テキスト「ジオパークについて」

 シビックジャーナリスト倶楽部のディスカッションに掲載された岩井國臣先生の「ジオパークについて」(その1)~(その14)を集成して、以下に掲載します。(2011年5月15日その8、9、10を追補,2011年5月18日その11、12、13、14を追補)

 このブログは、このテキストを私(COOLER0331)が勉強していくプロセスを主に情報発信します。


ジオパークについて 目次
1 「和のスピリット」
2 プラトンの「コーラ」について
3 田舎の意識改革
4 空(くう)とジオパーク
5 「石神信仰」について
6 新しい文明の原理「共生」
7 森岡正博の「生命の哲学」
8 「平和の論理」をどう語るか
9 清水博の「場の思想」
11 日本ジオパーク・モデル化研究会について-その設立の趣旨
12 地球学とは
13 場所の論理
14 ジオパークとは


ジオパークについて

                        2008年7月  国土政策研究会 会長 岩井國臣

  国土政策研究会では、雑誌「国土と政策」(平成20年1月)に掲載したように、日本におけるジオパークというものを考えながら、現在、ユネスコ認定のジオパークについて旗を振っている。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/geo/geo.html

 しかし、国土政策研究会で考えている日本型のジオパークというものが具体的にどんなものかもう一つイメージが湧かないという声が多く、苦労しながらいろいろ と説明をしているのだが、日本ジオパークモデル化研究会および秩父ジオパーク研究会などの自主研究にもとづいて, 現段階で、 説明をしておきたい。少しでも多くの方に理解して欲しいと願うばかりである。

 国土政策研究会で考えている日本型のジオパークは,ユネスコ認定ジオパークも含むが,対象範囲が市町村の行政区域とほぼ同じような広範囲になる場合は,21世紀における理想の「まちづくり」そのものと考えてもらった方が良い。

 21世紀における理想の「まちづくり」という観点に立って,そのあるべき姿を考えるとき,風 土など「場所」のもつ哲学的な意味,世界的な視野にたっての平和の論理とそれに関連する日本文化,二地域居住を進める場合に不可欠の田舎の意識改革、都市と農山村との交流を進める場合の核となる祭りの意義、「新たな公」を基軸とする地域づくりの原理など・・・「まちづくりの哲学」や「まちづくりのコンセプト」の新たな発想が不可欠である。これなくして21世紀の都市再生整備はあり得ない。「まちづくりの哲学」や「まちづくりのコンセプト」の新たな発想のもと、戦略的な取り組みが不可欠である。

  以下は,ジオパークを21世紀における理想の「まちづくり」そのものと考えて、これからあるべき「まちづくりの哲学」や「まちづくりのコンセプト」について、基礎的な考察を進めた国土政策研究会の自主研究である。まだ未熟であるが,大方のご批判やご指導をお願いするとしてとりあえず発表しておく。

1、 「和のスピリット」
  これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コーラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。

  「地域づくり」は「人づくり」であり「場所づくり」である。私が「劇場国家にっぽん」を提唱する所以の一つは、「場所づくり」において演出というものが不可欠だからである。私は、ビジター産業を日本のリーディング産業にしたいと考えており、そういう立場からすると、「地域づくり」には「演劇性」が必要であり、どうしても演出家の助けが必要だ。場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だ。

  「縄文との響き合い」とか「宇宙との響き合い」というものも「劇的空間」としては極めて大事である。きっと、そのような「地域づくり」は地域の人びとの流動的知性を養うに違いない。そして、そのことはまた、日本人の流動的知性を養うよすがとなろう。

  「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは、「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間である。

注: 「和のスピリット」というのは、平和をもたらすスピリットという意味で私が好んで使っている言葉であり、次に示す一連のページを是非ご覧ください。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/index.html
スピリットというのは、日本語では精霊と言って良いかと思うが、山の神、田の神、水の神、道祖神、狐の神、蛇の神、座敷わらしなど、中沢新一の言うところの 「タマ」がいろいろなすがたかたちとなって現われる神のような存在である。次に示すページを是非読んでください。http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kami01.html

  そこで大事な要素となるものがいくつかあると思うが、何より心惹かれるのは、空(そら)であり、星である。夜空いっぱいに満点の星が光またたく。こんな神秘なことはなかろう。私は、若いときから登山をやっていて、幾度となく星空を眺め、目と身体でしっかりと覚えている。

  空(そら)のほかに大事な要素となるのは、地質だ。空(そら)や星も重要だが、大地との響き合いも重要である。温泉が吹き出ているとか、大きな岩が露出しているとか、何か地質学的な特徴があれば、それを手引きに大地との響き合いができる。

  次に大事なのは川だ。川は千差万別。いろいろな表情を四季折々に見せてくれる。とくに洪水のときは自然の猛威を見せつける。自然の恵みと自然の恐ろしさを 実感させてくれるのは川である。
  こういった自然の・・・聖なる地のひとつに、縄文の遺跡があるのではなかろうか。「縄文との響き合い」・・・、これは、世界の人びとに是非とも体験してもらいたいと思う。きっと、ビジター産業のキャッチフレーズになるにちがいない。

  しかし、私は、そういう聖なる地に生息する「和のスピリット」の力によって、ここがいちばん大事なところだが、人びとは、流動的知性というものを身につけることができるのではないかと考えている。

注: 流動的知性というのは、中沢新一が好んで使っている言葉だが、私はそれを勉強しながら・・・次のような一連のページを書いているので、是非、それを読んで 欲しい。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ryu/index.html

  わが国は多神教の国である。神社や寺院のほかに、キリスト教会なども結構数多く見受けられる。今後、わが国には、いろんな異境の神が入ってくるであろう。 すでにイスラム教徒も少なくないようであるが、そのうちに本格的なモスリムも珍しくなくなっていくであろう。キリスト教のほか、イスラム教も結構わが国に馴染んでくることだろう。しかし、キリスト教やイスラム教という一神教も、原理主義的なものは日本では育たないように思える。

  わが国は、徳一と最澄の宗教論争のほか、明恵と法然の宗教論争というものすごい論争があって、結局は、現在のように、いろんな宗教ないし宗派がこの狭い国土に共存するようになっている。わが国は「和の国」である。わが国は、多分、風土に起因する・・・「違いを認める文化」というものを持っているのである。 「和のスプリット」の活躍が旺盛なのである。しかし、みなさん、ここがいちばん大事なところだが、その「和のスプリット」というものは、わが国特有のものではなくて、モンゴロイドすなわち「環太平洋の輪」に見られる世界の・・・それも極めて広範囲に、しかも世界一古くから生息する・・・「平和の使者」なのである。

  今後、どのような宗教がわが国に入り込もうとも、その「和のスプリット」の働きのお陰で、わが国では、原理主義がはびこることにはならないと思う。異境の神を恐れてはならない。むしろ、今後、わが国は、積極的な移民政策をとって、異境の神を積極的に受け入れなければならないのである。

 以上のような観点から、ジオパークという場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だが、「和のスピリット」というものを強く意識することが望ましい。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間であるが、星空、地質、 水に関わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう貴重な空間になるかもしれない。

2、プラトンの「コーラ」について
 私は先に、『これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コーラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べた。そして、「スピリット」 について注書きで説明しておいた。「風土」や「空(くう)」或は「石神信仰」についても説明が必要かも思うが、ここでは、プラトンの「コーラ」というのは、ほとんどの人が聞いたこともない言葉だと思うので少し説明をしておきたい。説明とは言っても、私自身まだ勉強が足りないので、間違った説明になるかもしれない。ご承知おき願いたい。それでは、後日その間違いが判り次第適宜訂正することとして、勇気を出して説明することとしよう。

 藤沢令夫という大先生がおられた。先生は、1956(昭和31)年京都大大学院修了後、九州大助教授などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月まで京都国立博物館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラトン研究で知られる。プラトン哲学の大家である。その先生の著に、「自然、文明、学問・・・科学の知と哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、『プラトンの宇宙論が要請する根本 原理としては、原範型イデアと、生成の「場」(コーラ)ないし「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造者)・・・これは、万有の動と変化の根源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解せます・・・・と、この三つを考えることができます。』・・・・という説明がある。

 ところで、私は前に、中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)を勉強した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/seireo00.html

 その「精霊の王」という本の中にも(コーラ)の説明が出てくる。引用しよう。
《それにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というものに、そっくりである。(中略)コーラは「母」である、とプラトン[『ティマイオス』]はいきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれてくるのであると…語るのである。(中略)

  コーラは子宮[マトリックス]であると言われている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。その中には「胎児」が入っていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命を、外界を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。

  こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるの だが、それはおそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。コー ラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいずれこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズムそのものが哲学すべてにとっての「後戸の思考」だと言えるかも知 れない。》(第十章「多神教的テクノロジー」,268頁,272頁)・・・・・と。

 また、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年生まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号(国家博士号)を取得後、1984~88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フランス国立社会科学高等研究院教授。風土学の領野を開拓し、画期的な独自の理論を構築した人である。この人の最近の著書に「風土学序説」(2002年1月、筑摩書房)というのがあって、その中に、「神話にもとづいてプラトンは、場所(コーラ)を母に、存在を父に、生成を両親の子に譬えているのである。」という説明があるが、これは中沢新一の説明とほぼ同じであろう。

 さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これがまたむつかしく、プラトン哲学を勉強できていない私などが人にこの説明をすることはできない。私には、ホワイトヘッドのいう「永遠的対象」の方が説明しよい。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で名詞的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」というのだが、それがプラトンのいう原範型イデアのことである。それは、私の理解では、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある真実ないし真理である。

 その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という両親の子が生まれる。場所(コーラ)は、生成の母であるとか、母の子宮であるというのはとてもわかり良いではないか。

 ジオパークでは、その地域における、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を専門家が語る、その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、さまざまな物語や風俗が生まれる。私は、そういうことでジオパークの演劇性が生じてくると考えている。

 けだし、ジオパークでは、プラトンの「コーラ」が強く意識されなければならない。中沢新一が言うように、 コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。
私は先に、『これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コー ラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べた。

 「コーラ」は、イデアというか永遠的対象というか、そういうものの作用がないと働かないのであるが、「スピリット」は自然の中で自然に活動が始まる。

 そういう違いはあるけれど、流動的知性が働くという点では、まあ同じようなものと考えていいかもしれない。「空(くう)」についても、いずれ説明するが、これも流動的知性が働くという点では まあ同じようなものと考えていいかもしれない。

3、田舎の意識改革
 私は先に、場所(コーラ)は生成の母であるという比喩を紹介し、その上で、『ジオパークでは、その地域における、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を専門家が語る、その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、さまざまな物語や風俗が生まれる。私は、そういうことでジオパークの演劇性が生じてくると考えている。けだし、ジオパークでは、プラトンの「コーラ」が強く意識されなければならない。中沢新一が言うように、コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。』・・・と申し上げた。

 言うまでもなく、生成の母というのは地域の比喩であり、それもより正確に言えば地域の人々の比喩であって、さまざまな物語や風俗を生み出すのは地域の人々である。したがって、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を語る専門家の語りが地域の人々に理解されるように、仲介者の子供にもわかるようなわかりやすい語りが必要だ。問題は、専門家と仲介者のネットワークである。専門家と仲介者で研究会をつくると良い。時々は、オフラインミーティングというか交流会が必要だが、ウエブ上のプラットフォームがどうしても必要だろう。

 地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を語る専門家と地域の人々にわかりやすく語る仲介者の研究会ができると、そういう文化活動が地域の魅力となって、都会からの交流人口が増え、やがて田舎暮らしをする人も徐々に増えていくに違いない。

 松平誠は、その著書「祭りのゆくえ」(2008年3月、中央公論社)の中で、『20世紀後半、若者がいちばん元気だったのは、1960年、70年の安保闘争を頂点とする革新の時期である。あれから30余年、現在の若者、とくに男性は勢いがない。政治にも経済にも、社会にも閉塞感が充満し、若年層の未来への 期待がしぼんでいる。そして、そんな時代だから、若者の手が届く範囲の世界で、何とか生きがいを見つけようとする。その一つのあらわれが、「よさいこい系」のマツリとなって噴出したのが、今日の状況ではないだろうか。』・・・と述べているが、私もまったくそう思う。ただ、松平誠と私とで感覚が違うかもしれないと思われるのは、私は、今の「よさこい系」のマツリには批判的で、日本の伝統文化の香りのする田舎の祭りというものをもっと重視したい・・・という点である。

 しかし、そういう若者のエネルギーを田舎の祭りに向けることができるかと言われると、大変問題が多いと言わざるを得ない。田舎の祭りには地域のしがらみ強すぎるからである。松平誠がいうように、地域のしがらみを断ち切って、新たなマツリのなかに未来を見いだそうとする若い力というものは誠に大事である。田舎は、はたして地域のしがらみを断ち切れるか。そこが大問題なのだが、これからは、都市と農山村との交流を進めない限り限界集落の増大に歯止めがかからな い。したがって、大変むつかしいことだが、若者が自由に活躍できる開放的な田舎をどうしてもつくらなければならない。それには田舎の年寄りの意識改革が必要だ。

 ジオパークでは、その地域における、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を専門家が語る、その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、田舎の人々の意識が変わる。地球的、開放的になるのである。流動的知性という点では、「スピリット」や「空(くう)」の働きも重要であるが、地球的感覚や開放的感覚が身に付くかどうかということになると、「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用するかどうかということが決め手になるのかもしれない。

 私は、ジオパークにおいて、「スピリット」や「空(くう)」もさることながら、プラトンの「コーラ」という哲学概念が地域リーダーに充分理解されていなければならないのだと考えている。

4、空(くう)とジオパーク
  私は先に、『これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コーラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べ『「コーラ」は、イデアというか永遠的対象というか、そういうものの作用がないと働かないのであるが、「スピリット」は自然の中で自然に活動が始まる。そういう違いはあるけれど、流動的知性が働くという点では、まあ同じようなものと考えていいかもしれない。「空(くう)」についても、いずれ説明するが、これも流動的知性が働くという点では まあ同じようなものと考えていいかもしれない。』・・・と述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/cola01.html

  私は、私なりに「空(くう)」の勉強をしてきたが、いろんな本を見てみても、「空(くう)」は満ちているのだと書いている本はほとんどなく、私の知る限り、仏教の心髄を判りやすく熱心に説いてくれている人はダライ・ラマや中沢新一のほかあまりいないようだ。私は、日本の歴史と伝統文化の象徴が天皇だと考えており、その心髄は空(くう)にあると考えている。そういう観点から天皇について勉強し、「空(くう)」について勉強してきた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/index.html

  仏教にもさまざまな宗派があるが、その源流を辿るとお釈迦さんに行く。「空(くう)」は、仏教の心髄であると同時に日本文化の心髄でもあると思う。

  文化は、衣、食、住などの日常生活に関わる慣習や習俗、さらにそれを支える芸能、道徳、宗教、政治、経済まで含んで、ひとつの体系をなしていると思うが、 歴史的に見て、宗教は芸能、道徳、政治、経済の各要素に大きな影響を与えてきた。そういう意味で、仏教は日本文化に大変大きな影響を与えてきたのであって、仏教の心髄が日本文化の心髄をなしていると考えてもあながち間違いではあるまい。多少議論の余地があるかもしれないが、一応、ここでは、そうしておこう。ところで、以下に述べるように、仏教の心髄は「空(くう)」である。だとすれば、「空(くう)」は、仏教の心髄であると同時に日本文化の心髄でもある。

  したがって、私は、外国観光客に日本文化の心髄を判っていただくには、何んとしても「空(くう)」を語らねばならないと考える次第である。その場所はお寺が良い。参禅などの体験は難しくても、お寺に宿泊して和尚さんから「空(くう)」の話しを聞くツアーなどは実現可能だ。妙心寺の大心院には毎年ポートランドの高校生が合宿にやってきて、毎朝和尚と一緒に『般若心経』を読むのだそうだ。そして、精進料理を食べ、茶道のまねごとをする。生け花を鑑賞し、日本庭園を鑑賞する。そういうお寺での体験はきっと好評にちがいない。

  日本の仏教は殆どすべて大乗仏教に属するものであるが、大乗仏教の根本思想は「空(くう)」の理法をさとることであると言われている。「空(くう)」の理法は、詳しく説けば限りがなく、『大般若経』六百巻のようなものもあるが、簡単には、『般若心経』の中におさまると言われている。そのために、この『般若心経』は、日本の各宗派で熱心に読まれている。しかし、浄土宗と浄土真宗では読まない。浄土教では往生に必要なのは「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで十分であり、『般若心経』は不必要と考えているためだ。

 ここで注意してほしいのは、浄土宗や浄土真宗が『般若心経』を読まないからと言って「空(くう)」の理法を否定している訳ではないということだ。したがって、浄土宗や浄土真宗もそれぞれの立場で「空(くう)」を語ることはできる。

  京都大学名誉教授で梶山雄一という大先生がいて、その先生が「空と浄土」というテーマで語っておられるので、大変難しい内容であるが、ここではそれを紹介することとしたい。ホワイトヘッドいうところの「永遠的対象」と同じようなものであるのかどうか、まだまだ私の勉強すべき事柄が多そうだ。
http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-212.htm

  要点は次の通りである。
* 龍樹は、「この世は夢であり、幻である」と考えた。「全てのものは、実は本質が空なものであり、そして全てが仮名(けみょう)だ」と。「仮に名付けられた」、言い換えれば、「言葉だけのもの、概念だけのものを、我々がかってに実体があるんだ、と思っているに過ぎないんだ」と。
* それが、『般若経』であり、龍樹の思想であった。その考え方が曇鸞にも、或いは、その後の法然や親鸞というような人にも受け継がれている。
* すなわち、「浄土教というものの中にも、そういう空の思想が流れているんだ」ということを申し上げたい。

  先ほども申し上げたように、「空(くう)」は、仏教の心髄であると同時に日本文化の心髄でもある。したがって、外国観光客に日本文化の心髄を判っていただくには、何んとしても「空(くう)」を語らねばならない。私としては、それをジオパークの一つの目玉にしたい。しかし、「空(くう)」を語るのは大変難しい。専門家が少ないということだ。したがって、観光関係者で文化観光研究会を作り、素人なりに文化の勉強や宗教の勉強を重ねていくことが必要かもしれない。その上で、私としては、お寺さんに文化観光の一翼を担っていただくよう働きかけていきたい。

  寺は、貴重な地球的、宇宙的空間である。貴重なジオ的空間と言って良いだろう。おおいに「空(くう)」を語ってもらいたいものだ。

5、「石神信仰」について
  私は先に、『 これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コーラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/cola01.html

  このシリーズは、「スピリット」から始まって、「コーラ」について述べ、そして前回は「空(くう)」について述べた。ここでは、一応、「石神信仰」について述べておきたい。

  石神信仰については、大護八郎という人の「石神信仰」(昭和52年7月、木耳社)というすばらしい本があって、それを頼りに石神信仰の勉強ができる。今後じっくり石神信仰の勉強をしたいと思っているが、ここでは、さっと斜め読みをして、私の関心のある部分のみを紹介することとする。

  大護八郎の本・「石神信仰」の各論では、田の神、山の神・天狗、蚕玉神、えびす・大黒、水神、風神・雷神、地神塔、荒神、稲荷、道祖神、愛宕神・将軍地蔵、みちしるべ、石敢当、庚申塔、子安神、姥神、金精様・きんまら薬師、淡路様、山王様、役行者、蔵王権現、地蔵菩薩、観世音菩薩、馬頭観世音、如来、菩薩、天部、明王、その他が取り上げられている。

* 庚申塔や道祖神も、田の神や水神などの石神はもちろんのこと、地蔵や観音その他の石仏においてさえも、その多くは我が国在来の民間信仰という巨大な同じ地 下茎から生まれ出たものにすぎないので、全体像の一環として捉えないことには、それぞれの石神・石仏の信仰の実態はつかみえない。
* 民間信仰としての石仏は、その源流は日本在来の神につらなる。
* 原始時代の昔はいうまでもなく、人々は近年まで食えないことの怖ろしさに戦(おのの)いてきたということができる。(中略)人々が神の求めたのは、(中略)風雨順時、五穀豊穣であり、(中略)風雨順時にして稔りをもたらすこと、かりそめにも風雨不順にして作物の稔りを妨げられることのないことが最高の願いであった。
* 現世における幸福は第一に衣食の充足にあった。充足した衣食の恵みを受けて生涯を終わり、来世は祖霊として村を見下ろせる山上にとどまり、四季それぞれに子孫の営む田畑の作物の成長を見守り、盆・正月等の節々には子孫に迎えられて季節季節の成りものを共食するところに最上の幸福を感じたのである。
* 仏(ほとけ)といえば釈尊の教えと思われがちであるが、「ほとけ」は「ほとき」の転訛であり、「ほとき」とはわが国の古語で食物を入れるに用いた器のことで、「ほとき」を供えてまつられる神霊がすなわち「ほとけ」であり、神霊は死者霊として考えられたところから、死者はやがてすべて「ほとけ」と呼ばれ、仏教の仏の字と習合するようになり、いつか「ほとけ」(仏)とは、仏教でいう仏のことと変わったものであることは、民俗学の定説となっている。このように、神霊が本来食器の名をもって呼ばれていたごとく、生きている人間だけでなく、死者も同様に食を豊かに得ることが幸福の根源と考えられたのである。
* 一般民衆にとっては神も仏も本来同一のものとして受容せられていた。信仰の実態を見ても、彼らは地蔵や観音などの路傍の石仏に来世の救済を願うとともに、五穀豊穣や病の平癒を祈って少しも怪しむことはなかった。地蔵も庚申も観音も道祖神も、そこにおいて区別はなかったのである。生死の利益は一如であり、まさに「現世二世安楽祈所」なのである。この死生観は仏教の教えたものであろうか。否、わが民族の固有の世界観であり死生観であった。それがまたわれわれの「もの」についての考え方の基本であった。
* 人間の生きるための不安の中に信仰は生まれ宗教も育った。
* 生きることの不安は、衣食住の確保のほかに、外敵の恐怖があった。
* 人工増殖が性の営みの結果もたらされるものとの認識は、いつ頃に始まるかは別としてて、両性の性器がその橋渡しになるとの認識は早かったと思われる。人間や動物の性器が、生殖への奇しき霊力を持つものとの認識に次いで、作物の生育自体にも性器が強い霊力を発揮するものと考えるのはごく自然のことで、ここに性神が作物に移行する基盤がある。日月風雨といった自然神と同様性器の霊力も極めて視覚的・現実的な存在であり、いわば身近な自然神の一つといえるもので あった。それらはともに広遠な哲学的思弁の結果生まれた神ではなく、常に生活体験に密着した存在であり、現実に生きていくための最小限度の希求に基づく神であった。
* 現実生活の希求や悲しみはそのまま神となる。

  本の紹介は以上である。大護八郎がいうように、「石神」は、地蔵も庚申も観音も道祖神も、「現世二世安楽祈所」、すなわち現世と来世の安楽を祈る「場所」である。そのような生きていくための最小限の希求は当然のことであり、仏教でいう我執とか執着というのとはおおよし違うように思う。私が思うに、「執着を滅する」ことが求められるのは、他者に迷惑をかけるとか地域社会との信頼関係が損なわれる場合であり、石神への祈りは、現実に生きていくための最小限度の 希求に基づく祈りであり、他者に迷惑をかける訳でもないし地域社会との信頼関係を損なう訳でもない。

  したがって、地蔵や庚申や観音や道祖神などの「石神」は多ければ多いほど良い。絶対神は一であるが、石神は多である。しかし、上述のように、大護八郎 は、『庚申塔や道祖神も、田の神や水神などの石神はもちろんのこと、地蔵や観音その他の石仏においてさえも、その多くは我が国在来の民間信仰という巨大な同じ地下茎から生まれ出たものにすぎない』と言っている。ここでいう地下茎とは、仏教でいうところの「空(くう)」と同じことではないのか。例えば、華厳哲学では、「一は多であり、多は一である。」と言っているが、私は、大護八郎のいう地下茎はこれと同じことではないかと思うのである。

  もし私の理解でよければ、「石神信仰」の本質を哲学的に説明することができるだろう。もちろん、それは大変難しい。「空(くう)」の説明や、華厳哲学でいうところの「一は多であり、多は一である」という哲理を説明しなければならないからである。しかし、先の述べた文化観光研究会でその辺の語り口の研究が行われるようになれば、観光客に、そういった「石神信仰」の本質を説明することも容易になるというものだ。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kuugeo.html

  ジオパークでは、地蔵や庚申や観音や道祖神などの「石神」をできるだけ大事にして、是非、観光と結びつけてもらいたい。これもまた、日本文化の心髄を語ることになるからだ。 地蔵や庚申や観音や道祖神などの「石神」も我が国における多様性社会のひとつの現れである。それを外国観光客に是非見てもらいたい。

6、新しい文明の原理「共生」
  私は前に、ハイデッガーの技術論を勉強し、それに反論するような形で、次のように書いた。すなわち、『歯止め論については、規制緩和の時代にちょっと違和感があるかもしれないが、もっとも緊急を要する課題だ。フランシス・フクヤマがいうように、このままバイオテクノロジーを放置しておくと、化け物のようなクローン人間が出現するなど「人間の終わり」がきてしまうであろう。したがって、新技術開発についてはある部分政治の関与が必要である。このことにもはや議論の余地はないように思われるのだが、残念ながら、現在そういう政治状況にない。世界の世論がそうなっていないということである。わが国でもほとんどそういう議論がおこっていない。

  また、風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術の保存と活用という問題については、政治が関与すべき特別の問題なのかどうか・・・・、これからの議論であろう。』・・・・・と。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/haidegga.html

  現在多くの人が「共生」ということを言う。しかし、森岡正博は、次のように誠に厳しく現在の風潮に警鐘を鳴らしている。すなわち、『「近代の機械論と二元論を離れてあらゆる生命との共存をはかる哲学を!」といった底の浅い思想では、現代文明の本質がまったく見えてきません。「調和」と「共存」を高らかに謳いあげる言説は、現代の社会システムのなかに「商品」として巧 妙に取り込まれてしまいます。そして、不安を抱える人々のこころに、ひとときの安堵と偽りの慰めを与えるだけです。そうではなく、人間の生命がもっている、この果てしのない「生命の欲望」の本質を、どこまでも突き詰めてあぶりだしてゆくこと。そして、その「生命の欲望」と共犯関係にある科学技術と近代社会システムの姿を、クリアーに浮き彫りにしてゆくこと。そのうえで、そういう現代文明の枠組みにとどまっていることので きない人間のもう一つの本質というものを、どこまでも探し求めてゆくこと。そういう地道な作業を続けてゆくなかから、「生命と現代文明」の本当の姿が、徐々に明らかになってくるはずです。そして、そこから本物の思想が立ちあらわれてくるはずだと、今の私は感じているのです。』・・・・と。

  そして、彼は、「生命」の問題群に専門の枠を超えて挑戦しようとする、野心あふれる人々のネットワークというものの重要性を訴えている。私も同感である。 私は先に、下記のように述べたが、「共生」というのはジオパークの重要なキーワードであるので、私の提案する文化観光研究会も森岡正博の提案するネットワークの一翼に入れてもらって、多くの皆さんと「空(くう)」を語り、「執着」を語り、「共生」を語っていきたいものだ。私の提案する文化観光研究会は、ジオパークという「場」において「モノづくり」をやりながら哲学を語るというものであり、まあいうなれば「哲学と実践の研究会」である。面白い会になれば 良いと思う。

 『「空(くう)」は、仏教の心髄であると同時に日本文化の心髄でもある。したがって、外国観光客に日本文化の心髄を判っていただくには、何んとしても「空(くう)」を語らねばならない。私としては、それをジオパークの一つの目玉にしたい。しかし、「空(くう)」を語るのは大変難しい。専門家が少ないという ことだ。したがって、観光関係者で文化観光研究会を作り、素人なりに文化の勉強や宗教の勉強を重ねていくことが必要かもしれない。その上で、私としては、 お寺さんに文化観光の一翼を担っていただくよう働きかけていきたい。

  寺は、貴重な地球的、宇宙的空間である。貴重なジオ的空間と言って良いだろう。おおいに「空(くう)」を語ってもらいたいものだ。 』・・・・と。

  さて、ここでは「共生」について、まず小林達雄の「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房、ちくま新書)のなかから、私がもっとも注目している「ハラ」というものを紹介しておきたい。
* ハラは、単なるムラを取り囲む、漠然とした自然環境の広がり、あるいはムラに居住する縄文人が目にする単なる景観ではない。定住的なムラ生活の日常的な行 動圏、生活圏として自ずから限定された空間である。世界各地の自然民族の事例によれば、半径約5ないし10キロメートルの面積という見当である。ムラの定住生活以前の600万年以上の長きにわたる遊動的生活の広範な行動圏と比べれば、ごく狭く限定され、固定的である。いわばムラを出て、日帰りか、長引いて もせいぜい1、2泊でイエに帰ることができる程度ということになる。

  つまり、ハラはムラの周囲の、限定的な狭い空間で、しかも固定的であるが故に、ムラの住人との関係はより強く定着する。

  ハラこそは、活動エネルギー源としての食料庫であり、必要とする道具のさまざまな資源庫である。狭く限定されたハラの資源を効果的に使用するために、工夫 を凝らし、知恵を働かせながら関係を深めていく。こうして多種多様な食料資源の開発を推進する「縄文姿勢」を可能として、食料事情を安定に導いた。

* 縄文人による、ハラが内包する自然資源の開発は、生態系的な調和を崩すことなく、あくまで共存共栄の趣旨に沿うものであった。食料の味わい一つとっても、我々現代人と同様に好き嫌いがあったに相違ないのに、多種多様な利用を旨としたのは、グルメの舌が命ずる少数の種類に集中して枯渇を招く事態を回避する戦略に適うものであった。これは高邁な自然保護的思想に基づく思いやりというのではない。好みの食料を絶滅に追い込むことなく連鎖によって次々と他の種類に 波及して、やがて食料だけでなく、ひいては自然を危なくするという事態を避けることにつながる。多種多様な利用によって、巧まずしてこのことが哲学に昇華 して,カミの与えてくれた自然の恵みを有り難く頂戴させていただくという「縄文姿勢方針」の思想的根拠になったとみてよい。ハラそのものを食料庫とする縄文人の知恵であり,アメリカ大陸の先住民の語り口にも同様な事情を窺い知ることができる。
* 西アジア文明につらなるヨーロッパにおいて,ハラの主体性を認めず,農地拡大の対象と見なす思想とは対立的である。
* ハラを舞台として,縄文人と自然とが共存共生の絆を強めていくのは,(中略)1万5000年前に始まり,1万年以上を超える縄文の長い歴史を通じて培われ,現代日本人の自然観を形成する中核となった。
* 森には森の精霊がいる。縄文人がハラと共存共栄するというのは、ハラにいるさまざまな動物,虫,草木を利用するという現実的な関係にとどまるのではなく, それらと一体あるいはそこに宿るさまざまな精霊との交換を意味するのである。

  「縄文の思考」である「ハラ」についての小林達雄の説明は以上であるが,日本の農村集落の構造は,中心にムラがあって,その周囲にノラがある。さらにその向こうがハラであるが,そういうムラ構造の起源は縄文時代までさかのぼるのである。 まさに貴重な歴史的遺産であると言わざるを得ない。私は先に,『ジオパークという場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられ ることが肝要だが、「和のスピリット」というものを強く意識することが望ましい。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間であるが、星空、地質、水に関わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう貴重な空間になるかもしれない。』・・・と述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/spiritge.html

  そのこととの関連でいえば,縄文遺跡を中心として,日本の典型的なムラ構造をジオパークの歴史的遺産に認定すると良い。

  ジオパークの歴史的遺産は,それを保全するのが目的でなく,しかるべき保全をしながら必要なインフラ整備をして,大いに観光に役立てていこうとする
ものである。

7、森岡正博の「生命の哲学」
 森岡正博のいう「身体の欲望」は、マズローの欲望5段階説の低次の欲望「生理的欲望」と「安全の欲望」のことだが,これがいちばん強い。これがあるていど 満足されないうちは,他の高次の欲望は働かない。いつの世も,「身体の欲望」が満足できていない人が多く,世の中の動きは自ずと「身体の欲望」を如何に満 足させるかということが優先される。ところが、「身体の欲望」というやつは切りがないので,世の中は科学技術に支えられて森岡正博のいう「無痛文明」(苦痛はないけれど生きる喜びの感ぜられない社会)へと進んでいく。現在,市場経済の進展とともに「身体の欲望」すら満足できない人が急増している上に,「無 痛文明」への動きも猛烈な勢いで進んでいる。共生の哲学が待ち望まれる所以である。

 森岡正博によれば,人間の欲望には「身体の欲望」と「生命の欲望」とがある。そして、彼は「生命の欲望」を「開花の欲望」と「補食の欲望」と「宇宙回帰の欲望」に分けていろいろと考察を進めている(「無痛文明論」、森岡正博、2003年10月,トランスビュー)。私は,「共生の哲学」を確立するためには, いくつかの補強を行って,森岡正博の哲学を発展させると良いと思う。森岡正博の考えとは違い,私は,「祈りの力」というものを重視しているのだが、そのことはいずれ機会を見て述べることとしたい。とりあえずは、森岡正博の哲学を勉強するとしよう。

 彼によれば,「生命の欲望」とは,自らの中心軸に沿いながら,苦しみをくぐり抜け,獲得したものを手放し,他人の生命の欲望を奪わず,エロス的出会いを求め,生命の輝きを求めることによって,自分が予期せぬ自己へと変容していくよろこびがほしいという欲望である。

 獲得したものを手放すことによって、自分のなかに眠っていた芽を開花させたいという「開花の欲望」と奪う側あるいは奪われる側から、補食の連鎖へと参入したいという「補食の欲望」と自分が作り上げたものと限りある自分自身を納得できる形で宇宙へと返していきたいという「宇宙回帰の欲望」、この三つの欲望へ と自己展開するところの,欲望の運動全体が「生命の欲望」である。「身体の欲望」の働き方は,自分の枠組みを保ったまま,自己展開するというものであった。これに対して「生命の欲望」の働き方は,中心軸に沿って自分の枠組みを解体しながら,自己展開するというものである。

 「開花の欲望」は説明がいらないだろう。「宇宙回帰の欲望」も、宇宙に帰りたい,神のもとに帰りたいという欲望であるので、まあ何となく判るだろう。判りにくいのは「補食の欲望」である。で、私なりの説明をしておきたい。

 今村仁司は,著書「貨幣とは何だろうか」(ちくま新書 1994年9月)で「贈与材は死の観念を内在させるがゆえに、人間関係の媒介形式であり得た。」と 述べ,マルセス・モースの贈与論でモースが「誰かから何かをもらうことは、その誰かの精神的な本質つまり魂のなかからいくらかを受け取ることであるからだ。このようなものを保持し続けることは危険であり,死をもたらす」と言っている点を紹介している。モースは,マウリ族の「ハウ」という概念に対して誤解 をしたのだという人もいるが(下記の注書き1を参照),私は,今村仁司の理解と同様,モースの理解が贈与の本質をうまく説明しているように思われるので, 贈与材に内在する霊的な「ハウ」というものの力によって,贈与を受けた側に「やばい」という気分を生じさせるのだという解釈をしたい。「ハウ」については 前に贈与経済に関連して書いたことがある(下記の注書き2を参照)。その補強として今ここに今村仁司の理解を紹介した次第である。贈与材には死の観念が内 在しているのである。それ故に贈与を受けた側は贈与を与えた側にお返しをしないと気持ちが収まらないのである。大変判りやすいではないか。贈与によって相 手の心を支配するのである。相手の心を支配するにはこちらのいちばん大事なものを与えるのが良い。贈与というものは,相手のためにするのではない。慈悲の心で贈与をしたのでは,相手は内心馬鹿にするなと思うだろう。贈与というものは自分のためにするものである。相手の心を奪うためにするものである。いいか えれば、自分の威信のためにするものである。

 補食とはエネルギー補充のために食べることである。「補食の欲望」とは,森岡正博の言っていること(「無痛文明論」、森岡正博、2003年10月,トラン スビュー、p368~p369)を私流に言い直せば、「補食の欲望」とは、まったく無慈悲に奪い取る欲望である。「補食の欲望」とは、「私が自分の中心軸 を生き切ってゆくためには,どうしてもお前の大事な<それ>が必要だ」と言って,その大事なものを無理やり奪い取っていく、そういう欲望である。

 また、森岡正博は,こうも言っている。「開花の欲望」とは、手放しながら現在を味わい尽くすことであり、「補食の欲望」とは、互いに食べ合いながら将来の可能性を目指して前進することであり,「宇宙回帰の欲望」とは,自らを無にする方向へと自分を解体することである(「無痛文明論」、森岡正博、2003年 10月,トランスビュー、p386)。これを私流の言葉で言い直すと,「開花の欲望」は禅の言葉でいう「放下著(ほうげじゃく)」であり、「補食の欲望」はモースの「贈与」であり、「宇宙回帰の欲望」は明恵の座禅の心境「あるべきようわ」である。

 冒頭に申し上げたように,「身体の欲望」というやつは切りがないので, 世の中は科学技術に支えられて森岡正博のいう「無痛文明」(苦痛はないけれど生きる喜びの感ぜられない社会)へと進んでいく。現在,市場経済の進展とともに「身体の欲望」すら満足できない人が急増している上に,「無痛文明」への動きも猛烈な勢いで進んでいる。これに対抗するには,心ある人の自己改革が不可 欠であり,それをもととして他者に影響を与え,社会のシステムを変えていくしかない。自己改革のキーワードは,「放下著」,「贈与」,「あるべきようわ」である。

 前に,森岡正博の鳴らしている警鐘を紹介したが,それは極めて大事なことであるので,もう一度触れておく。

 現在多くの人が「共生」ということを言う。しかし、森岡正博は、次のように誠に厳しく現在の風潮に警鐘を鳴らしている。すなわち、『「近代の機械論と二元論を離れてあらゆる生命との共存をはかる哲学を!」といった底の浅い思想では、現代文明の本質がまったく見えてきません。「調和」と「共存」を高らかに謳いあげる言説は、現代の社会システムのなかに「商品」として巧 妙に取り込まれてしまいます。そして、不安を抱える人々のこころに、ひとときの安堵と偽りの慰めを与えるだけです。そうではなく、人間の生命がもっている、この果てしのない「生命の欲望」の本質を、どこまでも突き詰めてあぶりだしてゆくこと。そして、その「生命の欲望」と共犯関係にある科学技術と近代社会システムの姿を、クリアーに浮き彫りにしてゆくこと。そのうえで、そういう現代文明の枠組みにとどまっていることので きない人間のもう一つの本質というものを、どこまでも探し求めてゆくこと。そういう地道な作業を続けてゆくなかから、「生命と現代文明」の本当の姿が、徐々に明らかになってくるはずです。そして、そこから本物の思想が立ちあらわれてくるはずだと、今の私は感じているのです。』・・・・と。

 そして、彼は、「生命」の問題群に専門の枠を超えて挑戦しようとする、野心あふれる人々のネットワークというものの重要性を訴えている。

注 書き1:ニュージーランドのマオリのあいだに見られる贈物の霊「ハウ」の観念。マオリのある情報提供者は、要約すると、これを次のように説明したという。「ある人(A)が誰か(B)から品物をもらう。Aはそれをさらに別の人Cに渡す。やがてCからお返しの品物が届くと、AはそれをBに渡さねばならない。さもないとAは病気や死に見舞われる。というのも、AがCからもらったものは、AがBからもらいCに引き渡した品物のハウだからだ。」モースはこれを、贈物 には霊的な力「ハウ」が宿っており、それはもともとの持ち主のもとへ帰ろうとしている、そして返礼がなされるまでその品物を引き渡された人に付きまとうのだ、というふうに解釈している。この解釈自体はどうやらモースの誤解だったらしいのだが(サーリンズ 1985,小田亮1989)、贈物の形式での交換が発達しているところでは、しばしば贈られる物が単なる物ではなく、何か特別な力をおびた物みたいに考えられているということは言える。
http://members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/research/published/exchange.html
注 書き2:モノ的技術はけっして市場経済いってんばりでは発達しない。「信」を前提に成り立つ贈与経済によって発展する。マオリ族の「ハウ」ト「マウリ」は わが国のタマとモノによく似ている。やはりここでもまずは中沢新一の説明を聞こう。

 ハウは内包空間から物質的な実体性をもった世界にまでまたがるきわめて複雑で混成系的な概念で、「霊的なもの」と「物質的なもの」とを包摂した、豊かさと 幸福にかかわることばなのである。

 まさしくマオリの人びとにとって「恩寵の力」こそ、ハウにほかならない。人々はハウによって生き、ハウによって豊かであり、ハウによって幸福なのだ。そして、そのようにして「ある」がままのこの世界に恩寵の力の働きを感じ、それに報恩の気持ちをいだくことができる人々によって、マオリの「宗教的」な世界はできあがっている。そこでは「霊的なもの」と「物質的なもの」は区別されていない。霊と経済とはそこでは一体であり、存在論と幸福論も、そこでは一体をなしている。

 タマとモノの場合にもハウとマウリの場合にも、大いなる同一性の内部から増殖ということがおこっている。狩猟社会における「はじまり」の思想家たちは、この同一性をひとつの概念のうちに固定しようとはしなかった。成長や変態や質変化などすべての過程を含みこんだ全体としての、タマでありハウであったのだ が、その内部には「変化しないもの」「いつまでも同一性を保っているもの」についての、ゆるやかな観念があり、それはきわめて曖昧なかたちで「すべての土台にあるもの」とか「全体を包み込んでいるもの」などのように、表現されていた。それでも、そういう揺るがない、変化しない土台から、増殖という現実がおこっていることは、たしかなのである。だから、この社会の人々は、同一性の土台を破っておこなわれる増殖の事実を、「賜物」とも「贈与」とも表現して、等価的な交換とははっきり区別してたのである。

 不変の同一性という神の概念は、人と人、共同体と共同体との間に成立する「交換」の諸形態や、ものごとの意味を明確にする法による「正義」やさまざまな「ことわり」を、ささえる能力をもっている。しかし、この神の概念それだけからでは、幸福と豊かさの源である増殖という現実は、つくりだすことができない。資本の神、贈与の神が、同一性をささえる神と同時に、人間には必要なのである。タマやハウのようなゆるやかな「“ある”の哲学」では、ごく自然にそのことが実現されていた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/7zouyoke.htm

8、祈りの力
 私は先に,「森岡正博の考えとは違い,私は,「祈りの力」というものを重視しているのだが、そのことはいずれ機会を見て述べることとしたい。」・・・と述 べたが,これは、彼が著書「無痛文明論」の中で「死後の生の存在を断言する宗教は,それにすがろうとする人間にとってのむ通過装置となる。」と言い切っている(2003年10月,トランスビュー、p397)・・・・,その点を捉えての反論である。死後の生の存在を断言する宗教とは、浄土宗や浄土真宗のことだろうと思うが,森岡正博は「祈りの力」というものを軽視しすぎているのではないかと思う。

 最近,すばらしい本が出た。村上和雄という遺伝子科学の権威が書いた「人は何のために<祈る>のか」という本である(宗教哲学者・棚次正和との共著,詳伝社、平成20年5月)。その紹介をしたいと思うが,その前に順序として,浄土教に関する私のホームページを振り返っておきたい。

 極楽といえば浄土教であり、浄土教といえば源信の「往生要集」である。一般的には、極楽といえば、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗を頭に浮かべるが、その源流をたどれば源信の「往生要集」にいく。宗教に関心をもつ人であれば源信を知らない人はないであろう。紫式部も源信の影響を受け、世界の名著・源氏物語は 源信の思想を背景にして出来上がったと言って過言ではない。源信は誠に偉大な人である。しかし、実をいうと、浄土教えの源流をたどっていくとあの・・・・ 「円仁(慈覚大師)」にいくのである。比叡山の浄土教は、承和14年(847年)唐から帰国した円仁(えんにん)の・・・・常行三昧堂(じょうぎょうさんまいどう)に始まる。金色の阿弥陀仏像が安置され、四方の壁には極楽浄土の光景が描かれていた。
 修行者は、口に念仏を唱え、心に阿弥陀仏を念じ行道したのである。この念仏や読経(どきょう)は曲節をつけた音楽的なもので、伴奏として笛が用いられたという。
 声美しい僧たちがかもしだす美的恍惚的な雰囲気は、人々を極楽浄土への思慕をかりたてた。
また、熱心な信仰者のなかには、阿弥陀の名号を唱えて、正念の臨終を迎え、臨終時には紫雲(しうん)たなびき、音楽が聞こえ、極楽から阿弥陀打つが25菩薩をひきいて来迎(らいこう)するという、噂(うわさ)も伝えられるようになった。

 この比叡山は円仁によって始まった常行三昧堂(じょうぎょうさんまいどう)の行道が源信に引き継がれ極楽浄土の思想が「往生要集」として確立するのである。
註: 円仁については、http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/heian2.html

 源信の影響を強く受け、慶滋保胤(よししげやすたね)が「日本往生極楽記」をあらわし、45人の極楽往生者の伝記をしるしたのは984年というから、まあ紫式部の多感でうら若き少女の頃のことである。紫式部は、きっと宮廷の文学者・慶滋保胤(よししげやすたね)の影響を強く受けたに違いない。慶滋保胤(よししげやすたね)が紫式部や泉式部など王朝文学に大変大きな影響を与えたのは間違いない。
註: 源信と紫式部との関係については、「紫式部」というページを参考にして下さい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/murasiki.html

 源信は、そのころ比叡山は横川(よかわ)で天台宗座主・良源について学んでいた。その道場が恵心院(えしんいん)である。したがって、源信のことを、横川(よかわ)僧都(そうず)とも恵心(えしん)僧都(そうず)ともいうのである。恵心僧都・源信は、985年、「往生要集」を著わし、現世の悪や浄土の美や地獄のおそろしいありさまを具体的に描きだし、浄行三昧念仏を唱えることにより、人々に極楽浄土の往生をすすめ、浄土教発展の基礎を確立した。その源信ゆかりの寺が宇治の恵心院である。そしてその恵心院のあたり・・・宇治川の河畔に・・・・宇治十帖の舞台・・・・浮舟(うきふね)の住まいが設定された。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/esin-in.html

 さて、人間の原初的な感情なり観念を司る部分があって,それを、中沢新一は「エロティシズム態」と呼び(「イカの哲学」、2008年2月,集英社新書)森岡正博は「中心軸」と呼んでいる(「無痛文明論」、森岡正博、2003年10月,トランスビュー)。その部分に、中沢新一によれば「スピリット」が、森岡正博によればペネトレイターが作用し,原初的ないろいろな感情なり観念が生じてくるのだが、ときにより思わぬ力が発揮されることもあるのである。

 この点につき,村上和雄は,次のように言っている。すなわち、「遺伝子は<生命の設計図>、あるいは<生命の暗号>ともいわれています。また、遺伝子は身体を作ることだけに働くのではなく,私たちが身をもって生きる営みすべてを司っています。心臓を動かし,栄養分を吸収し,エネルギーを作り出すのも遺伝子。遺伝子の働きなしに,私たちは呼吸することすらできません。物を見る,音を聞く,匂いをかぐ、食べ物を味あうといったことから,喜怒哀楽,考えることまでもが遺伝子次第なのです。大まかにいえば,生きることのすべてが遺伝子の影響を受けています。」・・・・・と。

 そして,村上和雄は,祈りは,そういう遺伝子に働きかけ,祈りの内容に合ったいい結果を導くのだと言う。なんだか狐につままれたような気がするが,祈りにはいろいろなものがあるけれどそれぞれ独特のリズムをもっていると思われるので,脳の助けを借りながら,多分,そういった祈りのリズムに応じた反応を遺伝子が起こすのだろう。私はそのように解釈している。村上和雄は,「生命の遺伝子は<祈りの声>をきいている。」と言っているが,私は,「祈りの力」というものを信じる。

 村上和雄の「人は何のために<祈る>のか」という本(宗教哲学者・棚次正和との共著,詳伝社、平成20年5月)には,いろいろな事例が示されており,科学的な説明もあるていどなされているので,皆さん方もその本を是非読んでもらいたい。

9、「平和の論理」をどう語るか
 早いもので、平成の御代(みよ)になってはや20年近くが過ぎようとしている。新年号が公布されたのは1989年1月7日であったから、正確には、今年は19年目を迎える。当時の小渕官房長官がテレビで「内平かに外成る」「地平かに天成る」と「平成」の意味を説明しておられたのを鮮明に覚えている。しかし、今は、まことに内憂外患、とても内平かに外成っていると言い難いし、地平かに天成っているとは言い難い。私は、この21世紀、そう簡単に世界平和が やってくるとは思わないが、少なくとも日本は、国是として世界平和の努力をつづけなければならない。

 私は、日本こそ世界平和を実現する力を持っているのだと考えている。世界のアメリカ化はしばらく続くであろうが、アメリカは日本の助けを借りないと真に世界から尊敬される理想の国にはならない。そもそもアメリカは、イロコイ族から手を引かれるようにして、自由と民主の理想に燃え、そして世界で始めての建国憲法をつくった。今度は日本だ、否、イロコイ族も含めて、私たちモンゴロイドがアメリカと手をたずさえて世界平和の実現に骨を折っていかなければならない。これからのアメリカは、「ソフトパワー」を発揮していかなければならないのであって、ふたたびイロコイ族と手をたずさえて建国憲法をつくった・・あの原点に帰らなければならない。今アメリカに必要なのはイロコイ族の感性であって、そのイロコイ族と私たちモンゴロイドが連携していくのだ。それが、中沢新 一のいう・・「環太平洋の環」構想である。

 日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」にあり、そういう意味では、日本では歴史的に見て「平和の原理」が働いてきたといえる。それを「平和の論理」として世界の人びとに語って行かなければならない。私が「劇場国家にっぽん」と言ったり「文化観光」の重要性を訴えているひとつの理由はそのためだ。そして、私が、わが国の「ジオパーク」を推進しようとしているのは、その演劇性にあり、万年前からの「歴史と伝統・文化」をビジュアルに見せるためである。私が「劇場国家にっぽん」と言っている所以である。私が「劇場国家にっぽん」と言ったり「文化観光」の重要性を訴えているもうひとつの理由は、地域の活性化のためできるだけ多くの外国人観光客に来てもらうためである。できるだけ多くの外国人観光客に来てもらうためには、観光資源として、これからの新しい文明を創造するために役立つというか、これからの生き方に重大な示唆を与えうる・・・文化的価値の高いものが必要である。しかもそれが唯一日本にしかないとなれば、外国人向けの観光資源としては最高のものとなる。それが私の考える「ジオパーク」だが、そこには世界的な説明がビジュアルになされていなければならない。外国人にも判り易くなければならないし、若い人にも判り易くなければならない。つまり、「演劇性」がもっとも大事な点だ。

 「ジオパーク」については、地質学、地理学の知見を駆使しながら、そしてまた「芸術人類学」の助けを借りながら、風土哲学と土木技術の融合が図られなければならないと・・・私は考えている。そうでないと、真に有意義で、かつ、ドラマチックな「演劇性」というものを生み出すことは不可能であろう。

10、 清水博の「場の思想」
 「共生の論理」について、清水博の「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)というのがある。前にそれを紹介したことがあるが、その核心部分をここに紹介しておきたい。清水博は、この「超人間的生命」のことを「純粋生命」と呼んでいるが、何度も言ってきたように、これは西田哲学でいうところの「絶対無の場所」や「純粋な述語性」と同じことである。中沢新一の言う「タマ」でもある。まあ一般的に判りやすくいえば、宇宙の神秘な力と考えてもいいし、「神」と考えてもいい。しかし、そういう言い方をするともう漠然として掴みようのないものになるので、本来的な生命の力という意味で・・・やはり清水博のいう「純粋生命」という言い方が良いのではないかと思う。私たち人間は、生れてから今日に至るあらゆる環境によって、本来もっている純粋生命が隠れてしまっている。しかし、それなりの学習によって純粋生命が活き(はたらき)はじめて、コミュニティ生命世界に生きることができる。私たちは、自己中心的活動から脱却して、コミュニティ的活動をしなければならない。コミュニティ的生命世界に生きるのである。そのためには、各個人が気楽に活動できるNPOという 場が必要であると思う。清水博のいうことに耳を傾けてもらいたい。

 『現在は未ださまざまなNGOやNPOなどの活動が生れては消え、多くのコミュニティが成立しては消える状態にある。しかし、一般的に見ると、コミュニティ的生命世界ではマネーではなく、一人一人の存在感こそが通行切符なのである。存在には倫理の保証がなければならない。マネーに代わる存在という普遍的な切符によって、これらのコミュニティ的生命世界が互いに繋がるときには、個の欲望から共存在へ、人間の価値観の変態的変化がおきることを意味する。』

 そうなのだ。地域の人びとは「メディオン」となって、一人一人の存在感を示しながら、舞台の上の即興劇をイキイキと演じなければならないのである。そして、地域の人びとがイキイキと存在感を示しながら生きていくためには、競争社会ではダメであって、市場経済の弊害を緩和しなければならない。そのためには、贈与経済の部分を増やしていく必要があり、ミヒャエル・エンデの言うところの「地域通貨」の普及が不可欠なのである。

11、日本ジオパーク・モデル化研究会について-その設立の趣旨

  ジオパーク(Geoparks)設立に関する活動が内外で活発化しています。ヨーロッパや中国などを中心に,ユネスコに支援された世界ジオパークネットワーク(Global Geoparks Network)が認証する世界ジオパーク(Global Geoparks)が既に17 ヵ国の53 地域に設置されています。
  ジオパークの目的や意義を鑑みると我が国においても設置が必要となりますが,それには,まず,日本におけるジオパークの意義を確認し,そのコンセプト(基本概念)を皆で議論し,明確にしておくことが大切です。

  21世紀は“ジオ(GEO)”の時代です。これからの地域づくりは“ジオ(GEO)”を強く意識した「人づくり」であり「場づくり」でなければなりません。“ジオ(GEO)”とは単に地質や地形のみならずそれを土台として密接に影響し合いながら存在し,変遷していく自然と人間を一体として捉えようとする 新しい概念です。この“ジオ(GEO)”の概念のもとで,地域の優れた自然と人々の歴史や伝統・文化を素材とし,地域の固有性・独自性を主張する鮮烈なテーマを掲げて,今ある時・空を超えて宇宙と人類,自然と人間の歴史や文明とのかかわりについて,地質を中心にありのままの地域資源をビジュアルに演出した「場」がジオパークです。我が国では地方の人口減少になかなか歯止めがかかりません。地域崩壊が始まっていると言ってもよいかも知れません。
  一方,地球規模での資源・エネルギー枯渇,環境汚染,地域間格差が加速しているように,市場経済に象徴される物質文明のいき詰まりは明らかです。サステイナブルな生き方を採るべき我が国にとって,地方や中山間地にこそ,再出発すべき日本の原点となる自然や伝統思想や文化が“ジオ(GEO)”の構造をなして温存されているのです。
  我が国の未来のために,何としてでもこれからの日本の原点となるべき地方や中山間地を守り,過疎化に歯止めをかけなければなりません。そのためには,結局,地域住民自身が立ち上がるしかありません。問題は「人づくり」であり「場づくり」です。その最も有力な手段がジオパークであると考えています。もちろん「人づくり」,「場づくり」は都市域にも通じる問題であることは言うまでもありません。ジオパークは,地域そのものが素材であり題材であり,地域住民自体が脚本家であり演出家です。総てありのままの地域が主役という意味でジオパークは一つの究極の活性化手法です。多様な自然と歴史・文化に恵まれた我が国においては,地方や中山間地はもとより各地のジオパークは,それぞれの地域が,地質を中心に,地球とか環境とか歴史とかを意識しながらも,地域特性を活かした市民公園として,いろいろと構想すればよいと考えています。地域住民の自由な取り組みと言うものがないと,面白くて奥の深い地域づくりはできません。

  ジオパークは,もちろんユネスコに支援された世界ジオパークから,国立レベルのもの,都道府県レベルのものもあって良いし,市町村レベルのもの,地区レベルのものもあっても良いと考えています。否,そうあるべきです。今,政府はVJC(ビジット・ジャパン・キャンペーン)を掲げて外国人観光客1,000 万人/年を目標にがんばっていますが,目標としてはこれでも少ないと考えています。全国各地にジオパークが展開できれば,目標1,000万人を遙かに超えることも決して夢ではないでしょう。

  日本は「文化観光」にもっともっと力を入れていかなければなりません。「文化観光」の最も重要な企てが“ジオ(GEO)”の概念を拠りどころとするジオパークであると考えています。内外からできるだけ多くの観光客に来てもらうためには,訪れる人々に,これからの生き方に重大な示唆を与えうると言うか,これからの新しい文明を創造するために役立つと言うか,そして,唯一日本のそして世界のその地域にしか存在しないとか,そう言った文化的価値と希少性の高いものを整備する必要があります。

  日本ジオパーク・モデル化研究会は,地域の固有性・独自性に基づいた我が国にふさわしい日本版ジオパーク(JーGEOPARKS)を構想し,具体化していくことを目標にしています。本研究会では,ジオパークを幅広く,地質・地形・地理・生態・環境・人類史・考古学および地方史・民俗文化など,自然科学から 人文・社会科学にいたる学際的な視点から俯瞰し,その中で地域に独自の「ジオパーク・モデル」を構想し,その具体化を図る上で不可欠となる「日本らしいジ オパークのありように関する一定の考え方や手法を明確化して,日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)を創発する」ための研究活動を開始しました。そのためには,行政・政界,業界・財界,学界など,あらゆる団体・組織の多くの人々との懇談・対話を通じて,広く見識を衆議することが大切と考えています。

  さらに,地域の持続的発展に寄与し,内外の人々に受け入れられる日本版ジオパーク(J -GEOPARKS)の設置に向けた合意形成と制度設計を行う必要があります。そのためには,日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)について,①政策提言に止まらず,②議員連盟の組成,ならびに③『ジオパーク新法(仮称)』を視野に入れた国民的運動を展開していく必要があります。合わせて各層向け,マスコミ向け出版物などの上程,各種研究集会や広報活動を展開して,もって我が国固有の日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)を内外に発信することが必要です。

  21 世紀を迎え,人類は資源・エネルギー枯渇や環境破壊など“地球と人間のかかわり”を根源とした深刻な問題に直面し,人々は地球に関心を寄せるようになりました。例えば,世界遺産も地学的観点から注目されることが多くなってきました。我が国では次の候補である小笠原が気になるところですが,ここでは Boninites(無人岩と言う小笠原諸島の古い呼称に因んだ学名)と呼ばれる独特・固有の岩石に象徴されるジオテクトニクス的地学条件がその決め手になるのではと考えられています。さらには, Biodiversity depends on Geodiversity(地球環境多様性が生物多様性を決める)の言葉に表れるように,人間活動にかかわる気候変動や自然破壊など地球環境問題への理解は“ジオ(GEO)”の視点を欠くことができません。
  日本ジオパーク・モデル化研究会は当面,ジオパーク設立に向けた具体的活動を展開していく過程において検討すべき諸問題・課題について,地域の人々や自治体をはじめ関係する多くの方々と語る場を早期に創設したい,そのためのモデル事業をどんどん増やしたいと思っています。皆さんのご理解とご支援,さらには積極的なご参加やご意見を期待しています。


12、地球学とは

  近年、地球学という学問分野ができたようだ。旗ふり役はかの有名な松井孝典東大理学部教授だ。今は、この新しい学問大系の素材が出揃った段階で、これからどのような展開を見せるのか、予想もつかない。ある程度の成果が出てくるのがあと50年後なのか、100年後なのか判らないということのようだが、それでも今研究を始めなければならないということらしい。
  人間が人間圏を創造した瞬間から、環境破壊の歴史が始まった。生物圏の中に閉じていれば、これまでもそうであったように何百年も生きられる。しかし、このまま地球のストック(資源)を利用し、地球システムのフローに擾乱(じょうらん)を与え続ければ、あと百年程度で人間圏が崩壊するのは目に見えている。これは忍びないというわけだ。そこで、この地球上で、人類が少しでも長く生きられるように、あらゆる科学的知見を結集しようというのが地球学である。
  松井孝典がその著書「地球学・・・長寿命型の文明論」(ウェッジ、1998年5月)の中で・・・・、「地球学とは、地球というスケールの枠の中で問題に応じてそれに適したユニットを考え、そのユニット間の関係を通じて<文明とは何か>を探求する試みかもしれない」と言っているし・・・・、「地球学とは、フ レームを地球にとり、テーマとしては人間圏に関することがらを新たな方法論を用いて論じる知的体系ということになるかもしれない。」・・・・、「その方法論としては、システム論的分析手法と歴史的視点が挙げられる。システム論的分析手法とは、その構成要素のモノとしての実態を追求するというより、構成要素間の関係性に注目する考え方である。歴史とは全体が意味を持つのであり、その意味でも要素還元主義的な考え方とは相いれない。」・・・・と言っている。充分彼の言葉を噛み締めたいと思う。

  また、彼は同著の中で、「地球学とは、現代を、宇宙、地球、生命、人類、文明史的な時空スケールで位置づけ、そこに生起する諸問題をその枠組みの中で改めて設定し直し、議論する、そのような知の体系だ」とも言っている。
  彼の言う地球学は、その枠組みが大きすぎて、私たちの手に負える代物(しろもの)ではないが、少なくとも、現在、地球的なものの見方が強く求められているということぐらいは私たちでも理解できる。地球的なものの見方が今大事なのである。

  学者の専門的知見にもとづき、その要点が一般人にも判りやすく語られねばならない。学者の専門的知見の一般化というか共通感覚化が必要である。学者の言わんとする肝心かなめのところが一般国民の共通感覚にならなければ、国民の支持を得ることはむつかしく、行政や政治は動かない。中村雄二郎のいうところの共通感覚は極めて大事である。国民の共通感覚を養うため、ジオパークの演劇性が重要なのである。


13、場所の論理

  中村雄二郎によれば、そもそも「場所」というものは、コミュニティーとか環境というような<存在根拠(基体)としての場所>のほかに、<身体的なものとしての場所>、<象徴的な空間としての場所>、そして<論点や議論の隠された所としての場所>の三つがあるという。
  では、<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>とはなにか。中村の説明を紹介する。

『 <論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>は、古代レトレックでいうところのトピカ(トポス論)の持つ問題性をもっと広い観点から捉えなおしたものである。もともとアリストテレスではトピカとは、自分の行おうとする議論はいかなる種類の事柄にかかわるか、どのような話題から始めるべきか、を決めるものであった。キケロによれば、隠された場所がわかれば隠されたものがたやすく見出されるように、十分な議論をしようとすれば、その場所つまりロクス(トポス)を知らなければならない。こうしてトピカは発見の術とも呼ばれ、政治や法律の具体的な事例についての議論に不可欠なものとされた。
  このトピカは蓋然性の上にのっとった議論であるため、永い間、とくに近代世界に至って、不確かなものとして退かれることが多かった。しかし、近年になって、具体的な事例や問題の考察と議論において、適切な論点を発見することがいかに必要であるか、また、現実の多面的な豊かさを考えると、蓋然性を受け入れることがどんなに正確であるか、が見直されてきている。必然的な真理のもとづく議論はたしかに正確ではあるが、そうした議論はいくらしたところで、問題の持つすべての局面を考察したことにはならないからである。つまり、正確な推論の出発点となる前提は、えてして単に現実の一局面しか表わさず、したがってそこからの結論もおのずと限られたものになるからである。』

  哲学者の説明は難しく、私たちにはちょっと理解しにくいが、私流に判りやすく説明したいと思う。風土もそうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化的な環境などがある。そういった環境がうまく整えられた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わぬ経を詠む・・・という訳だ。

  飯田賢二がその著書「日本人の鉄」(有斐閣、昭和57年4月)に「鍛冶屋のせがれ」というタイトルで書いているが、鍛冶屋の打つ鎚(つち)の音をしょっちゅう聞いたり、そこから出る火花をしょっちゅう見ていると、その鍛冶屋のせがれは豊かな思想性と創造性を身につけることができるのだそうだ。嘘のような 話だが、私は何となくそうだと判る。それが中村雄二郎のリズムの世界であり、述語の世界である。
  松井孝典の「人類発展おばあちゃん説」というのがあるが、これもそうだ。女性は生理的に宇宙と繋がっているので、そもそも宇宙的、地球的なのである。おば あちゃんは長生きをするので、その宇宙的感性、地球的感性が孫に伝わり、そのおかげで人類はここまで発展してきた・・・という訳だ。

  けだし、ジオパークは、地球公園でもあるので、それなりにうまく整えることによって、地質の好きな人間、地理の好きな人間、生態系の好きな人間、歴史の好きな人間が育つのである。地質の好きな人間・・・それは宮沢賢治のような人である。私たち日本ジオパークモデル化研究会では、大学などの研究機関との連携が重要であると考えている。大学の先生方の助けを借りながら、ジオパークをそれなりにうまく整えていこう。その場合のキーワードは地球学的感覚と地球学的知見である。学者の先生方の地球学的感覚と地球学的知見によって、ジオパークをそれなりにうまく整えることができれば、日本の未来は明るい。私たちの子供や孫は、豊かな思想性と創造性に富んだ子供たちが育つからである。私としては、ジオパークを我が国最大のプロジェクトにしてほしいと思っている。


14、ジオパークとは?

* ジオパークとは、地域の人々が自ら作る公園であり、観光を強く意識して官民が協力して地域全体を整備するものである。
* その場合のコンセプトは、ジオ(地球)であり、地域の共通感覚は、国内の他地域との繋がり、東アジアとの繋がり、アメリカとの繋がり、太平洋諸島との繋がり、世界との繋がり、さらには宇宙との繋がりを強く意識した・・・・ 地球的感覚である。
* それらの繋がりは、関係と言い換えてもいいが、地質学的見地、地理学的見地、生態系学的見地、歴史学的見地、文化的見地から学問的、専門的に検討される。
* したがって、ジオパークは、地質公園と呼んでもいいし、地理公園と呼んでもいいし、生態系公園と呼んでもいいし、歴史公園と呼んでもいいし、文化公園と呼んでもいいが、それらを総称して地球公園と呼ぶこともできよう。
* そして、基本的に大事なことは、地理学者を始め専門家の力によって、その地域の観光資源、つまりその地域の光り輝くものとは何か、そのことが地域の人々に 十分理解されていなければならないことである。(注:地理学との関係は後日触れる。)
* 近年、地球学というまったく新しい学問が始まっているが、日本ジオパークは、それとのネットワークをつくることが望ましい。「地球学とは、フレームを地球にとり、テーマとしては人間圏に関することがらを新たな方法論を用いて論じる知的体系」・・・と言われている。
* 日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」にあり、そういう意味では、日本では歴史的に見て「平和の原理」が働いてきたといえる。それを 「平和の論理」として世界の人びとに語って行かなければならない。日本のジオパークは、そういうわが国における「違いを認める文化」というものをどのよう に世界の人々に説明していくか・という・・・・大変むつかしい課題に挑戦するものでもある。
*「違いを認める文化」を語る場所は当然歴史的遺産が中心になるが、その他新たな場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だが、「和のスピリット」というものが強く意識されなければならない。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間であるが、空、地質、水に関わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう空間になるよううまく演出されることが望ましい。
* その上で、地域の人々は、自らの地域に誇りを持ちながら、自らの知見と感覚によって、観光客のためのインフラ整備をする。
* 日本のジオパークは、観光開発として整備するだけでなく、地域の人々の感性に強い影響を与える基本的な生活環境として整備されなければならない。風土もそうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化的な環境などがある。そういった環境がうまく整えられた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わぬ経を詠む・・・という訳だ。
* 地域の人々が自ら活動するもっとも基本的なものは、ソフト面ではお祭りその他の芸術文化活動であり、ハード面では地域の環境整備と手作りの案内板やベンチ などの利便施設の整備である。
* 地質学的な説明などの地球学的な説明は、ジオパークのもっとも根幹をなすものであるにもかかわらず、きわめて難しいので、インストラクターの活動が不可欠である。
* つまり、ジオパークは地域の人々が主役であり、インストラクターが脇役となる。民間企業と行政はそれらを支えるという役割分担となる。清水博の「場の思想」が言うように、地域の人びとは「メディオン」となって、一人一人の存在感を示しながら、舞台の上の即興劇をイキイキと演じなければなら ない。そして、地域の人びとがイキイキと存在感を示しながら生きていくためには、競争社会ではダメであって、市場経済の弊害を緩和しなければならない。そのためには、贈与経済の部分を増やしていく必要があり、ミヒャエル・エンデの言うところの「地域通貨」の普及が不可欠であると思われる。かかる観点から、 日本のジオパークは、そういう「地域通貨」という新しい課題に挑戦することが必要かもしれない。
* 民間企業は、博物館や宿泊施設などのサービス施設を整備するものとするが、その際、地域の光り輝くものが何か、その地域と他地域との繋がりはどうなっているか、芸術的に実感できるよう工夫されていなければならない。実感できるということは、理屈でなく感覚的に虎まえることができるという意味である。
*行政は、地域の人々と連携して、道路や河川の環境整備を行う。特に、遊歩道の整備に当たっては、地域の環境整備と手作りの案内板やベンチなどの利便施設の整備が不可欠である。
* ジオパークは,もちろんユネスコに支援された世界ジオパークから,国立レベルのもの,都道府県レベルのものもあって良いし,市町村レベルのもの,地区レベルのもの或はポケットパーク的なものもあっても良い。