2011年9月15日木曜日

狂牛病とテロが呼び覚ますもの

中沢新一著「圧倒的な非対称」3 狂牛病とテロが呼び覚ますもの

この記事では、中沢新一著「緑の資本論」収録論文「圧倒的な非対称」の3節を扱っています。
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3節【狂牛病とテロが呼び覚ますもの】

ア 要約
●世界は「荒廃国(Waste Land)」の様相を呈している。(エコノミーとコミュニケーションが閉ざされ、豊かなものの流動が凍結された世界)

●世界の荒廃化に立ち向かうキリスト教の戦略は「贈与の行為が世界を荒廃から救い出す」思想であった。(キリストが自らの死をサクリファイス[生贄]する。死の贈与が贈り届けられ、神はそれに応えて愛の流動を贈るという思想。)

●テロの背後にもよく似た贈与論的思考がある。(自分たちは一方的に奪われ、他方は反映している非対称を打ち破るために、自分と相手をもろともの死のサクリファイス、どこにも贈り届けられることのない死の贈与に巻き込もうとする。非対称をつくりだしている全機構を、もろとも破壊したいという欲望。)

●イエスの十字架刑が象徴するもの(キリスト教)と、テロ行為(イスラム原理主義者)とは鏡に映したような反転像。(自分を憎んでいるものによってイエスは死ぬ。テロリストは自分が憎んでいるものに死をもたらそうとするが、同時に自分も死ぬ。イエスは愛の流動が発生するエコノミーの回路を開こうとしている。テロの行為は愛の発生の可能性を決定的に閉ざし、憎しみを永続させる。)

●十字架もテロも圧倒的な非対称の破壊を目指しながら、その目的実現は不可能だ。(十字架では神と人の間に愛のエコノミーは発生するが、その流動し始めた愛を神ではなく異教徒や「貧困な世界」に生きる人間や動物に注いでいこうとすると、ニーチェのいう「贈与の一撃」となり思い負債の感情を相手の心につくりだし、つまり愛は偽善に変貌しやすい。テロ行為も繁栄を誇る相手に痛撃を与えることはできるが、双方にもたらされるものは荒廃のみである。)

●つまり、非対称を破壊しようとする一神教的戦略は、いずれの場合も身動きのつかないジレンマに陥ってしまう。

●対称性社会の人々には、結婚による異種族の結びつきが、圧倒的な優位性のために無神経になった人間の心に重要は変化をもたらすという思想、広く支持されてきた。(動物と人間の結婚をテーマとした神話。)

●日本刀という新技術がもたらされたシベリアで対称性が破壊され、人間と熊が戦い、双方が死んでしまう神話が残っている。この神話は極めて暗示的である。「富んだ世界」と「貧困な世界」の住民が死にものぐるいの戦いを起こしても、そのときには両方が死んでいく。たとえ一方が勝利しても、世界には晴れやかな流動は帰ってこない。

●人間が非対称の非を悟り、人間と動物との間に対称性を回復していく努力をおこなうときだけ、世界にはふたたび交通と流動が取り戻されるだろう。

●狂牛病とテロが、対称性の知性をもういちど私たちの中に呼び覚まそうとしている。

イ 感想
●圧倒的非対称の解決に一神教的戦略が役立たないことは納得できます。ニーチェの「贈与の一撃」についてはいつか詳しく調べてみたいと思います。

●人と動物との非対称を解決するところまで遡らなければ、9.11テロの解決はないということだと思います。中沢新一の本をいくつか読んで、それはそうだとは思いますが、重たすぎる感じは残ります。中途半端な理解から脱却できれば、重たい感じはとれるかもしれません。

●狂牛病なり、9.11テロなり、それを考えるとき、どうしたら解決できるのか?という現実問題解決の視点で、私は考えます。おそらくほとんどの人がそうだと思います。ところが、中沢新一はそういう発想ではなく、その問題解決に必要な思考回路(思考ツール)を探しているのだと思います。思想家ですから当然と言えば当然です。その差異に少しずつ気がつきだしました。
(おわり)

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