2011年9月28日水曜日

「三位一体」のドグマ

緑の資本論9 「三位一体」のドグマ


この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載しています。

緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
   1節【魔術的思考の時代】
   2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
   1節【象徴界と現実界の一致】
   2節【利子の厳禁】
   3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
   1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
   2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
   1節【「三位一体」のドグマ】
   2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
   3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて

(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)

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五 マルクスの「聖霊」
1節【「三位一体」のドグマ】
ア 要約
●マルクスが古典派経済学の行った資本の理解に「三位一体」の論理構造が潜伏していることを明瞭に直観していた。(その理由1マルクスが助けを求めたヘーゲル哲学がドイツ神学の影響を受けていること。スコラ経済理論が重商主義、重農主義からアダムスミスまでに直接的影響を与えていること。)

●このような古典派経済学の根底的批判をめざしたはずの「資本論」が、「三位一体論」の思考様式を用いて、資本増殖の本質を分析した。

●マルクスは剰余価値の形成を「三位一体」の構造とのパラレルとして思考した。(「坊主的概念」を資本の科学的分析の核心部分で放棄しなかった。)

●マルクスは商品に内在する「聖霊」的な活動を、除去することのできないものとして、それを出発点に資本の分析を開始している。循環論のおちいり、資本の解明によっても、資本主義の「外部」に脱出することは不可能となる。

●イスラームなら、その実験から、商品に内在する「聖霊」の働きを除去することは可能。

●マルクスは「聖霊」の増殖的活動を資本解明の基礎に据えて、それでトラウマを被った。

●「三位一体」のドグマこそ、一神教の形成の「形而上学革命」に深く突き刺さった後戻り不能なトラウマだ。

イ 感想
●資本論の核心的思考にキリスト教の「三位一体」の思考が用いられていることを初めて知りました。

●マルクスもキリスト教世界の思考から完全に自由になってはいなかったということだと思います。

●これにより、中沢新一は資本増殖の思考では、資本主義と共産主義の類縁性を指摘し、その類縁性より資本主義とイスラーム経済の差異の方が、大きいと言おうとしているように想像します。

(つづく)

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