだす罪を、思考によって解決しようという努力が、たえまなく試みられてきた。
・例 アイヌをはじめとする多くの狩猟民の間に見いだされる思想。「かつて動物は人間とおなじことばをしゃべり、結婚もおこない、たがいを兄弟とも親子とも認めあう仲間同士だったのである。時々動物が毛皮や肉をお土産に山を下りてきて、狩人が仕留める。人間はこれら動物の霊に、精一杯のもてなしをする。動物の霊は満足して霊の世界に戻っていく。」
●現代の圧倒的な非対称社会
・動物の家畜化が始まって、人間と動物の間に圧倒的な非対称ができた。
・人間は牛たちに同類の脳や内臓を飼料として与え、草食動物の牛にカンニバルの風習を強いた結果、狂牛病が発生し、食品産業の土台を揺るがす事態が発生した。
・大規模なテロの一撃が加えられたような印象さえ受ける。
・こう考えてみると、狂牛病とテロは今日の文明の同じ病根から生じた、類似した構造を持つ病理であることがわかる。
・牛たちの一括処分やテロリストの抹殺も事態対処法の一つであるが、有効期限はきわめて短い。同じ病根から別の形をとった狂牛病、報復のテロが以前にもまして悲惨な形で行われるにちがいない。
イ 感想
●中沢新一に狂牛病とテロが同じ病根から生じた、同じ病理だと指摘されると、これまで気がつかなかった真実が暴かれたような感じとなり、一種恐ろしさを感じます。
●中沢新一の思考の根幹には、非対称の現実とあるべき対称の落差を思想によって埋めようという戦略があるように直感します。非対称の現実を対称に変更するという実務的政策的発想から思考が出発しているわけではないように感じます。
(つづく)
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