2011年7月31日日曜日

中沢新一著「対称性人類学」を読んで

            中沢新一著「対称性人類学」(講談社、2004)

 中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズ全5冊を「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでみました。シリーズ最終5冊目「対称性人類学」は関係情報を集成し総括した内容になっています。従って、私の感想も自分なりに結論的なものになりました。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:対称性人類学 カイエ・ソバージュⅤ
発行:講談社
発行年:2004年2月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.9cm)302ページ
ISBN 4-06-258291-0


2 目次
はじめに
序 章 対称性の方へ
第一章 夢と神話と分裂病
第二章 はじめに無意識ありき
第三章 <一>の魔力
第四章 隠された知恵の系譜
第五章 完成された無意識 ― 仏教(1)
第六章 原初的抑圧の彼方へ ― 仏教(2)
第七章 ホモサピエンスの幸福
第八章 よみがえる普遍経済学
終 章 形而上学革命への道案内
謝 辞
索 引

3 「はじめに」抜粋
「『カイエ・ソバージュ』の最終巻をなすこの第五巻では、シリーズ全体の展開を導いてきた『対称性』の概念を、ひとつの公理系にまで発達させようという試みがおこなわれている。
対称性の考えによって、私は神話的思考の本質をあきらかにしようとすると同時に、『無意識』の働きに格別の価値を回復しようともしている。この点で、『野生の思考』をめぐる構造人類学の可能性を現代に取り戻そうとする私の思考は、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』とまったく同じ土台に立っていると言える。対称性の論理で作動をおこなっている『無意識』は、欠けたところのない充実した流動的知性としての本質をもっている。いっぽうで認知考古学の研究は、現生人類としての私たちの『心』の形成を可能にしたのは、この流動的知性の発生にあったことをしめしている。つまり、『無意識』こそが現生人類としての私たちの『心』の本質をなすものであり、非対称性の原理によって作動する論理的能力は、この『無意識』の働きに協力しあうものでこそあれ、それが人類の知的能力の本質であるなどとはとうてい言えないことがわかる。私はこの対称性人類学という学問をもって、現代に支配的な思考に戦いを挑もうとしている。
こうして神話論(第一巻)、国家論(第二巻)、贈与論(第三巻)、宗教論(第四巻)の全体を巻き込みながら、この第五巻を核として『カイエ・ソバージュ』はひとつの星雲としての姿をあらわすことになった。私はこの本で、対称性人類学という名前をもったひとつの一貫した思考によって、レヴィ=ストロースの神話論、クラストルの国家論、マルクスの経済学批判、バタイユの普遍経済学、ラカンによる無意識のトポロジー論、ドゥルーズの多様体哲学などにしめされた思想の、今日的な再構成を試みようとした。それによって、9・11以後の世界に、真の意味で役に立つことのできる思想というものを生み出したい、と願ったのである。

4 グローバリズムの正体
 この書では最後に、グローバリズムの正体が宗教、社会体制(国家)、経済体制(資本主義)、科学における「形而上学化」という「同型」による世界支配の全面化であることが述べられています。これがこの書の結論であると思います。次のように論が展開されています。

4-1 「形而上学化」という「同型」について
●宗教についていえば、精霊的社会から原初的抑圧が生じて多神教社会が生まれるが、それをさらに全体として抑圧して一神教社会が成立する。その結果、多神教社会にはまだ少しは残っていた対称性無意識とは全く切り離された(形而上学化した)社会が生まれたというプロセスがあります。
●こうした対称性無意識と全く切り離す(形而上学化する)「同型」のプロセスが国家の成立、資本主義、科学にもあることが詳しく述べられています。


            宗教の形而上学化の説明図

            国家の形而上学化の説明図

            資本主義の形而上学化の説明図

4-2 グローバリズムの正体の説明(抜書き)
宗教の領域の形而上学化を完成したのは、キリスト教による一神教です。権力をめぐる人類の思考を形而上学化したところに、国家が生まれてきました。そして、贈与経済で動いていた社会において、富をめぐる思考を形而上学化して、その中から資本主義を出現させたのも、ホモサピエンスの『心』のうちにある、同じ型の思考の働きでした。ここに科学をつけ加えても、なんの問題もおきません。これらはすべて『同型』のプロセスにしたがっています。
『一神教』と『国民国家』と『資本主義』と『科学』-これらがひとつに有機的に結合できる条件をそなえていたのは、地球上に近代の西ヨーロッパをおいてほかにはありませんでした。西ヨーロッパ世界は、社会生活のすべての領域で、数百年をかけて『形而上学革命』をとことんまでなしとげていたので、こういうことが可能になったのです。しかも『一神教』『国民国家』『資本主義』『科学』は、いずれも形而上学の形態として、『同型』をしめしています。超越性をめぐる人類の思考に形而上学化をほどこせば、そこからキリスト教型の一神教が発生します。権力についても、経済的価値についても、まったく『同型』の作用を加えれば、そこから国民国家や資本主義が生まれてこられるようになっています。そればかりか、『具体性の科学』とレヴィ=ストロースに呼ばれた野生の思考を形而上学化すれば、そこから錬金術を通過して、近代科学の思考が生まれ出てくるでしょう。
『同型』による支配が全面化されていくこと-これがグローバリズムの正体なのだと思います。どうして世界はグローバル化していくのか?それはホモサピエンスの『心』に、形而上学化へ向かおうとする因子が、もともとセットしてあるからです。その因子がはらんでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを、対称性の原理を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。それを最初に突破したのが、一神教の成立だったのです。その意味では、モーゼとヤーヴェの出会いほど、人類の命運に重大な帰結をもたらしたものもないでしょう。宗教をゆめあなどってはいけません。


5 感想
●私の問題意識「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」に対する感想は次のようなものです。

ア 中沢新一は宗教、国家、資本主義、科学の真の出自、素性を知ることにより、その特殊性、限界を明らかにしています。これを対称性人類学として位置づけています。中沢新一を動かすエネルギーの原点は学問の確立(人類社会の理解)にあるように感じます。

イ 中沢新一が紹介し体系化した知識は人類社会の改善のための(人類社会が生き延びるための)基礎知識として大変重要なものであると感じます。

ウ 中沢新一はこの体系化した知識(対称性人類学)が今後の人類社会改善のために大切であることを例えば次のように述べています。
『神の発明』の中で私は、『神は死んだ』というのは本当かもしれないけれども、その後の世界で私たちは精霊や聖霊や天使の存在を取り戻していく必要があると書きましたが、グローバル資本主義の先に出現すべきものは、このような超細な思考のフィルターをくぐってあらわれる『繊細の精神』を組み込んだ、オルタナティブな資本主義の形態ではないのでしょうか。

エ 中沢新一は9.11から強い刺激を受けてこのシリーズを書いたのですが、このシリーズが当面の社会改善の方策に触れているところはありません。

オ 中沢新一が体系化した知識(対称性人類学)を知れば知るほど、現代社会に対する問題意識が深まり、発言したい事柄も増え、社会改善方策のアイディアも沢山浮かびます。この書はこうした効果を世の中にもたらしていると思います。

カ 私が直接的に期待した現代社会改善方策のヒントになる記述はありませんでした。

キ 結論として、私の質問(問題意識「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」)が適切ではないことがわかりました。この質問を廃棄します。これに変り、次のような質問を設定して、今後の古代や対称性人類学の学習を進めたいと思います。
質問「対称性無意識との繋がりを復活させるような方策とはどのようなものか?それはどのような社会改善効果が期待できるか?」

●このシリーズ特に第5巻は、広い分野の知識を一つの方向に収斂させて、人類社会の文明原理と特性(特殊性と限界)を華麗に明らかにしています。私は期待以上の知識を得ることができ、大いに得をした感じを受けました。

●中沢新一のこのシリーズ(カイエ・ソバージュ)に対する社会の評価について知りたいと思います。

2011年7月24日日曜日

中沢新一著「神の発明」を読んで

            中沢新一著「神の発明」(講談社、2003)

 中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズを「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでいます。今回はシリーズ4冊目「神の発明」です。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:神の発明 カイエ・ソバージュⅣ
発行:講談社
発行年:2003年6月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.2cm)208ページ
ISBN 4-06-258271-6


2 目次
はじめに
序 章 スピリットが明かす神(ゴッド)の秘密
第一章 脳の森の朝
第二章 はじめての「超越」
第三章 神(ゴッド)にならなかったグレートスピリット
第四章 自然史としての神(ゴッド)の出現
第五章 神々の基本構造(1) ― メビウス縫合型
第六章 神々の基本構造(2) ― トーラス型
第七章 高神から唯一神へ
第八章 心の巨大爬虫類
終 章 未来のスピリット
索 引

3 「はじめに」抜粋
この書の要約として読むことができると感じた部分を、抜粋引用します。
はじめ『超越性』の直観は、『スピリット』の活動として表現され、さまざまなタイプの探究が試みられることになった。スピリットはじつにさまざまな呼び名と形をとりながら、あらゆる人間の心に住みついてきた。いろいろな社会のスピリットについての思考や表現を見ていて気づくのは、それが精神的なものと物質的なものとの、ちょうど境界でおこる現象として、奇妙なマテリアリテ(物質そな性)を具えていることである。日本古語の『モノ』ということばの深遠な含意を思い起こしていただくだけでも、そのことはよくわかる。いまでは『超越性』は神(ゴッド)の世界の特性として、感覚の彼方に引き上げられてしまっているが、はじまりの状態でのそれは、形而上でもなく形而下でもない、物質でもなく精神でもない、不思議な第三の原素材としての性格を、はっきりと具えていたことがわかるのだ。
この心の胎児とも心の原素材とも言うべきスピリットが、さまざまなトポロジー変形をおこしていくときに、神の形象がかたちづくられていく。いわば『アフリカ的段階』のスピリットに加えられた最初のトポロジー変形からは、多神教を構成する神々の体系がつくられる。その過程を追っていた私自身が驚いたことだが、そのときに心の中でおこる変形過程は、物理学が『対称性の自発的破れ』と呼んで研究してきた過程と、酷似しているのである。ここにも、原素材としてのスピリットの示す半-物質性の特徴がよく示されている。心の科学と物質の科学は、このようなレベルで確実なつながりを見出すことができる。おそらく、そこが二十一世紀の思考の、ひとつの重要な突破口となっていくのだろう。
唯一神をめぐる宗教的思考でさえ、同じトポロジー変形の過程によって、思考実験的につくりだしてみることができる。私はゲーテの真似をして、思考実験のフラスコの中に、それをつくりだしてみようとした。スピリットに具わったすべての『徳』と『愛』と『超越性』をもってすれば、唯一神をつくりだすことも不可能ではないことを、示してみたかったのである。その結果思いもかけず、今日の世界を覆っている『非対称性の思考』が人類の心に生まれ出る、その運命の分岐点に歩み出てしまうことになった。現代世界のかかえる最大の困難が、そこから発生している。
人間の心が神を発明するのである。ここには、宗教の本質をめぐるマルクスの洞察が大きな影を落としている。唯一神にかかわる神学や形而上学の問題でさえ、物質的な過程と連動した歴史の中でこそ、はじめて真実の意味が理解される。私はこのように理解された『マテリアリズム』の方法を駆使して、この本で、人間の心にほんらい具わった霊性を擁護しようと試みたのである。

4 感想
4-1スピリット
●スピリットについて、この書でとてもよく理解できました。次の文章の意味が深く理解できました。
スピリットは人間の思考や意志や欲望がいっぱいの『現実』の世界からは隔てられ、閉ざされた空間の中に潜んでいますが、完全に『現実』から遮断されたり、遠く離れてしまったりしているのではなく、密閉空間を覆う薄い膜のようなものを通して、出入りをくりかえしているのです。そして、その膜のある場所でスピリットの力が『現実』の世界に触れるとき、物質的な富や幸福の『増殖』がおこるわけです。

●アマゾンの幻覚による内部視覚、神聖図形、日本語の「モノ」の内容などの話題も強く興味あるものでした。

●アボリジニやインドヨーガ行者の瞑想が「超越」に触れる技術であり、「内部視覚」の体験と一体のものであるということも、魅かれた情報です。

●認知考古学として、次のような情報を紹介しており、この書の基盤が強固であることを実感しました。外の事柄を考えるときにも、とても役立つ知識になりそうです。
流動的知性は、異なる領域をつなぎあわせたり、重ね合わせたりすることを可能にしました。こうして『比喩的』であることを本質とするような、現生人類に特有な知性が出てきたのです。『比喩的』な思考は、大きく『隠喩的』な思考と『換喩的』な思考という二つの軸でなりたっていますが、この二つの軸を結びあわせると、いまの人類のしゃべっているあらゆるタイプの言語の深層構造が生まれるのです。『比喩的』な思考の能力が得られますと、言葉で表現している世界と現実とが、かならずしも一致しなくてもいいようになります。現実から自由な思考というものが、できるようになるわけですね。神話や音楽も、同じ構造を利用しています。ようするに、現生人類の脳におこった革命的変化によって、言葉をしゃべり、歌を歌い、楽器を演奏し、神話によって最初の哲学を開始し、複雑な社会組織をつくりだすことが、いちどきに可能になっていったわけです。

4-2多神教の構造
●グレートスピリットとスピリットの違いが良く理解できました。

●生と死のつながり、縄文土器に描かれた「メビウスの帯」、インド人の輪廻思想も「メビウスの帯」的な新石器思考の名残などの情報は興味津々で読みました。

●スピリット世界の分化、高神High Godtoと来訪神を物理学の「対称性の自発的破れ」で説明していることとその分化の時期と因果を王と国家の発生に重ねて説明しているので、とても説得力のある説明です。

●「御嶽(ウタキ)の神(非対称性、トーラス型の神)、来訪神(低次の対称性、メビウス縫合型の神)」の説明はこの書の中でもとりわけ独創的なものであると思います。それは、柳田=折口説の修正(氏神と来訪神の関係の修正)つまり、氏神は高神=御嶽の神の仲間として旅をしない。来訪神は芸能と祭りが形を変えて果たしていると説明されていることで判ります。

4-3唯一神の誕生
●一神教が成立した過程について次のような説明が行われています。
取り除きや破壊ではなく、『抑圧』がおきたのです。『トーラス型』の宗教的思考によって、『メビウスの帯』のような心の働きを維持しようとしてきた心の機構全体が、抑圧されることによって、表面には出てきにくくなった、そういうやり方で、多神教は一神教に作り変えられたと見るのが、正しいと思います。
この過程は、スピリット世界が多神教宇宙に作り変えられるときにおこったような過程とは、どうも根本的な違いをもっているようです。そのときには、心のトポロジーの構造が、『対称性の自発的破れ』とよく似た精神力学的過程をとおして、ほんものの変化をおこしています。ところが、これまで見てきたとおり、一神教の成立については、そのような心の構造のトポロジーに関わるような、根本的な作り変えはおこっていません。

4-4一神教の影響
●一神教の影響について、この書の最後に次のような記述があります。このような現状認識ができたのは古代からの人々の思考方法を学んだからこそであると思います。素晴らしいことです。古代からの人類の思考方法を深く知ることの意義は重要であり、大切であることが、痛いように判りました。同時に、単純に古代思考方法への回帰が人類にとって起死回生の策であるのか、中沢新一のシリーズ最後の書(「対称性人類学」)に読書を進めたいと思います。
唯一神を生み出すにいたった一神教の思考の冒険は、人間に膨大な知識と富の集積とをもたらしました。現代の自然科学も資本主義にもとづく市場経済のシステムも、もとはといえばキリスト教という一神教が地ならしをしておいた土地の上に、築き上げられたものとして、細かい部分にいたるまで、一神教のくっきりとした刻印が押してあるのがわかります。なぜそんなことが可能になったのでしよう。心の内部を徹底した『非対称性の原理』にもとづいて組織し直すことを、一神教が精力的におこなってきたからです。そして、その原理は、いまや『グローバリズム』という名前のもとに、地球の全域で大きな影響力を行使するにいたっています。
現生人類が『非対称性』に方向づけられて発達させてきた心と、巨大爬虫類の選び取った進化の方向は、たしかによく似てしまっているようです。そのことがどのような恐ろしい未来をもたらすことになるかは、だいたいの結末は私たちにもわかっています。それなのに、大きな方向転換の流れをつくりだすことが、誰にもできないでいるのです。

2011年7月20日水曜日

中沢新一著「愛と経済のロゴス」を読んで

            中沢新一著「愛と経済のロゴス」(講談社、2003)

 中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズを「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでみます。今回はシリーズ3冊目「愛と経済のロゴス」です。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュⅢ
発行:講談社
発行年:2003年1月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.2cm)210ページ
ISBN 4-06-258260-0

2 目次
はじめに
序 章 全体性の運動としての「愛」と「経済」
第一章 交換と贈与
第二章 純粋贈与する神
第三章 増殖の秘密
第四章 埋蔵金から聖杯へ
第五章 最後のコルヌコピア
第六章 マルクスの悦楽
第七章 精霊と資本
終 章 荒廃国からの脱出
索 引

3 「はじめに」抜粋
 この書が野心作であるという著者宣言を少し長くなりますが、抜粋引用します。
贈与を立脚点にすえて、経済学と社会学の全体系を書き直すという野心を、一九二〇年代のマルセル・モースがはじめて抱いた。彼が書いた『贈与論』は、経済も政治も倫理も美や善の意識をも包み込む『全体的社会事実』を深層で突き動かしているのが、合理的な経済活動を可能にする交換の原理ではなく、『たましい』の活動を巻きこみながら進められていく贈与の原理のうちにあることを発見することによって、この野心の実現にむけて、巨大な一歩を踏み出した。しかし、モースは最終的にそれに失敗してしまう。モースは贈与に対する返礼(反対給付〉が義務とされることによって、贈与の環(サイクル)が実現されると考えたのだが、そのおかげで、贈与と交換の原理上の区別がなくなってしまったからである。
 ところが私たちは、贈与の極限に純粋贈与という異質な原理が出現することを、見いだしたのである。いっさいの見返りを求めない贈与、記憶をもたない贈与、経済的サイクルとしての贈与の環(サイクル)を逸脱していく贈与、それを純粋贈与という創造的概念に鍛えあげることによって、私たちはモースが座礁した地点を跳躍台にして、彼の野心の実現に向かって、新しいジャンプを試みたのである。
 すると興味深いことに、経済学で言われる『価値の増殖』にたいして、一貫した理解を示すことができるようになった。そればかりか、贈与を立脚点にすえることで見えてくる経済活動のトポロジーと、精神分析学の示す心のトポロジーとが、基本的に同型であることもあきらかになってくるのであ る。いわばモースとマルクスとラカンをひとつに結ぶ試みとも言えるこの探求をとおして私は、サン・シモン的なアソシエーション社会主義の信奉者であったモースと同じように、グローバル資本主義の彼方に出現すべき人類の社会形態についての、ひとつの明確な展望を手に入れたいと願ったのである。
 それを実現していくためには、どうしてもモースの思考にマルクスと(ラカンによる)フロイトの思考を突入させる必要があった。社会学的思考に欠けているものがあるとすれと、それはモノ(Ding)である。モノは贈与や交換や権力や知の円滑な流れをつくりだすすべての『環(サイクル)』に、いわば垂直方向から侵入して、サイクルを断ち切ったり、逸脱させたり、途方にくれさせたりすることで、『環』の外に別の実在が動いていることを、人々に実感させる力をもっているのである。
 モースの贈与論に、このモノの次元に属する実在を導き入れる必要を力説したのは、『モース著作集への序文』を書いたレヴィ=ストロースだった。彼はそれを『浮遊するシニフィアン』と呼んで、体系の内部を流通している記号や価値と区別しようとした。この『浮遊するシニフィアン』という概念こそ、マルクスが資本主義の生命力である剰余価値の発生の現場で取り抑えようとした、『資本の増殖』の秘密の核心に触れるものであり、またそれは精神分析学が『悦楽』の発生の問題としてとりだしてきたものと、同じ構造をもっていることに、私は気づいた。二〇世紀後半の旺盛な知的活動が、それぞれの領域で見いだしてきたこれら『モノの侵入によって変化をとげた概念』を、ひとつの全体性のうちにシンセサイズすることによって、私は今世紀の知が発達させるべき問題の領域の、ごく大雑把な見取り図を描きだそうと試みた。

4 感想
●中沢新一は、人の経済の全体現象を交換、贈与、絶対贈与の3つのキーワードで説明しています。そのうち絶対贈与の概念はモースにはないもので、この書における鍵となる概念です。絶対贈与の例としてポトラッチなどが出てきます。
●絶対贈与の概念の説明はいろいろな側面から行われています。最初は全くちんぷんかんぷんでしたが、突然次のようなこととして自分なりに理解しました。
絶対贈与の増殖の例…(魔術を行うことにより)狩猟動物が増えること
絶対贈与の消滅の例…(予期しない自然災害で)財産や資源・命を失うこと
つまり、神様のしたこととして理解することしかできない(人に返礼をしたり、返礼を求めたりできない)贈与(破壊)。
●この書では、現在の資本主義の原理がキリスト教を背景にして成立し、その技術思想が自然を挑発し暴き、自然を開発するものであるから、自然が沈黙している、地球が荒廃していると論じています。資本主義の原理がキリスト教を背景に生まれたこと、技術思想が自然挑発型であることなどは中沢新一「モノとの同盟」で既に読んでいましたので概略の理解は(どうにかこうにか)できました。
●洞窟内の男の形而上学的思考(密教)と陽光の差し込む場(顕教)との対比、コルヌコピア、ラカン、マルクス、クリスマスなどの話も示唆に富み、楽しみました。
●著者はこの書の最後で次のように述べています。
人間のおこなう行為としての『経済』の現象が、交換の原理を中心に組織されているのではなく、贈与と純粋贈与というほかの二つの原理としっかり結びあった、全体性をもった運動として描かれなければならない、ということに気づかされました。そして、交換の原理による自然(それは人間の内面の自然であると同時に、人間の外にある自然のことをも指しています) への挑発的な口ぶりの語りかけが続いていくうちに、自然が恐ろしい沈黙に入ってしまう理由を、はっきりと見届けることができました。贈与の原理の破壊が、それをもたらしているのです。
 二一世紀の『人間の学問』では、いまある形の経済学をいまだ未知に属するこのような全体性の一部分として組み込んだ、より拡大された新しい『経済学』というものを創造していかなくてはならないと思います。

 私の問題意識「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」から見ると、交換の原理から贈与、絶対贈与の原理に軸足を移した社会にするという方向はとても魅力的でかつ現実に即したものに感じます。人類社会の原理を変更するという提案です。その具体策に関連する考察に遭遇したいと思います。

2011年7月18日月曜日

中沢新一著「熊から王へ」を読んで

            中沢新一著「熊から王へ」(講談社、2002)

 中沢新一のカイエ・ソバージュというシリーズの2冊目「熊から王へ」を「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでみます。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ
発行:講談社
発行年:2002年6月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.6cm)244ページ
ISBN 4-06-258239-2


2 目次
はじめに
序 章 ニューヨークからベーリング海峡へ
第一章 失われた対称性を求めて
第二章 原初、神は熊であった
第三章 「対称性の人類学」入門
第四章 海岸の決闘
第五章 王にならなかった首長
第六章 環太平洋の神話学へⅠ
第七章 環太平洋の神話学へⅡ
第八章 「人食い」としての王
終 章 「野生の思考」としての仏教
補 論 熊の主題をめぐる変奏曲
索 引

3 「はじめに」抜粋
「ニ冊目のカイエ・ソパージュでは、『国家』の誕生のことが話題になる。人類の脳のニューロン組織に決定的な飛躍がおこり、いまの現生人類(ホモサピエンス・サピエンス)の『心』が生まれたのが、後期旧石器時代のことであったとすると、それから二万年以上もの間は、そのニューロン組織を使って、神話的思考が発達していったことが考えられる。その頃は私たち現生人類の『心』では、二元性(binary)にもとづく思考がおこなわれ、ものごとは「対称性」を実現すベく細心な調整をほどこされていた。
 そこにはまだ『国家』はない。それが出現するのは、この対称性を覆すべくして人間の意識におこった変化をきっかけにしている。現生人類の脳のニューロン組織は、そのときにはもう完成してしまっているから、このときおこる変化は、生物的進化の要素はまったく含まない。脳の構造もまったく同じ、能力にも変化はない。しかし、その内部で『力の配置』の様式が、決定的な変化を起こすのである。
 そのとき、世界に対称性をつくりだそうとしてきた『心』の働きが、急転回を起こして、それまでの首長のかわりには王が出現し、共同体の上に国家というものが生まれることになった。それと同時に、人間と動物との関係、『文化』と『自然』の関係にも、大きな変化が発生して、人間の世界はいまあるような姿へと、急速な変貌をはじめたのだった。
 おりしも世間では、『文明』と『野蛮』の対立をめぐって、さまざまな議論が戦わされているが、このような概念の使用法そのものに、この本は異議を唱えようとしている。話題に登場するのが、熊や山羊や鮭やシャチのことだからといって、私が現実への『不参加』をきめこんでいるなどと、誤解しないでいただきたい。ただ少しばかり想像力を働かせさえすれば、毎回の講義が、リアルタイムで進行中の歴史との、張りつめた緊張関係を保ちながら進められていることが、おわかりいただけると思う。

4 感想 その1
●野蛮について
要約
・9.11は富配分の極端な非対称による。テロも、報復も野蛮。
・狂牛病や口蹄疫罹患動物の悲劇は現代社会の野蛮だ。狩猟社会では動物はこのようには扱われてこなかった。
・野蛮は現代社会に内部に組み込まれている。
・「このような状況からの脱出の糸口を探っていくためには、私たちの世界の内部にどのような道筋で『野蛮』がセットされるようになったのかが、深いレベルで理解されなければなりません。神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を越えて、じつに今日的な意味をもっていると、私は考えるのです。」(16p)
感想
・中沢新一の問題意識は、9.11や狂牛病問題が社会に内蔵されている野蛮に起因するもので、そうした状況脱出の糸口をみつけようとしていることと、神話について考えることが結びついているとしています。

●対称性知性について
要約
・「しかし人間が非対称の非を悟り、人間と動物との聞に対称性を回復していく努力をおこなうときにだけ、世界にはふたたび交通と流動が取り戻されるだろう。このように語る知性ははたして無力なのだろうか。それとも、それを現代に鍛え上げていくことの中から、世界を覆う圧倒的な非対称を内側から解体していく知恵が生まれるのだろうか。いずれにせよ、狂牛病とテロが、対称性の知性をもういちど私たちの世界に呼び覚まそうとしていることだけは、たしかである(「圧倒的な非対称」、『緑の資本論』集英社、2002年)。」(218p)
・「この講義は、そこで立てられた問いに、一つの解答を与えようとしたのでした。対称性の知性を鍛え上げていくことの中から生まれた仏教は、巨大国家つくりだす圧倒的な非対称の状況に拮抗して、世界を変えていく力を発揮してみせたことも、かつてはあったのですから、現代の私たちがそれに勇気を得て、新しい思想の試みに出かけていくことも可能なのだというメッセージを、この講義は伝えようとしました。」(219p)
感想
・もう一度対称性の知性を呼び覚まして世界を変えていくという哲学的メッセージを中沢新一が発していることをこの書で確認しました。
・私の問題意識「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という問に中沢新一が「その通り」と答えたことになります。
・ならば、私の次の問題意識は
1対称性知性回復の道筋は?具体的方法は?対称性知性の中身は?など対称性知性回復の具体化
2その対称性知性を使った現代社会改善の道筋、方法
などに移ります。

5 感想その2
●宮沢賢治「氷河鼠の毛皮」の話は対称性知性を考える上でとても上等な例示であると考えました。
●山羊の神話、熊の神話、シャチの神話、魚の神話など興味深くよみました。対称性の意味が良く理解できました。
●闘牛が旧石器時代の人の活動に起源を有するかもしれないという説明には、虚をつかれたような新鮮さを感じました。
●首長、シャーマン、将軍、王の力の源泉が良くわかりました。ジェロニモの例で国家のない社会の指導者についてよく判りました。
●特に、首長の3つの特性(平和、気前よさ、歌い踊る)が政治の根源をしめしているという論は、その通りと手を打ちました。
●折口信夫の「ふゆ」、花祭、アザラシ結社「ハマツァ」儀礼、「人食い」などの情報を一つの文脈で捉えることができることは痛快です。中沢新一の文章の雄大さです。
●スサノオ神話で説く国家の誕生はわかりやすいものでした。
●文明=野蛮の発生(非対称の発生)を基盤に国家が発生しているから、国家が野蛮を撲滅できないと中沢新一は話しています。アナーキズムにまで論を発展させています。「それはそうだけれども、そこまで掘下げるのならば、そのような論にこれからついていけるのかという気持ちになります。」
●このような心配を払拭するためにであるかのように、「野生の思考」としての仏教を最後に論じ、国家がある社会の中で仏教が「国家というものが誕生して以来押されっぱなしで、すっかりぱっとしないものになっていた、国家を持たない対称性社会の重要な構成原理のいくつかが、文明的に洗練されたかたちにカムフラージュされて、堂々と復活を果たしている様子を、すでに見届けてきました。」(215p)と述べています。
●仏教についての基礎知識が不足する私にとって、仏教が対称性社会復活の起死回生策であるのかどうか、確信は全くありません。とりあえず、中沢新一がそう述べているとだけ理解しておきます。

2011年7月14日木曜日

中沢新一著「人類最古の哲学」を読んで

            中沢新一著「人類最古の哲学」(講談社、2002)

 学習の寄り道になってしまうのですが、中沢新一のカイエ・ソバージュというシリーズを通して読んでみます。全体を通して、「古代社会において人類が開発した思考方法(「モノとの同盟」、「対称性思考」などのキーワードに関連する思考方法)が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでみます。

 最初は「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ」を読みました。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ
発行:講談社
発行年:2002年1月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.2cm)216ページ
ISBN-13:978-4062582315

2 目次
はじめに
序 章 はじまりの哲学
第一章 人類的分布をする神話の謎
第二章 神話論理の好物
第三章 神話としてのシンデレラ
第四章 原シンデレラのほうへ
第五章 中国のシンデレラ
第六章 シンデレラに抗するシンデラレ
第七章 片方の靴の謎
終 章 神話と現実
索 引

3 「はじめに」抜粋
「さてCahier Sauvageの一冊目では、神話が主題となる。いずれのタイプの形而上学革命も起こる以前、とりわけ国家や一神教が発生する以前の人類は(旧石器時代の後期から)、この神話という様式を用いて、宇宙の中における自分たちの位置や、自然の秩序や人生の意味などについて、深い哲学的思考をおこなってきたのである。神話はのちの宗教とはちがって、どんなに幻想的なシチュエーションを思い描いているときにも、現実世界への強烈な関心とその世界を知的に理解したいという欲求を、失うことがない。現実の世界を犠牲にしてまで、観念や幻想の世界に没頭しようという非現実性に陥ることが、神話にはけっしてなかったのである。」

4 感想
●神話が宗教とは違い、現実との関係を保持しながら、(現代において哲学といわれる)思考内容を含んだものであるということが、説得力ある事例で理解することができました。神話が最初の哲学であるとの表現が理解できました。

●神話が「感覚の論理」を使って複雑な思考を、感覚的対立に置き換えて直感できるようにしているという説明は、貴重な知識であると感じました。

●旧石器時代から新石器時代に移行する時期にユーラシアにおいて広く均質な神話が共有され、その核となるようなものの断片が、現在世界各地の神話に残っているという発想は、雄大な発想であり、精度はべつとして、ロマンと魅力に満ちたものです。

●シンデレラの話が汎世界的なものであるということは、以前南方熊楠の本などで接したことがありました。しかし、シンデレラの話を石器時代の死者と生者の間を取り持つシャーマンの話にまで結びつける中沢新一の学習発想力に強く感心しました。シンデレラが落としたガラスの靴にそのような意味があると初めて知りました。

●ケルト、ポルトガル、トルコ、中国のシンデレラ、あるいはベニテングダケの話など、知識としては興味津々でした。

●私は以上のような知識が「現代人類社会を救世する思考」と関連付けられることを期待してよんだのですが、その点では少し期待はずれでした。神話の内容を深く知ることが、アニメ製作などバーチャル面の創造世界に大切であるという例は話されているのですが…。私の期待感があまりに大きすぎたのかもしれません。

●このシリーズは全部読んでみたくなりました。