2011年9月24日土曜日

タウヒードの思考

緑の資本論7 タウヒードの思考

この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載しています。

緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
   1節【魔術的思考の時代】
   2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
   1節【象徴界と現実界の一致】
   2節【利子の厳禁】
   3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
   1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
   2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
   1節【「三位一体」のドグマ】
   2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
   3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて

(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)

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三 タウヒード貨幣論
   2節【タウヒードの思考】
ア 要約
●イスラーム的一神教は「タウヒード」の論理に貫かれている。(タウヒードとはアラビア語で「ただ一つとする(一化する)」を意味する。)

●森羅万象この宇宙は形も色の属性も多様性にわきたっているが、そのすべての存在(あること)の存在性が「ただ一つの実体」におさまっていく。つまり唯一の神である「ただ一つの実体の表出」と理解される。逆に言えば、唯一の神アッラー(アッラーフ)こそが、森羅万象の創造主である。(ここまでの考えはユダヤ教ともキリスト教とも共通する。)

●その「ただ一つの実体」の内面が単純極まりないものである。神の「内面」に一切のトポロジー的構造化が拒絶される。唯一の神は完全なる単純実体である。

●これは「主体性のタウヒード」と呼ばれ、イスラーム神学で、アッラーフが、1本体において部分を有さず単一であり、2属性において無比であり、3行為において単独であるという3つの認識で定式化されている。

●キリスト教は唯一の「神」の内部に、「父と子と聖霊の三位一体」の構造を認め、その純粋な「関係性」をトポロジー構造として理解することができる。

●イスラームは「アッラー」にこのような単一性を冒す危険をはらんだトポロジー思考を拒絶する。

●イスラームにおいては「一」と「多」が直接的に結び合う。あらゆる存在者は「一」を直接表出し平等であり、その表出の度合いを異にしているから、同じものはなく、世界は多様性満ちている。

●イスラームの考え方では、どんな存在者も「一」と直接性において結ぼれているので、その存在者は他のどんな存在者をも表象するものではなく、一方が他方のシニフィアン[記号表現]として自由に増えたり、減ったりすることはできない「正直さ」をそなえている。

●一神教が警戒している増殖の現象がおこるときには、「一」との直接性の表出関係を失って、自由な浮遊状態に入ったシニフィアンが、歯止めをなくして数や量や強度を増やしていくのだ。こういう増殖がおこっているとき、一見すると世界は多様性を豊かにしているように見えるが、実際には豊かな多様性をはらんだものが均質化する表象のうちにとらえられ、その表象作用が増えているだけなので、多様性そのものは貧しくなっているのである。お金が増えても心は貧しくなる。これは、表象が量を増やしても、多様性は貧しくなり、それは「一」である唯一の神との直接的なつながりが貧しくなっているという事実を言い表している。

●イスラームにおけるタウヒード(一化)の思考こそ、一神教の成立という人類にとっての「第一次形而上学革命」の精神を、もっとも純粋な形で実現してきたものだと言える。

イ 感想
●同じ一神教のイスラームとキリスト教において、神の内部に構造がなく単純であるか、構造があるのかという違いを理解しました。

●神とのつながりが切れた増殖(例 利子)により金が増えても、「一」(神)とのつながりが貧しいので心は貧しくなるという思考の例示により、タウヒードの考え方の理解が進みました。

●タウヒードの考えを知り、これが(ひとつの)「信仰心」だと実感しました。タウヒードの考えにより信仰心を持てば、なにか、頑強無比の活動ができそうな感じがしてきます。

(つづく)

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