2011年5月29日日曜日

中沢新一「モノとの同盟」読後の感想 3


3 モノとの同盟
第1節(狩猟社会の思考法の豊かさと広がり)
・タマ、モノをめぐる折口信夫の考えは、モースの「贈与論」から知識を得てヒントとしているとしています。
・タマ-モノとマオリ族のハウ-マウリが共に増殖性や多産性と結ばれておりその思考の類似性について詳しく説明しています。
・マオリの社会では「霊的なもの」と「物質的なもの」は区別されていない、霊と経済とはそこでは一体であり、存在論と幸福論も、そこでは一体をなしているとしています。
・折口信夫の著作(「原始信仰」)を引用しています。
・また、狩猟時代の日本でも「霊的なもの」と「物質的なもの」が区別されていない世界を次のように鮮やかに描いています。
・「狩猟時代の古い日本語をしゃべる人々に、あなたたちの幸福とはなんですか、という質問をしたならば、『それはあなた、さちの力によって、森のタマ(霊力)が動物のからだというモノをまとってあらわれたその動物たちを、うまく仕留めることができることですよ。そうすれば、タマの霊力が私たちにも分け与えられ、生命は増し、私たちはこよない幸福(さち)を味わうこともできるのです』などという答えが、返ってくるにちがいない。『さち』ということばは、この場合、モノという容器(これが狩猟の場合には、動物のからだということになる)に含まれて人間の前にあらわれた森の多産力をあらわすタマを、その容器を破壊することによって、抽象的な力として取り出して、自分たちの体内に取り入れるための、一連の技術(技芸)とそれに使用される道具のことを指していた、と考えることができるだろう。」
・狩猟の過程と鎮魂の過程が鏡面対称のような関係にあることもタマとモノの関係から説明しています。
・そして、このような狩猟社会の思考法が、ピュシスの思考における技術が不合理な「増殖」に結び付けられているのと違い、増殖や変容や分裂に適用され、真理ではなく、人間に具体的な幸福(さち)を与えるものだと説明しています。
・さらに、狩猟社会の思考法の豊かさと広がりを次のように説明しています。「しかも、そのモノ的技術は人間の宗教の根源である『信』ということに、深くかかわってもいる。狩猟社会の人々は、モノ(動物や植物のからだ)に化身した森のタマが、自分たちに自然の賜物を贈与してくれていることを、深く信じていればこそ、あやういギャンブルのような行為を続けていることができる。そこからは『信』も発生すれば、『礼』も発達する。人々は森のタマシヒの本性は『善』であり、その『善』なる力はみずから増殖をおこなって、『ある』の世界を豊かなものにつくりだしている、と信ずることができただろう。人はそれに対して『礼』をつくす必要がある。むさぼらず、必要以上に奪うことなく、大いなるものの前にはつつましく頭を垂れるのだ。」
・著者はこのような「“ある”の哲学」はハイディッガーの哲学より豊かで、その表現はネイティブアメリカンの精神的伝統やチベットの仏教的精神や神道の自然哲学などにかろうじてみいだすことができるだけになってしまったと指摘している。
・この節の最後に、今日の世界で物質的な増殖は恐るべきものであるが、「物の増殖」を包み込む全体性の直観は失われてしまっているために、モノははじめから物でしかなく、価値としての同一性を絶対に失わないと述べています。
・そして結論として、「このような世界を物質主義と呼んで、それに精神なるものをもって対抗しようとしても無駄なことだ、と私は思う。それよりも重要なのは、物質でもなく精神でもない、モノの深さを知って、それを体験することだ。モノは技術の本質をあらわす。そしてそれは同時に、宗教と倫理のはじまりにつながっている。精神と物質を分離した瞬間に、そういうモノは見えなくなってしまうのである。」と述べています。
第1節(狩猟社会の思考法の豊かさと広がり)感想
・この論文の中で最も面白い(私の知的興味を満足させてくれる)部分がこの節です。
・この節で述べていることが、「新しい唯物論の創造」を考えていく一つのヒントになるような気がします。
・狩猟社会の思考法、モノの思考法が現代社会に有用である可能性を、私に予感させてくれる節です。

第2節(キリスト教の「三位一体」による増殖問題の解決)
・著者は「タマ-モノの場合にもハウ-マウリの場合にも、大いなる同一性の内部から増殖ということがおこっている。狩猟社会における『はじまりの』思想家たちは、この同一性をひとつの概念のうちに固定しようとはしなかった」と述べています。
・ユダヤ教やキリスト教のように、不変の同一性のままに「創造されることもなく」「変化することもなく」「正義そのものである」ような神が、ただひとつの神の概念として、大きくクローズアップされてくる宗教においては、現実の生活の中でしめされている恩寵や贈与や増殖の問題を、その神の概念のうちに包摂していくことが、思想家たちに大きな課題をつきつけると著者は述べています。
・そしてキリスト教で、「『正統』と呼ばれた人々はこれを積極的に肯定して、突発的で不可解で予測不能の発出をおこない、とびはねながらいやましに成長をとげていくようなこの霊の活動を、存在(ある)そのものである神の全体性のうちに、正確に位置づける努力をおこなった。ここから、キリスト教に独特な『三位一体』の考えがつくられてきた。」と結論づけています。
第2節(キリスト教の「三位一体」による増殖問題の解決)感想
・キリスト教の「三位一体」が増殖を教理に包摂するための仕掛けであることを知りました。

第3節(「三位一体」論による「資本」を扱える論理の開発)
・著者は、三位一体論によって、人聞ははじめて「資本」というものをあつかえる論理を開発したのであると論じています。
・タマやハウは、そもそものはじめから、「ある」に内在している資本の原理に触れようとしていたとして、次のように説明している。「じっさいハウは、マオリの人々にとって、『越える、越え出ている』『過多、必要とされる尺度を越えた部分、余分』としても理解されていた。タマ-モノについても、同じことが言える。古典や民俗のなかで、タマは多産性の原理のことをあらわしていたが、人類学者によって記録されたハウの現実的な用例に照らし合わせてみると、この多産性のもたらす『儲け』の部分が、のちに幸福をも意味するようになった『さち』に相当していることになるだろう。」
・一方、キリスト教の三位一体論では、深遠なる同一性の場所(御父)から、同質の「御子」が生まれたという信仰上の事実を、聖霊の働きを仲立ちとする、精妙な(パラドックス)論理によって説明することができたと解説しています。
・それは、「もちろん説明といっても、あふれかえる充溢力によって増殖的な働きをおこなう聖霊というものが、はじめから論理の構造のなかにセットされていることによって、恩寵や愛や至福といった信仰的な現実のしめす構造とパラレルな関係になっているだけのことであるから、けっして合理主義の思考者を満足させることなどはできない。その構造とそれを表現する論理とを受け入れることができるためには、信仰上の『回心』が必要である。しかし、ローマの現実の経済生活で日々おこっていた出来事は、三位一体の論理による現実の理解を要求するものである。商人的資本主義は、ものごとの頭部でおこる増殖作用を、日々体験していたのであるから。」と補足説明しています。
・また、「聖霊主義の流行は、あきらかに資本の発達と連動している。人々は、資本主義の精神の形成に聖霊の働きとの類縁性を感知していたのだ」とも述べています。
・著者はマルクスの引用なども行いながら、「内包空間のうちに充満し、増殖し、多様な発芽をおこなう聖霊的な力能は、本質的に『贈与の空間』に所属するものである。ところが、資本主義は人間にとってのいっさいの有用物を商品にしてしまう。そのとき、贈与の空間は瞬時にして消滅する。そして、力能も商品化されて労働力となる。その労働力を利用して、資本はみずからの『岬』において、価値増殖をおこなうのである。」としています。
・最後に、「森のハウは人々に富をもたらし、タマの活動の先端部(そこでタマは身体性の容器であるモノに変容をとげた)では『さち』があらわれた。ところが、資本の生み出す『幸福』とは、ハウやタマや聖霊の亡骸を堆積した、みかけの増殖のうえになりたった幻想なのである。そこには『さち』にはあったようなリアルは最早ない。キリスト教の三位一体論は、資本の出現を準備した。しかし、それが出現してしまったあとでは、古代的な豊穣さを抱えたまま、三位一体論そのものが沈黙のなかに没していくのである。」と結論付けています。
第3節(「三位一体」論による「資本」を扱える論理の開発)感想
・三位一体論が古代的豊穣さであり、それが資本を扱える論理を開発し、資本出現の準備をした。そして、資本主義が生まれると贈与の空間は瞬時に消滅し、リアルな「さち」はなくなったという歴史認識をこの節で知りました。

第4節(モノとの同盟の必要性)
・この論文の結論が「モノとの同盟が必要だ。」です。
・その説明として「新しい同盟は、モノとの間に結ばれなければならない。非人格的な力能であり、結氷寸前の海水のように、物体性のモノや昔の人たちが霊力とも聖霊とも呼んだ非感覚的な内包力などが、混成系をなしながら、複雑な全体運動をおこなっている、そういうモノとの間に、人間は真実の同盟関係をつくりあげることが必要なのである。」と述べています。
・また、「人間がこの同盟者の姿を見失ってすでに久しい。その間に、モノは単なる物(オブジェ)となり、恩寵の増殖力にふくらんでいたその強度の場所は、数だけはおびただしいがすべてが影のような商品につくりかえられて、モノの『ふゆ』の過程は資本の増殖へと変貌してしまった。その結果、かつては人間の世界に豊かなふくらみをあたえていた贈与の原理は、世界の表面からは消えさり、かつて宗教と呼ばれたものの多くの部分が、資本の論理の別表現でしかないさまざまなカルトに頽落していってしまった。」と説明しています。
・また、「モノとの新しい同盟関係の創造が、いまこそ求められている。モノは理性(ことわり)の敵などではないし、ましてや精神に対立する物質性の体現者でもない。モノは瞑く暗い光の中から生まれて、ものごとに『ことわり』をもたらすアレーテイアの明るい光の世界に向かっていったかと思うと、腫を返して、ふたたび瞑い光の奥に引きこもっていこうとする。」とも説明しています。
・著者は、実はギリシア人にとってのピュシスが、はたしてほんとうにハイデッガーが描いたようなものだったかどうかはあやしいものだと疑問を投げかけています。モノと同じように、ピュシスもまた、瞑い光の領域の住人であり、最後までその性格は失われていなかったのではないだろうかと疑問を呈しています。
・「変わってしまったのはピュシスのほうではなく、人間のほうだったのではないか。」と疑問形ですが、著者の考えを述べています。
・著者は、この同盟関係の樹立にさいしては、「技術」というものが大きな意味を持つであろうと述べて、次のように解説しています。「私たちがここで見てきたように、タマとモノとの間に存在する微妙な差異には、内包空間の強度とそれに働く技術との繊細な関係が反映されている。モノはそれ自体が、すでにして道具であり、技術なのであり、そのモノを上手に利用して、人間は長いこと、瞑い光の充てる内在性の空間の冒険をおこない、伝統をつうじて、個人の内的体験を大きな公共的知識の集積体へと成長させてきたのである。」
・そして、次の例をあげています。「たとえば数万年におよぶシャーマニズムの探求は、より高度に洗練された瞑想の体系へと受けつがれて、今日におよんでいる。それは大脳と神経組織の内部でおこる量子論的な過程に踏み込んでいけるような、いくつもの特別な技術を開発してきたが、そのおかげで、人間は瞑い光というものがどのような力能を持ち、内在空間でどのような運動をくりひろげているのかを、つぶさに観察することができるようになった。」
・この論文の最後の文章は宗教の死について、次のように語っています。「宗教は、モノとの新しい同盟をつくりあげるさまざまな実践へと、解体吸収されていくのである。さまざまな実践、それは個人の探求であったり、協同の実践であったり、伝承文化運動の形をとったり、市民運動と呼ばれることもある。あらわれる形はさまざまだ。しかし、それらすべてがひとつの共通点を持つことになるだろう。それは非人格的なモノへの愛である。人間主義の狭量さを超えて、資本のメカニズムをも凌駕して、広々としたモノの領域へと踏み込んでいくのである。そのとき、宗教は死んでよみがえるだろう。宗教がみずからの死復活をおそれてはいない。だいいち、そのことを説いてきたのは、宗教自身だったのだから。」
第4節(モノとの同盟の必要性)感想
・モノとの同盟とは、一言でいえば、狩猟社会の思考法の復活であると理解しました。
・モノとの同盟では技術が大切であり、それはたとえば瞑想であり、それにより内在空間の運動をつぶさに観察できるとの記述については、その凄さを知識として、より具体的に知りたいと思います。
・狩猟社会の思考法、モノの思考法の有用性、必要性は肯定的な感想を持ちましたが、現実世界でこれらの思考法を復活させる糸口の活動についての情報はこの論文から得られませんでした。
・瞑想がモノの思考復活の糸口の一つかもしれませんが、知識がないので、分りません。
・現実世界で、狩猟社会の思考法復活をどのように行うのか、中沢新一のこの論文以降の著作や他の識者の著作を読んで参考にしたいと思います。
・この論文をきっかけにして折口信夫などの著作物にアクセスすることになりました。狩猟時代(縄文時代)の思考法について、今後幅広い学習を展開していけそうです。

中沢新一「モノとの同盟」読後の感想 2


2 光の抗するモノ
第1節(日本語のモノと古代ギリシャ語のピュシスの類縁性と異質性)
・「モノ」は3つの仕方で「ある」の事態に関わっていると説明しています。(「ある=あらわれる」の全ての位相と過程にかかわる。)
・モノとは第1に、タマ=霊力の強度を包み込み収める容器のことを指し、象徴の形態面をあらわし、その内容がタマであるとしています。
・モノとは第2に、「内包空間で充実しきったタマの霊力を、外の世界に引き出したり、人体に付着させてその人の威力としたりするさいに、霊力の引き出しや付着を媒介する道具として用いられるもののことである。」としています。
・モノとは第3に、「ある」がはらんでいる否定性を受け入れるために用意された、記号的な容器としています。純粋肯定性であるタマが内包空間を出て外気に触れると、避けがたい衰え(ケ)が発生するとしています。それをモノが引き受ける(モノノケ)と説明しています。
・従って、日本語の「記憶」には物体性のモノの中に、存在の根源を表すモノの意味が刻み込まれていて、モノはハイディッガーのいう「存在」の事態へと深くかかわるとしています。
・次いで、古代ギリシャ語のピュシス1語が、自然物をも言い表せば、そうした自然物の全体が「ある」ものとして「立ち現われる」仕方そのものをも、言い表そうとしていると説明しています。
・フッサールが「現象」ということばでしめそうとした過程の全体を現すという意味で、モノとピュシスの共通性を説明しています。
・しかし、モノの「あらわれ」とピュシスの「立ち現われ」の内容には重大な異質性があること指摘しています。
・ピュシス的技術によって強いバイアスを受けた思考から、ヨーロッパの原理が生まれ、「世界のヨーロッパ化」が行われたと説明しています。
・それに対してモノ的「技術」は、こんにちのグローバル・スタンダードであるピュシス的「技術」がっくりだす世界とは、異質な世界をつくりだす能力をひめていると説明しています。
・そして、「モノとタマをめぐる日本語の思考には、ピュシスをめぐるギリシア的思考に優に匹敵する強靭さと立体性がそなわっているようであるので、そのままのかたちで、別に現代的な補強などを加えなくとも、モノはりっぱにピュシスをめぐるハイデツガーの思索などと、互角に渡りあうことも可能なのである。」と結論付けています。
第1節(日本語のモノと古代ギリシャ語のピュシスの類縁性と異質性)感想
・この節の説明で、存在にかかわる日本と西欧のコトバの類縁性と異質性の理解が進みました。
・モノの思考が、西欧のピュシス思考に互角に渡り合えるだけの強靭さ、立体性を備えているということの気づき(評価)が、著者に「新しい唯物論創造」とまで言わせた原動力になっている想像しました。

第2節(明るさや透明さを事物にもたらす真理と関わるピュシス)
・色に喩えると、モノは雑色のまだら色、ピュシスは純粋な単光色と説明しています。
・ハイディッガーの著作を引用しながら、著者はピュシスを、閉ざされたり、覆い隠されたり、中に折り畳まれている状態から、覆いを取られ、聞かれた、平明な状態のうちに出てくるという意味での立ち現われること、と説明しています。
・また著者は、ピュシスはそれ自体が、「現象学」という近代の哲学のめざしたものそのものを、みごとに表現するものとなっているとして、そのことについて説明しています。
・現象学は、経験の本質を、光や「ことわり」の明るさのなかへの出来(しゅったい)としてとらえて、その経験の確実な基盤ないし起源を探し出そうとしてきたと説明しています。
・著者は次の文章でこの節を結論付けている。「ピュシス=西欧における『ある』をめぐる思考のいっさいが、ここから発生している。その本質は、自然のすべてを思考の対象の位置に還元して、理解と操作の対象としていこうとしている近代科学においでさえも、表面からは覆い隠されてしまっているが、瞑い起源の場所で活動をつづけている。現象学はそのような隠蔽された起源の場所を、ふたたび開かれた明るさのうちに持ち来たらそうとしてきたのだ。」
第2節(明るさや透明さを事物にもたらす真理と関わるピュシス)感想
・ピュシスが根源語となり、「ある」の西欧的思考が生まれた。そして、ハイディッガーを経て現在「現象学」がこのピュシスの解釈により「隠蔽された起源の場所を、ふたたび開かれた明るさのうちに持ち来たらそうと」しているという西欧哲学の動きを理解しました。

第3節(モノとピュシスの違い)
・著者はピュシスについて次のように説明しています。「ピュシスが瞑さの中から明るさ(開かれ)のうちに『立ち現われ』てくるのは、みずからのうちに光を内蔵していたからである。この光は打ち開かれた状態を自分の本性としていて、そういうみずからの本性を実現するために、覆い隠していたものを破って、広がりのなかに自分を放っていくのである。」
・一方、モノについて、ピュシスとの対比として次のように説明しています。「モノの場合は違う。タマが自分を覆い隠す『かひ』の内部で成長をとげるのは、植物の根が土中で増えていくように、自分を分裂させることによって、みずからにみなぎる強度の膨張に耐えるためなのだ。モノには隠されたもの、隠匿されたものなどはない。内包空間での強度の膨張(なぜそれがおこるのかは、思考されない。おそらくはそれは思考の外部として、内包性としてすら思考しえないものであると考えられたからではないだろうか)によって、タマは分裂を重ね、おびただしい増殖をとげていく。そして、とうとう内包空間での緊張に耐え得なくなった『タマ』強度が、『かひ』を破って、外気のなかに『あらはれる』。その瞬間にタマの組成には根本的な変容がおこって、存在の卵の中から雛鳥が出てくる。しかし、この存在の雛鳥が光ではないことに注意しよう。自分を不透明にする皮膚と外気の中での生活に耐えるための体毛に覆われて、光でもなく闇でもなく、まさに光と瞑さの雑色の混成系として、ひとつの『ある』が出現する。厳密な意味でいえば、これは『光の哲学』である現象学のとらえようとしてきた『ある』のはじまりではない。」
・ユダヤ教の光の意味の言葉も日本語のモノとつながっていると述べている。
・最後に、モノに触れて、「ピュシス的な思考圏に生まれた現象学は、エロティック化の変容をこうむることになるだろう。」と述べている。また「そうなったときに、ピュシスの思考に深くつながれた西欧の技術をめぐる思考には、はたしてどのような変容が生ずることになるだろうか。モノとタマが呼吸している陰翳にみちた瞑い光が、どのような技術の思考を生み出すだろうかという、まだ誰によっても答えられたことのない問である。」と結んでいる。
第3節(モノとピュシスの違い)感想
・モノとピュシスの思考の相違について、一応理解できました。
・西欧の哲学としての現象学がモノから受ける影響によって変容をこうむることになり、西欧の技術をめぐる思考がどうなるか、ということと、モノがどのような技術の思考を生み出すか、誰によっても答えられたことがないと著者は言っています。つまり、著者が始めて、こうした問を発したということだと思います。

第4節(モノ思考による「陰翳の技術」の可能性)
・著者はレヴィナスの「現象学のエロティック化」を紹介し、私たちは『技術論のエロティック化』を目指し、それが今日の必需品だとしています。
・また、ハイディッガーの「技術論」における反省(西欧的・ヨーロッパ的思惟が従来「存在」という名の下に描き立てねばならなかったものの本来の特質が、どこに潜み、どこに自らを隠蔽しているかを、反省すること)を紹介しています。
・そして、その反省を西欧的思惟とは異なるモノをめぐる思考を足がかりに行うとしています。
・反省の最良の材料は、「もしも技術にかかわることの本質がアレーテイア的非隠匿性とそこから派生する「立て上げ」「挑発する」近代技術というものとは違うふうに思考されるのだとしたら、それがいったいどんな形態をとることになるかを探ること」だとしています。
・最後に「モノをめぐる思考はしかも民族的な文化の境界をこえて、多くの文化の中で類似の深化と発達をとげてきた。その意味では、いまも惑星的規模のスタンダードとなった西欧的なアレーテイアの磁場におかれた存在思考よりも、モノ的な存在思考のほうがはるかに普遍性をもった思考法なのである。そこから「陰翳の技術」とでも呼ぶべき、エロティックな別の種類の技術の原理を引き出してくることが可能である。」と述べています。
第4節(モノ思考による「陰翳の技術」の可能性)感想
・モノをめぐる思考により新しい種類の技術原理をつくることが可能であるとし、それの参考として、「技術論のエロティック化」「陰翳の技術」などのキーワードが登場します。
・今の自分の知識量では残念ながら「技術論のエロティック化」「陰翳の技術」で著者が言わんとするイメージが半分程霧の中です。ですから、「モノをめぐる思考により新しい種類の技術原理をつくることが可能」と著者が言っていても、それが本当に可能であるのか、自分では判断(イメージ)できません。
・自分にとって、レヴィナスの著書や現象学について理解する必要があります。
(つづく)

中沢新一「モノとの同盟」読後の感想 1


 中沢新一「緑の資本論」の付録論文「モノとの同盟」をパラパラめくっているうちに、ついつい引き込まれてしました。予定外でしたが、短い論文でしたので、一気に読みきりました。
いろいろな感想を持ちましたので、メモを残しました。

●中沢新一「モノとの同盟」の目次 (節区分は著者による、節見出しは学習者による)
1モノへ向かって
 第1節(導入)
 第2節(上代日本語のモノの意味)
 第3節(モノの技芸の実際)
 第4節(民俗学の必要性 生命現象の物質還元を受けつけないモノの活動領域の存在)
2光に抗するモノ
 第1節(日本語のモノと古代ギリシャ語のピュシスの類縁性と異質性)
 第2節(明るさや透明さを事物にもたらす真理と関わるピュシス)
 第3節(モノとピュシスの違い)
 第4節(モノ思考による「陰翳の技術」の可能性)
3モノとの同盟
 第1節(狩猟社会の思考法の豊かさと広がり)
 第2節(キリスト教の「三位一体」による増殖問題の解決)
 第3節(「三位一体」論による「資本」を扱える論理の開発)
 第4節(モノとの同盟の必要性)


1 モノへ向かって
第1節(導入)
・現代日本語の「もの【物】」の国語辞典における意味の深さを最初に紹介しています。
・次いで、現代の、生命を非人格的なモノとして取り扱う技術が、幸福とともに災禍をももたらしかねないと警鐘を発し、その理由として、生命が操作可能な外延的対象としてのモノにとどまらず、「鬼や悪霊など、正体のとらえにくい対象」などの内包的なモノにも深くかかわっていることを述べています。
・この例から、「モノを単なる物体である状態から解放していかなければならない。」と述べています。
・そして、「クルミの殻のように固いモノ概念の内部に、複雑な構造と運動を発見していかなければならない。こんにちもっとも必要とされているもの、それはモノをめぐる新しい思考を創造することだ。これを新しい唯物論の創造と呼んでも、的ははずれてはいない。」と結んでいます。
第1節(導入)についての感想
・この論文では「モノ」と書いて読み手の意識集中を促していますが、「モノ」は「もの【物】」であると理解します。
・モノを外延的対象としてのみ扱う昨今の風潮に警鐘を鳴らし、モノ概念の中に内包的な意味を考えることによって、モノをめぐる新しい思考創造を中沢新一は目指していると理解しました。
・モノの内包的意味の例として「モノノケ」や「モノに憑かれる」のモノが紹介されていることから、「内包的」の意味は「人の心内部の現象にかかわる」という意味であることを理解しました。

第2節(上代日本語のモノの意味)
・著者は物部氏の名前のモノの意味を宇仁新次郎氏の引用文で説明し、仏教以前の古い形態の鎮魂法とそこから派生する裁判や軍事の技にもかかわり、大きな影響力をもったと考えています。つまり、物部氏は文字通りモノを取り扱う豪族で、土地の精霊の威力を道具によって捕獲・掌握して管理し、裁判や軍事の技に大きな影響力を持ち、天皇に仕えていたと説明しています。
・しかし、厩戸皇子や蘇我馬子などは、土地の精霊を直接的に象徴的な道具によって掌握する伝統的な技芸とそこから派生する権力をあえて否定して、外来の普遍レベルに立つ仏教を受け入れようとしたとしています。
・ここにはげしい抗争が発生し、武力が動員されて、物部守屋は蘇我馬子を中心とする豪族連合によって減ぼされたとしています。モノの技芸の敗北とともに、法(律令)の整備が始まると説明しています。
第2節(上代日本語のモノの意味)の感想
・物部氏のモノの技芸が敗北して、律令社会がスタートしたということが、上代日本におけるモノの技芸の没落を意味していると、よく理解できます。

第3節(モノの技芸の実際)
・筆者は、物部氏が管理していたモノの技芸について説明しています。十種の神宝(鏡や剣や特殊な布や玉)を使って、「死せる者も生き返る」ような力を発揮させ、その力は非感覚的で内包性の力であるから、これを霊力ともタマともよぶことができるだろうとしています。それは、いわゆるタマフリ、鎮魂の方法であるとしています。
・折口信夫の「霊魂の話し」を引用してタマ(「たまご」や「かひ」の内部で成長をとげる)、「ある(存在)」(殻を破ってこの世界にあらわれる)、モノ(物体性をそなえる。道具性を関係を持つ。)などの関係を説明しています。
・モノとモノイミの内面的なつながりについても論じています。
・モノということばは、内包量であるタマが外延的な世界の「外気」に触れる瞬間に発生する本質をとらえようとしていると説明している。
・ことばのひだは複雑に折り込まれ、タマフリに用いられる鏡や剣や玉そのものが、モノと呼ばれる。
第3節(モノの技芸の実際)の感想
・知識として、十種の神宝や鎮魂、タマフリなどについてこれから学ぶこととします。その知識がないとモノの技芸の真の意味がわかりません。WEBで調べると、「神道では、生者の魂は不安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考える。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが『たましずめ』である。『たまふり』は魂を外から揺すって魂に活力を与えることである。」(ウィキペディア「鎮魂」)と出ており、死者の霊を鎮めるという意味よりはるかに広大な意味を有しているようです。折口信夫の「まれびと」論が参考になるとも書いてあります。
・折口信夫の「鎮魂の話」は必読であると感じました。岩井國臣「ジオパークについて」→中沢新一「モノとの同盟」→折口信夫「鎮魂の話」と引用されている知識をより深く理解しようする旅が発生しています。読みたい本が幾何級数的に増大するので、限られた時間の有効活用法がテーマになりそうです。

第4節(民俗学の必要性 生命現象の物質還元を受けつけないモノの活動領域の存在)
・物部氏は豪族の神宝=モノ(大地と結びついたタマ=霊力が込められている)を大地と切り離して大和で集中管理して、天皇に豪族を服属させたことが説明されています。
・その時代の権力は内包から外延にいたる横断的な性格をもっており、その横断能力が技芸とか芸能とか技術とか言われたと説明しています。
・物部氏没落以後の鎮魂技芸の拡散伝承例として、物部氏に繋がる他地方の神社、大本教、修験道、四国山中の「いざなぎ流」、奥三河から信州・遠州の境にかけての「花祭り」が紹介されています。
・生命現象がゲノムのような物質的過程に還元され、技術によって操作され、商品化される現代にあって、民俗学はそのような還元や操作を受けつけないモノの活動の領域がたしかに存在して、いまも活動を続けていることをあきらかにしようとするのであると述べています。
第4節(民俗学の必要性 生命現象の物質還元を受けつけないモノの活動領域の存在)の感想
・内包から外延にいたる横断的な能力による権力とは、魔術師(人の操作ができる祈祷師)が首領で軍や警察、行政機関を自由に動員できる状態ということと理解します。人集団の心理を操作して行動に動員できる能力を警察や軍事、生産に活用して社会が動いたと理解します。
・物部氏の鎮魂技法の伝承を知り(民俗学)、そこが生命現象を物質的に還元し操作することを受け付けない領域であるとしていることは、よく理解できます。
・著者は「民俗学的なモノの深みへと降り立っていく実践」のことを「新しい唯物論の創造」と呼んでいます。これからの活動イメージの旗を立てたというふうに理解します。
・新しい唯物論の有用性・可能性が、以下の章でどのように明らかになるのか楽しみにして、読書を続けます。
(つづく)

2011年5月27日金曜日

中沢新一著「緑の資本論」紹介

中沢新一著「緑の資本論」(集英社、2002)

 テキスト「ジオパークについて」の「7森岡正博の『生命の哲学』」の後半で、贈与に関連してタマとモノの説明、あるいは「“ある”の哲学」が触れられています。
 またテキスト著者の主著である「劇場国家にっぽん」では「モノとの同盟」が主要なキーワードになっています。「モノとの同盟」の文脈の中で贈与空間の復活を論じています。
 しかし、「タマとモノ」、「モノとの同盟」について言葉面以上に理解が深まらないので、思い切って中沢新一「緑の資本論」収録論文である「モノとの同盟」と、併載されている論文を読むことにしました。
 ここでは「緑の資本論」の紹介をします。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:緑の資本論
発行:集英社
発行年月日:2002年5月10日
体裁:単行本(18.8×13.8×2.4cm)204ページ
ISBN-13:978-4087745764

2 目次
序文
圧倒的な非対称
緑の資本論
シュトックハウゼン事件
appendix モノとの同盟

3 「序文」抜粋
「九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れ落ちていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時に、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった。その鏡は無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。なんの歪みもなく、なんの曇りもなく、なんの希望も、そしてなんの絶望もなく、鏡は静かに、幻想の雲でできた世界の姿を、くっきりと浮かび上がらせてみせた。
その鏡の出現を見てしまってからは、思考の回転はもはやもとのままでいるわけにはいかなくなった。いままでの体制は総崩れ、これからはなにもかもがむきだしのリアルワールドで、思考されなければならない。なにかが口火を切ってしまったのだ。私はもう思考の主人ではいられなくなった。私が思考するのではなく、思考のほうが私を駆り立てて、ことばに向かわせるのである。こうして驚くほどの短期間に、三編の文章が書き上げられることになった。
『圧倒的な非対称』では、思考は一人のルソーとなって、国家の野蛮を告発しようとしている。
(中略)
イスラームに対する偏見や無知への憤りが、『緑の資本論』を書いている。
(中略)
『シュトックハウゼン事件』は、私自身の個人的体験に深い関わりをもっている。
(中略)
『モノとの同盟」という文章だけが、九月十一日以前の、比較的のどかな時間の中で書かれている。これをAppendixとしてこの本に収録したのは、生命過程と魔術の原理の間に共通する増殖性の問題が、貨幣の世界に移し替えられると、商品交換の先端部分で発生する資本の増殖作用に姿を変えていくありさまが、そこにはスケッチされているからで、『緑の資本論』の補強道具となることが期待されたわけである。 2002年3月8日」

4 私のメモ
 この本では付録ですが、岩井先生の著書では「モノとの同盟」が重要なキーワードになっているので、まず「モノとの同盟」について読んでみたいと思います。
 2001年9月11日の出来事に会い、思考が中沢新一を駆り立てたということです。その内容をこの本から理解したいと思います。同時に、2011年3月11日の出来事に会い、思考が中沢新一を駆り立てているに違いないと想像します。その内容もいつか知りたいところです。そして9月11日の時と比較してみたいと思います。

2011年5月21日土曜日

カミと「もの」

大護八郎「石神信仰」を読む1 カミと「もの」



 現在、大護八郎の大著「石神信仰」を読んでいます。1000ページ近くありますので、一気に読みきることが出来ないので、面白いと思ったところがあったときにメモを書きます。

 「第1章日本の神 第1節二つの神 1二つの神の存在の事実」では神を「水平移動の神と垂直移動の神」、「海からくる神天から降る神」、「天津神と国津神」、「高天ヶ原の神と出雲の神」、「日本神話の神の系統」、「身分の高い神・低い神」について論じています。

 続く「2二つの神の存在理由」では「外来信仰の混在」、「民族の混合と各信仰の混在」、「狩猟時代の神と農耕時代の神」、「アニミズム時代と人格神時代」、「表層文化と基層文化」について論じています。

 続く「3日本民族論」では「単一民族か複合民族か」、「日本民族論の移り」、「旧石器時代人」、「縄文時代人」、「弥生時代人」、「騎馬民族征服国家論」、「他の諸学からみた日本民族論」、「南北二系統論」について論じています。

 以上の文章は大変興味がありますが、この著書の発行が1977年であり、既に35年近く前であることを考えると、学説紹介が主であるこの部分は後日別の最新情報で補うこととし、今回メモは作成しませんでした。

 「第1章日本の神 第1節二つの神」の最後の項である「4神観念の変遷」では「神は進化する」、「民話の中の神」、「神話の中の神」、「祖霊信仰に帰一」が論じられています。

 この部分は著者の最も言いたい部分の一つであり、私にとっても「もの」の意味が始めてよくわかった文章でもありますので、抜粋し、メモを作成しました。
【 】は引用者が作成

【カミと「もの」】
石神信仰(ページ80)
第1章 日本の神 第1節 二つの神 4 神観念の変遷 神話の中の神
(前略)
「これらの地方地方の、それぞれの生活に密着したカミが、やがて皇室を中心とする農業国として日本が統一されてきた記紀の頃には、農業神がしだいに最高神とされ、豊受大神が天照大神とともに至高神になっていったのである。それとともに『この国のひらけ初めの時から、神より一段低い地位にある精霊の階級に属する者をひっくるめてもの(物)と呼んで神に対立させた。精霊を屈服させるための語りものがたり(物語)といい、精霊による災いをもののけ(物の化)などと用いていることに、その性格が伺われるとおり、群りはびこって騒ぎたてる連集であった。草木とともに石とてその仲間なのだが、神が憑り、あるいは祭壇となり、境を護るものであるので、その性格の向上を村人たちは 感じて、神としての待遇を古くから与えている。(13)』ことになったと考えられる。
ここにいうものは、昇華されたカミが考えられるに及んでものとして一段低い精霊とみられるにいたったこと、この草や石と同様であるが、精霊もやがては昇華されて山のカミや海のカミという抽象化されたものになり『常世のカミ=天つカミが古代の固有信仰の基本となるカミそのものだったのである。そのカミは居場所によって常世のカミ(海)、天つカミ(空)とも山のカミ、田のカミとも考えられた。地上に降り立って村国(大地)の守護霊とみられ、それは国つカミ、国霊ともよばれた、そのカミは祖先神=祖霊化された。また訪れるカミの季節によって正月神とも盆の祖霊とも観念された。こういう神が全国各地の村国ごとにそれぞれ人格化・祖先神化されて、おもいおもいの固有名詞をつけられたのである。……これらの無数の神々が、大和朝廷に村国より服従の誓いとして奉られたので、日本のカミは八百万のカミになるのは必定だった。(14)』といわれる常世の神は、ずっと昇華された時代の神であり、記紀の時代はその昇華が中央ではかなり進んだ時代であったのである。しかしその至高神となった伊勢神宮も、五世紀以降天皇勢力の伊勢地方進出にともなって天皇家と結びつき、その祖先神と合体されたものであることは、多くの学者の指摘するところである。」
(13)石上堅著「石の伝説」179p
(14)筑紫申真著「日本の神話」123p
アンダーライン部分は原文では傍点

 上記引用文から、皇室を中心とする日本統一の過程で、精霊も昇華されて山のカミ、海のカミになり、常世のカミになっていったプロセスがあること。このプロセスの中で、残った精霊を神と対立する一段低い言葉として「もの」扱いしたことが、よく理解できました。

 岩井國臣先生が強調される中沢新一の「モノとの同盟」の「モノ」の意味に近づいてきたと思います。

2011年5月20日金曜日

小林達雄著「縄文人の世界」紹介

            小林達雄著「縄文人の世界」(朝日選書、1996)

 テキスト「ジオパークについて」の「6新しい文明の原理、共生」の参考引用資料である小林達雄著「縄文の思考」を以前に記事で紹介しましたが、その著者の代表書である「縄文人の世界」を読んでみたくなりましたので紹介します。

1 諸元
著者:小林達雄
書名:縄文人の世界
発行:朝日新聞社
発行年月日:1996年7月25日
体裁:新書本(18.8×12.7×1.3cm)227ページ
ISBN-4: 02-259657-0

2 目次
まえがき―縄文との対話を
第1章 縄文革命の始まり
第2章 縄文土器は語る
第3章 縄文のクニグニ
第4章 縄文姿勢方針―多種多様な食利用
第5章 集落と社会
第6章 精神世界を探る
第7章 縄文人の心象
あとがき

3 「まえがき」抜粋
 著者は「まえがき」で、縄文における栽培が多種多様の資源を分け隔てなく利用して安定を図るという方針に沿った一要素であり、弥生時代以降の農耕が本当に縄文姿勢方針に優るものであるかどうか疑問を投げかけています。また縄文文化の現代的評価が現代に表面化しつつある課題を解決する緒が見えてくるに違いないと述べています。この本で著者が一番言いたいことは、この点であると思いますので、その部分を抜粋しました。

(前略)
「縄文文化は、狩猟・漁撈・採集経済を基盤としており、農耕経済への前進の展望を欠く、まさに停滞的な文化であるとされてきた。それにもかかわらず、研究の進捗につれて、定着的なムラや豊かな物質文化の実態が明らかにされた。すると、これほどのレベルは到底、狩猟採集民ごときに達成されるものではなかろう。すでに農耕を始めていたに違いない。この考えは、とりわけ前向きの姿勢をとる研究者の代表的な仮説へと膨らんでいき、その証拠固めが始まった。たしかに栽培していたと思われるヒョウタンやエゴマ、リヨクトウその他が数えあげられ、やはり農耕は行われていた、縄文はそんなに遅れたものではなかったのだ、と胸をなで下ろすのだった。わが日本の縄文の面白は保たれた、というわけだ。
しかし、栽培と農耕を混同してはならない。農耕は、いくつかの要素をもち、その組み合わせによって独自の農耕体系を備えたものである。つまり、少数の特定の栽培作物に時間、人手を投入して増収を図る。そして増収の目論見を効率よく成就できるような社会的な仕組みが組織される。さらに農地の拡大を指向する過程で集団間の戦争を惹起し、やがて地域的統合から国家の形成へと発展する。縄文における栽培は、こうした農耕コンプレックス(複合体)と異なり、多種多様な資源を分け隔でなく利用して安定を図るという方針(私はこれを『縄文姿勢方針』と呼んでいるが)に沿った一要素なのであり、弥生時代以降の農耕姿勢方針とは真っ向から対立する。農耕が本当に縄文姿勢方針に優るものかどうか、人類史あるいは自然と人間とのかかわりの観点から真剣に検討する必要がある。
そのためにも、縄文文化の衣食住を詳細に知ることで、知的満足を得るというだけにとどまらず、そうした縄文文化の事柄のそれぞれがもつ現代的な意義を探り、評価に取り組まねばならない。それによって、初めて私たちが身をおく現代に表面化しつつある課題を解決する緒が見えてくるに違いない。いま、まさに縄文との対話が必要とされているのである。」


4 私のメモ
 テキスト「ジオパークについて」では小林達雄「縄文の思考」について、ハラ、ムラ、イエなどの空間的概念、縄文人の生態系的調和を崩さない生き方「縄文姿勢方針」などに着目して引用・参考にしています。このような概念や生き方についてより深く知るために芋づる式にこの「縄文人の世界」を読み始めました。
 2000年に発覚した旧石器の捏造事件前の著作であるため、縄文に先立つ旧石器時代の記述には訂正しなければならない部分もあるようですが、それはこの本の価値をいささかも低めるものではないと思います。
 私の趣味ブログ「花見川流域を歩く」でも花見川流域の縄文時代に興味が生まれつつあります。例えば、地名について、花見川の「花見」や近傍地名の「花島」、「亥鼻」、「花輪」などの「ハナ」は縄文時代の「アイヌの言葉」で「鼻」「端」と同じ意味であるなどと戦前の柳田國男の著作(「地名の研究」)を参考にした記事を書きました。(ブログ「花見川流域を歩く」花見川の語源花見川の語源2)しかし、柳田國男の時代から較べると現代では縄文語、縄文語を話す縄文人、縄文人とアイヌとの関わりなど、縄文文化にかかわる知識が大幅に増えていると思います。小林達雄の著書を導入として縄文時代の文化に関する情報を積極的に仕入れたいと思っています。

2011年5月18日水曜日

ジオパークとは(転載)


 岩井國臣先生の「ジオパークについて」の「14章ジオパークとは」は著者のジオパークについての具体的イメージが箇条書きで、判りやすく表現されていますので、この欄にも転載させていただきます。

14、ジオパークとは?

* ジオパークとは、地域の人々が自ら作る公園であり、観光を強く意識して官民が協力して地域全体を整備するものである。

* その場合のコンセプトは、ジオ(地球)であり、地域の共通感覚は、国内の他地域との繋がり、東アジアとの繋がり、アメリカとの繋がり、太平洋諸島との繋がり、世界との繋がり、さらには宇宙との繋がりを強く意識した・・・・ 地球的感覚である。

* それらの繋がりは、関係と言い換えてもいいが、地質学的見地、地理学的見地、生態系学的見地、歴史学的見地、文化的見地から学問的、専門的に検討される。

* したがって、ジオパークは、地質公園と呼んでもいいし、地理公園と呼んでもいいし、生態系公園と呼んでもいいし、歴史公園と呼んでもいいし、文化公園と呼んでもいいが、それらを総称して地球公園と呼ぶこともできよう。

* そして、基本的に大事なことは、地理学者を始め専門家の力によって、その地域の観光資源、つまりその地域の光り輝くものとは何か、そのことが地域の人々に 十分理解されていなければならないことである。(注:地理学との関係は後日触れる。)

* 近年、地球学というまったく新しい学問が始まっているが、日本ジオパークは、それとのネットワークをつくることが望ましい。「地球学とは、フレームを地球にとり、テーマとしては人間圏に関することがらを新たな方法論を用いて論じる知的体系」・・・と言われている。

* 日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」にあり、そういう意味では、日本では歴史的に見て「平和の原理」が働いてきたといえる。それを 「平和の論理」として世界の人びとに語って行かなければならない。日本のジオパークは、そういうわが国における「違いを認める文化」というものをどのよう に世界の人々に説明していくか・という・・・・大変むつかしい課題に挑戦するものでもある。

*「違いを認める文化」を語る場所は当然歴史的遺産が中心になるが、その他新たな場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だが、「和のスピリット」というものが強く意識されなければならない。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間であるが、空、地質、水に関わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう空間になるよううまく演出されることが望ましい。

* その上で、地域の人々は、自らの地域に誇りを持ちながら、自らの知見と感覚によって、観光客のためのインフラ整備をする。

* 日本のジオパークは、観光開発として整備するだけでなく、地域の人々の感性に強い影響を与える基本的な生活環境として整備されなければならない。風土もそうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化的な環境などがある。そういった環境がうまく整えられた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わぬ経を詠む・・・という訳だ。

* 地域の人々が自ら活動するもっとも基本的なものは、ソフト面ではお祭りその他の芸術文化活動であり、ハード面では地域の環境整備と手作りの案内板やベンチ などの利便施設の整備である。

* 地質学的な説明などの地球学的な説明は、ジオパークのもっとも根幹をなすものであるにもかかわらず、きわめて難しいので、インストラクターの活動が不可欠である。

* つまり、ジオパークは地域の人々が主役であり、インストラクターが脇役となる。民間企業と行政はそれらを支えるという役割分担となる。清水博の「場の思想」が言うように、地域の人びとは「メディオン」となって、一人一人の存在感を示しながら、舞台の上の即興劇をイキイキと演じなければなら ない。そして、地域の人びとがイキイキと存在感を示しながら生きていくためには、競争社会ではダメであって、市場経済の弊害を緩和しなければならない。そのためには、贈与経済の部分を増やしていく必要があり、ミヒャエル・エンデの言うところの「地域通貨」の普及が不可欠であると思われる。かかる観点から、 日本のジオパークは、そういう「地域通貨」という新しい課題に挑戦することが必要かもしれない。

* 民間企業は、博物館や宿泊施設などのサービス施設を整備するものとするが、その際、地域の光り輝くものが何か、その地域と他地域との繋がりはどうなっているか、芸術的に実感できるよう工夫されていなければならない。実感できるということは、理屈でなく感覚的に虎まえることができるという意味である。

*行政は、地域の人々と連携して、道路や河川の環境整備を行う。特に、遊歩道の整備に当たっては、地域の環境整備と手作りの案内板やベンチなどの利便施設の整備が不可欠である。

* ジオパークは,もちろんユネスコに支援された世界ジオパークから,国立レベルのもの,都道府県レベルのものもあって良いし,市町村レベルのもの,地区レベルのもの或はポケットパーク的なものもあっても良い。

テキストに11~14を追加

  シビックジャーナリスト倶楽部のページに岩井國臣先生から、テキスト「ジオパークについて」の追加投稿がありました。
追加投稿は次の4章です。

11 日本ジオパーク・モデル化研究会について-その設立の趣旨
12 地球学とは
13 場所の論理
14 ジオパークとは

 この4章について、本ブログのテキスト原稿(ページ「テキスト『ジオパークについて』」)に反映させましたので報告します。

2011年5月15日日曜日

テキストに8祈りの力、9「平和の論理」をどう語るか、10清水博の「場の思想」を追加


 シビックジャーナリスト倶楽部のページに岩井國臣先生から、テキスト「ジオパークについて」の追加投稿がありました。
 追加投稿は次の3章です。

8 祈りの力
9「平和の論理」をどう語るか
10清水博の「場の思想」

 この3章について、本ブログのテキスト原稿(ページ「テキスト『ジオパークについて』)に反映させましたので報告します。

2011年5月14日土曜日

大護八郎著「石神信仰」のpdf化

 以前の記事で紹介しているように、私は製本された書物を物理的に解体して、スキャンしpdf化し、それをOCR機能により透明テキスト付のファイルにして利用しています。いわゆる「自炊」です。

参考までに大著「石神信仰」のpdf化の作業について報告します。

1 「石神信仰」の解体
「石神信仰」は昭和52年発行ですでに絶版となっていたのでWEB経由で古書店から購入しました。背表紙の厚さが6.5センチあり、布張りで書名は銀箔押しで箱付という造詣的価値すらある「本」です。書棚に飾るにはうってつけです。しかし、利用面からいえば、物的本では私の場合価値が少ないので、心を鬼にして解体しました。
解体の手順は次の通りです。
ア カッターナイフで表紙と本体を分離する。
イ 本体の背に残る糊や当紙を取り、カッターナイフで背に切れ目をいれて、本体を厚さ1センチ程度の部分(7つの部分)に分ける。
ウ 7つの部分を裁断機で裁断して綴じ部分をなくす。(1枚1枚にする)
解体に要した時間は5分程度です。

            解体途中の「石神信仰」

2 「石神信仰」のスキャン
Scansnapという自炊用スキャナーでスキャンしました。自動的にpdf化する設定にしておきました。スキャンにかかった時間は1時間程度です。

3 透明テキスト生成
Adobe Acrobatでpdfファイルを表示し、Adobe AcrobatのOCR機能を使って透明テキストを生成しました。時間は約5時間かかりました。1時間に付き200ページのスピードでした。この工程には時間がかかるので、パソコンの他の利用をしない時間に、パソコンにさせます。
大著「石神信仰」を透明テキスト付きPDFにすることにより、 
ア パソコン読書ができるので、読書の意欲が湧き、能率があがる。
イ 引用、書き込み、抽出などパソコン上でこの本を自由に扱うことでできるので、検討分析作業の効率があがる。
ウ ネットブックなどに入れて外出先でも自由に読み、作業できる。物の大きさや重さから解放される。
ということで、ようやく「石神信仰」が自分のものになりました。

2011年5月12日木曜日

大護八郎著「石神信仰」紹介

             大護八郎著「石神信仰」(木耳社、1977)

 テキスト「ジオパークについて」の「5『石神信仰』について」の参考引用資料である大護八郎著「石神信仰」を紹介します。

1 諸元  
著者:大護八郎
書名:石神信仰
発行:木耳社
発行年月日:1977年7月10日
体裁:(21.5×16.5×6.5cm)984ページ[表紙布張り、箱入り]
ISBN:9784839342272

2 目次
総説篇
序説
第1章日本の神
第1節二つの神
第2節外来宗教の影響
第3節神と祭り
第2章石の信仰
第1節石と生活
第2節石と信仰
第3章石神・石仏の造立
  第1節石神の誕生
  第2節石仏の造立
 第4章民間信仰と石神
  第1節新しい石神
  第2節石神信仰の系統
各説篇(一)神像系
 序説
 第1章生産神
  第1節田の神
  第2節山の神・天狗
  第3節蚕玉神
  第4節福神(えびす・大黒)
  第5節水神
  第6節風神・雷神
 第2章土地神
  第1節地神塔
  第2節荒神
  第3節稲荷
 第3章塞ぎ
  第1節道祖神
  第2節愛宕真・勝軍地蔵
  第3節道・橋・鋪石等の供養塔
  第4節道しるべ
  第5節石敢当
 第4章治病・息災・延命
  第1節庚申塔
 第5章妊娠・安産・育児
  第1節月待供養塔
  第2節子安神
  第3節姥神
 第6章性神
  第1節性神概説
  第2節金精様・きんまら薬師
  第3節淡島様
  第4節山王様
 第7章現当二世安楽
  第1節日待供養塔
  第2節現当二世安楽と石神
 第8章修験と石神
  第1節役行者
  第2節蔵王権現
 第9章その他の神像
各説篇(二)仏像系
 第1章地蔵と観音
  第1節地蔵菩薩
  第2節観世音菩薩
 第2章馬頭観世音
  第1節馬頭観世音
  第2節蒼前様と馬櫪神
  第3節馬鳴様
 第3章その他の石仏
  第1節如来
  第2節菩薩
  第3節天部
  第4節明王
  第5節その他の石仏
  第6節その他の供養塔

3 「序」抜粋
 著者は「序」の中で、一般に言われる「石仏」の中に「石神」が含まれていることの重要性を喚起するために、あえて書名を「石神信仰」としたことを述べています。著者が伝えたい重要な視点であると考えますので、その部分を抜粋します。

「奈良朝の昔諸国の風土記に数多く記されている『石神』は、石に素材を求めて仏像を刻むことの盛行に伴って『石仏』という名におきかえられたが、日本民族の石に関する信仰はそれによってと絶えたわけではなく、石仏の中に神を見ることはひき続いてあった。明治四十三年柳田国男によって『石神問答』が世に送られたが、それ以後も『石仏』の名が『石神』をも包括した名称として誰怪しむこともなく今日にいたっている。神仏習合の長い歴史は、こうした世界においても石神と石仏を劃然と区別できない多くの要素をもっている。しかし『石仏』という名に包括されるととによって、その本質に多くの誤解を生んでいることも事実である。一つの通念化された言葉は一朝一夕にこれを変えることは困難である。私も今まで『石仏』の名を用いてきたし、これからもなお用いるであろう。誰もが『石仏』という言葉の中に、『石神』・『石仏』を包括していることは理解しているが、併せ説くとき『石神』・『石仏』と重ねて呼ぶことのわずらわしさのために、『石仏』の名を用いることを便法としているのである。私がこの本を以て『石神信仰』と敢て名づけたゆえんは、敢て奇をてらう意味でもなく、一応世間の注意を喚起しようとする微意にすぎない。」

4 私のメモ
 テキスト「ジオパークについて」の「5『石神信仰』について」の原本にあたる本書は984ページの大著です。目次を見ていただいてわかるとおり、私たちが路傍で見かける石神、石仏が網羅的かつ体系的に記述されています。目次を眺めるだけで楽しめる本です。私は石神、石仏の知識が少ないので、この本で知識獲得と整理ができそうなので、読破に対する意欲が湧きます。

2011年5月8日日曜日

小林達雄著「縄文の思考」を読んで

            花見川堀割のフジ

 2011年5月4日の記事で、小林達雄著「縄文の思考」の概要を紹介しました。
 この本は、「まえがき」で縄文人の心、いわば哲学思想に接近を試みたものであると説明されています。そうした知識を自分に仕入れるために読みました。

 ここでは、この本を通読して、私が興味を持ち、あるいは参考になった知識・フレーズを要約、抜粋します。また、私がさらに学習を深めようと思った項目を抽出しました。さらに、引用図書や参考図書のうち、私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れたものをピックアップしました。

1私が興味を持ち、参考になった知識・フレーズ
【 】の小見出しは私が作成しました。

【人類文化における縄文文化に位置づけ】
2章縄文革命
1人類文化における第1段階
「人類史上における第1段階の文化が旧石器時代とその文化である。それ故、現代にいたる人類文化600万年におよぶ歴史の大部分が第1段階に属し、第2段階以降は大ざっぱにみれば、1万5000年そこそこということになる。」
2章縄文革命
2人類史第1段階としての縄文文化
「第1段階、旧石器文化、遊動的生活、第2段階、縄文文化、定住的ムラの生活」

【土器つくりレースの先陣を切る】
2章縄文革命
3縄文革命の背景
「土器発明の地域は、東アジアを最古とし、西アジアがこれに次ぎ、アメリカ大陸が悼尾を飾ることとなる。今後の新発見が加えられたとしても、おそらくこの順位の変動はないとみてよい。とにかく、世界の土器作りレースにおいて、東アジアが先陣を切り、そのなかでも日本列島はほとんど一番手にあったのだ。」

【縄文人の詩情の表現】
3章ヤキモノ世界の中の縄文土器
3器放れ
「かくして縄文デザインは、具体的な道具なのに使い易さに背馳する。容器デザインの普遍性、現代風に言えば機能デザインと対極にあることが判る。容器であれば、容器の機能を全うするに適った形態をとらねばならぬはずなのに、そうではなかった。機能デザインの精神に則って弥生土器を生み出した弥生デザインと対極に位置づけられる理由である。縄文デザインは、世界観を表現することを第一義とするのである。言うなれば、現代人が心情を吐露する詩あるいは画家がキャンパスに描く絵に相当するものとも例えることができる。だから、縄文土器は容器であって、かつ縄文人の詩情が表現されているものなのである。」

【煮炊きの効用】
4章煮炊き用土器の効果
「実際、農耕社会の弥生時代における弥生土器の量に肩を並べるほどであり、本格的な農耕をもたない社会としては世界のいかなる地域の土器保有例と較べても断然際立っている。それだけ土器の使用が盛んだったのだ。このことは、縄文人の食事は煮炊き料理が主流であった事実を良く物語っている。」
「人聞の消化器官が生理学的に受け入れない代物を火熱によって化学変化を誘発して消化可能にする作用は、さらに重要な分野に好影響をもたらした。つまり、渋みやアク抜きあるいは解毒作用にも絶大なる効果をもたらした。ドングリ類がやがて縄文人の主食の一つに格付けされ、食料事情が安定するのは、まさに土器による加熱処理のお蔭である。さらにキノコの多くには毒があるが、テングダケ、ツキヨダケなどの猛毒の一部を除けば、煮て、その湯をこぼせば全く安全とは言えないまでも、生命を脅かすほどのものではなくなる。」

【日常的行動圏、生活圏としてのハラ】
5章定住生活
ムラ空間の整備
「ハラは、単なるムラを取り囲む、漠然とした自然環境のひろがり、あるいはムラに居住する縄文人が目にする単なる景観ではない。定住的なムラ生活の日常的な行動圏、生活圏として自ずから限定された空間である。世界各地の自然民族の事例によれば、半径約5-10キロメートルの面積という見当である。ムラの定住生活以前の600万年以上の長きにわたる遊動的生活の広範な行動圏と比べれば、ごく狭く限定され、固定的である。いわばムラを出て、日帰りか、長びいてもせいぜい1、2泊でイエに帰ることができる程度ということになる。つまり、ハラはムラの周囲の、限定的な狭い空間で、しかも固定的であるが故に、ムラの住人との関係はより強く定着する。ハラこそは、活動エネルギー源としての食料庫であり、必要とする道具のさまざまな資材庫である。狭く限定されたハラの資源を効果的に使用するために、工夫を凝らし、知恵を働かせながら関係を深めてゆく。こうして多種多様な食料資源の開発を推進する「縄文姿勢」を可能として、食料事情を安定に導いた。幾度ともなく、ハラの中を動き回りながら、石鏃や石斧などの石器作り用の石材を発見したり、弓矢や石斧の柄や木製容器用の、より適当な樹種を選び出したりして、大いに効果を促進した。」

【炉の象徴性・聖性】
7章住居と居住空間
3炉の象徴性・聖性
「火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。」

【縄文祭壇に由来する常民の心】
7章住居と居住空間
3祭壇
「仏壇も神棚も、仏教あるいは神道への篤い信仰心だけに支えられたものではなかった。換言すれば、宗教としての仏教や神道には直接おかまいなしに仏壇や神棚を備え付けはじめた動機が人々には別にあったのだ。宗教意識が少しでもあると、他の宗教を邪教とみなすばかりか、積極的に排斥する動きに回り、ときには命かけた血腥いほどの衝突に至るのが悲劇的な常道というものである。しかるに、二つともに一つ屋根の下に共存できるほどの寛容さは、いずれにも絶対的宗教心が意識されていたからではないことを示している。それこそは縄文住居空間に登場した祭壇に由来するいかにも日本風土の民俗に根ざした常民の心なのである。いわゆる宗教の前提となる、人間の心に直接かかわる心ばえである。」

【乳幼児甕棺】
7章住居と居住空間
5埋甕
「出産時の後産=胎盤を収納したいわゆる胞衣壺とか、乳幼児甕棺なのではないかと、近年までの民俗例などから主張するのが金関丈夫をはじめ木下忠などであり、同調者も多い。」

【イヌに対する思い入れ】
10章縄文人と動物
1イヌ
「イヌに対する縄文人の思い入れは異常なほどである。単に狩猟犬としてだけでなく、人間同士の付き合いに限りなく近く、分け隔でなく、ほとんど対等の情愛を注いでいたことがわかる。死ぬと人並みに墓穴を掘り、ていねいに埋葬する。しかし、縄文人の末裔、弥生人にはもはやイヌを埋葬する習慣あるいは心情は途絶えている。」

【交易における気っぷの良さ】
12章交易の縄文流儀
1「気っぷ」の贈与
「縄文人同士の交易は、モノでモノを得るというのではなく、モノを与えて心を掴むことであった。一方的に気前の良さを見せつけることであった。気っぷの良さを押しつけるのである。」

【完成を先送りし続ける】
13章記念物の造営
4未完成を目指す縄文哲学
「記念物の造営が20世代あるいはそれ以上にわたって継続しているということは、とりも直さず、いつまで経っても工事が完了していなかったことにほかならない。それでも平気だったのは、記念物を完成させることに目的があったのではなく、未完成を続けるところにこそ意味があったとみなくてはならぬ。むしろ完成を回避して、未完成を先送りし続けることに縄文哲学の真意があったのである。未完成とは完成をあくまで追い求めることにほかならないのだ。」

【縄文文化に共通する左右】
14章縄文人の右と左
4縄文世界の右、左
「とくに松永和人(『左手のシンボリズム』)によると、「左」の習俗が神祭りにかかわり、そして葬制にかかわり、「聖(呪術・宗教的生活活動)」-「俗(世俗的生活活動)」/「左」-「右」の二項対置が、わが国の文化における基礎的な事実として知られる。そのような中に、従来の象徴的二元論に見る「浄」「不浄」/「右」「左」が、わが国の文化の一面にみられる、という指摘は重要である。そうした、左、右にかかわる観念、観念技術のいくつかは縄文文化とも共通するものであったり、あるいはその原点が縄文時代にまで遡る可能性を否定できない。」

【縄文以来の山の神が田の神に分派する】
15章縄文人、山を仰ぎ、山に登る
4山の神から田の神へ
「縄文人が何ぎ、ときには登ることもあった山は、眼に映る単なる景観の一部ではなく、縄文人によって発見された精霊の宿る特別な山であった。この想いは縄文時代の終幕とともに忘却の彼方に押しやられたのではなく、縄文人の心から弥生人の心にも継承された。民間信仰にみられる田の神は、春のはじめに山から降りてきて、田畑や周辺を守ると信じられている。ネリl・ナウマン(『山の神』)の優れた研究がある。山の神は田の神であり、季節によって名称とともに性格が交替すると解釈する。現象としてはそうかもしれないが、もともと縄文人が永らく意識の中に組みこんでいた精霊の宿る山、神のおわします山から新たに開始された農耕の庇護、育成のために勧請されたものとみられる。山の神と田の神の二神があって、単純な交替と解するのでは先後の関係があいまいになる。縄文時代以来の山の神が弥生時代以降農耕とともに二義的に田の神に分派したとみるべきと考える。」

【縄文文化とアイヌ文化と日本文化との三角関係】
15章縄文人、山を仰ぎ、山に登る
5アイヌの人々と山
「それに対して北海道の集団は、冷涼な気候がコメ作りを容易には許そうとはしなかったことを受けて、縄文文化さつもんの枠組みと内容をそのまま踏襲して続縄文文化から擦文文化、さらに文化変容を遂げながら、アイヌ文化へと続いたのである。つまり、日本文化の心とアイヌ文化もともに縄文文化の土台の上に形成され、結果として異なる道を歩みつつ、それぞれの独自性、主体性を確立するに至ったのだ。かくして、縄文文化とアイヌ文化と日本文化との三角関係においては、米作り文化とかかわりを持たなかったアイヌ文化は、米作り文化に裏打ちきれた日本文化との距離よりも縄文文化とのそれの方がはるかに近い理屈が理解できる。この観点からすれば、アイヌの人々の山に対する観念にも、縄文文化以来の思いの丈を引き継いでいる可能性が大いにあるとみてよい。とにかく、アイヌの人々の山に対する思い入れには並々ならぬものがある。山にかかわる名称だけでも、山頂、尾根、裾野、山腹、峠、枝山など区別して名付けしている。」

【縄文語の知の体系は自然との共存共生を通して構築された】
結びにかえて
「文化の中核にはコトバがある。日本的文化は大和コトバから象づくられてきた。さらに遡れば、縄文時代の縄文語(縄文日本語、縄文日本列島語)に行き着くのである。大野晋を代表とする一部の言語学者は、日本語につながる祖形は弥生時代に成立したのではないかと考えている。日本文化の遡源を弥生農耕文化に求める柳田国男と共通するものがある。弥生文化に先行する縄文文化については、その存在を視野に入れながらも、なかなかまともに扱おうとはしない。とるに足らない未開状態とでもみなしているがごとくである。もとより、縄文語は残っていない。その中にあって、小泉保による縄文語の痕跡を探る研究は注目される(『縄文語の発見』)。日本列島に縄文語が行き渡っていたのは紛れもない事実である。」
「縄文人こそは、縄文語に基づく史上稀有な博物学的知識の保持者であったのである。しかも、その知の体系たるや決して出来合いではなく、自然との共存共生の自らの実体験を通して構築されるものであって、何よりも自然と人間との不即不離の関係を象徴するのだ。」


2 私が興味を持ち、学習を深めようと思ったこと
ア 「土器の詩情の表現としての縄文土器」について
土器デザインから、あるいは遺跡から出土する地物から縄文人の詩情(心性)を知りたいと思います。アンテナを張って、関連するような書籍や各種情報を入手して読んでみたいと思いました。

イ 「定住空間としてのムラ」について
ムラとハラについてより具体的情報を知りたいと思います。著者の別の書籍「縄文人の世界」なども読んでみたいと思います。

ウ 交易における気っぷ
テキスト「ジオパークについて」で重要なキー概念の一つである「贈与経済」のことを小林達雄は「交易における気っぷのよさ」といっているのだと思いました。「贈与経済」に関する学習を深めてみたくなるきっかけになるフレーズです。

エ 完成を先送りし続ける
いつまでも未完成でいるプロジェクトとは、現代人にはない心性だと思います。ぜひ、「なぜ」そうした心性なのか、知りたいと思います。人が生きていく上での重要な知恵が隠されているような予感がします。

オ 縄文の山の神が田の神に分派する
この本を読むと、縄文時代の山の神が田の神に分派していくという発想を自然に受け入れることが出来ます。

カ 縄文文化とアイヌ文化と日本文化の三角関係
この本を読んで、縄文文化とアイヌ文化と日本文化の三角関係について知ることができました。これまで自分が使ってきた「アイヌ語由来の地名」などの表現ではなく、「縄文語由来の地名」などの表現に改めなくてはならないかもしれません。もっと自分の情報量を増やして3文化の関係を正確に捉えて、用語法を正確にしたいと思います。

キ 縄文語について
この本で最も関心を持ったのは、縄文語についてです。これまで、アイヌ語=縄文語程度にしか考えていなかったので、それを正す知識に飢えます。縄文語に関する研究が進めばその後に続く日本文化に理解が進むと考えます。本書に引用されている小泉保著「縄文語の発見」も目を通してみます。


3 私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れた引用・参考図書
・小林達雄「縄文人の世界」
・小泉保「縄文語の発見」

2011年5月4日水曜日

小林達雄著「縄文の思考」紹介

            小林達雄著「縄文の思考」(ちくま新書、2008)

 テキスト「ジオパークについて」の「6新しい文明の原理、共生」の参考引用資料である小林達雄著「縄文の思考」を紹介します。

1 諸元
著者:小林達雄
書名:縄文の思考
発行:筑摩書房
発行年月日:2008年4月10日
体裁:新書本(18.8×10.8×1.6cm)213ページ
ISBN-13: 978-4480064189

2 目次
まえがき
1章 日本列島最古の遺跡
2章 縄文革命
3章 ヤキモノ世界の中の縄文土器
4章 煮炊き用土器の効果
5章 定住生活
6章 人間宣言
7章 住居と居住空間
8章 居住空間の聖性
9章 炉辺の語りから神話へ
10章 縄文人と動物
11章 交易
12章 交易の縄文流儀
13章 記念物の造営
14章 縄文人の右と左
15章 縄文人、山を仰ぎ、山に登る
結びにかえて
謝辞

3 「まえがき」抜粋
著者は「まえがき」で、縄文人の哲学思想は、時空を超えて人間に等しくかかわる現在的意味を問うものであるということを述べています。これが、著者がこの本で表現したかった事柄であると考えます。その部分について抜粋しました。

(前略)
とりわけ、縄文人の遺跡や遺構や遺物のいちいちを根掘り葉掘り知ることよりも、縄文人の心、いわば哲学思想に接近を試みたのであった。とにかく縄文人の影を追い求めているうちに、気がついてみれば、それは私自身を見つめ直すことであり、さらに人間について考えることでもあった。
こうして、縄文人の哲学思想は、過去に存在した事実というよりも、実は己はもとより、時空を超えて、人間に等しくかかわる現在的意味を問うものである、ということを知るのである。ここに、改めて縄文人との対話が、興味の赴くにまかせた身元調査なのではなく、真正面から向き合って、共に批判しながら進むべき人間学の道につながるものであることを思う。だからこそ、この一巻で終わるのではなく、将来にも続けられねばならないのである。

4 私のメモ
 テキスト「ジオパークについて」では小林達雄「縄文の思考」について、ハラ、ムラ、イエなどの空間的概念、縄文人の生態系的調和を崩さない生き方「縄文姿勢方針」などに着目して引用・参考にしています。このような概念や生き方について、この本を読むことにより理解を深めたいと思います。
 なお、私の趣味ブログ「花見川流域を歩く」でも縄文時代に興味が生まれつつあります。縄文時代から花見川が印旛沼(広くは香取海)と東京湾を連絡する特別な交通ルートであったなどとの想像もしています(2011年5月3日記事「古代の『印旛沼-東京湾』連絡幹線としての花見川」)。そちら方面からもこの「縄文の思考」内容に好奇の目を向けています。

2011年5月1日日曜日

岩井國臣著「劇場国家にっぽん」を読んで


 2011年4月19日の記事で、岩井國臣著「劇場国家にっぽん」の概要を紹介しました。
 この本は、当時参議院議員だった岩井國臣先生が「憲法問題が議論の俎上にのり、わが国の国家像がとやかく言われるこの機にあたり」出版したものです。本の内容については、著者はあとがきで、「わが国のアイデンティティーは『違いを認める文化』にある。これをどのようにして文明にまで高めるかがこれからの課題であって、私はそのことをこの拙著で言いたかった」と述べています。

 ここでは、この本を通読して、私が興味を持ち、あるいは参考になったフレーズを抜粋します。また、著者が伝えようとする内容で、私がさらに学習を深めようと思った項目を抽出しました。さらに、引用図書や参考図書のうち、私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れたものをピックアップしました。

1 私が興味を持ち、参考となったフレーズ
【 】の小見出しは私が作成しました。

【違いを認める文明】
第1章劇場国家にっぽんの礎 まやかしの人権思想
「これから世界が必要とするのは、『人間は生まれながらにして不自由かつ不平等である』という事実を認めたうえで、『違いを認める文明』というものを築き上げていくことではないのか。国民の自由と平等というものは、それぞれの国がそれぞれの歴史を生きるなかで、いろいろなレベルで努力を重ねて確保していくべきものではないだろうか。」

【あるべきようは】
第1章劇場国家にっぽんの礎 明恵の思想「あるべきようは」
「河合隼雄は、その著作『明恵夢を生きる』で『あるべきようは』は、日本人好でみの『あるがままに』というのでもなく、また『あるべきように』でもない。時により事により、その時その場において『あるべきようは何か?』と問いかけ、その答えを生きようとするものであると述べている。何でも受け入れる母性的な『あるがままに』でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な『あるべきように』でもない。白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業……。どちらかに偏してはいけない。違いを認めながら共和する心が大事だという、古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。」

【後戸の神】
第1章劇場国家にっぽんの礎 偉大なるクラウン・マザー
「『クラウン・マザー』というシステムを生み出したインディアンの大いなる知恵に『平和の原理』が隠されているように思われてならない。私は、平和には『奥の奥』という感覚が大切だと考えている。表も大事だが、奥も大事である。光も大事だが、陰も大事なのだ。御本尊だけではどうも元気が出てこない。進化に自ずと限界が出てくるのではないか。御本尊のほかに「後戸の神」が必要なのである。アメリカという御本尊に「後戸の神」としての日本。そんな思いを抱きながら私はイラク戦争を見ている。」

【モノとの同盟】
第2章モノづくり博物館 人類はるかなる旅
「さて、中沢新一は、『モノとの同盟』というこれからの世界をリードするかもしれない素晴らしい哲学を発表した。『光と陰の哲学』といってもよい。彼によれば、霊魂を『タマ』という。この『タマ』というものをよく理解したうえで現代の科学文明に修正を加えていかないと、この先、世界はやっていけないという。私もまったくそのとおりだと思う。『タマ』と『スピリット』が大事だ。物質的な科学文明だけではダメで、『タマとの同盟』が必要なのだが、それをなし得る地域というのは『東北』であり、日本でいうなら東北地方だ。まずそのことをしっかり認識しておきたいものである。」

【贈与経済】
第2章モノづくり博物館 「モノとの同盟」
「そして、私の目指すもの……それは「こころ」である。経済でいえば『贈与経済』ということかもしれないが、少なくとも当面は、わが国の経済システムとして、グローバルな市場経済のなかに、『贈与経済』をつくりだしていかなければならないだろう。モノ的技術はけっして市場経済一点張りでは発達しない。『信』を前提に成り立つ贈与経済によって発展するのである。」

【感動システムづくり】
第2章モノづくり博物館 モノづくり博物館
「もう一つ、モノづくりについて市場経済と贈与経済共通の問題がある。
伝統技術についての情報センター『モノづくり博物館』と、感性を磨くための『響き合いの場所』、及びそれを含む地域の基礎的産業とNPO活動などとのつながりのシステム……それらをつくっていかなければならない……という問題だ。これが私のいう贈与経済における感動システムづくりである。これもまた新しいモノづくりであることはまちがいない。」

【縄文の声】
第3章会津から響く声 縄文の声
「徳一は、まちがいなく縄文の声を聞いて、神仏習合の思想を磨いていったのだと思う。彼の思想は、のちに、茨城は筑波山でこれを実践しながら、着実に空海に伝えていったのである。」

【縄文の響き】
第3章会津から響く声 縄文の声
「徳一と明恵、それに空海。さらには勝道と天海、それに円仁。これらの人びとは、時代を異にしようとも、みな『縄文の響き』を聞いていると思う。『縄文の響き』……これによって思想の円熟が図られていくようだ。」

【即興劇モデル】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 清水博が唱える「場の文化」
「即興劇モデルでいえば、環境は観客、システムは劇場の照明装置や音響装置といった劇場システム、関係子は役者ということになる。すなわち劇場全体の情報は、それぞれの環境からの情報、システムからの情報、関係子で自己組織される情報のトータルである。『劇場国家にっぽん』では、地域の人びとが関係子となって、風土というシステムやビジターという環境から発せられるさまざまな情報を受け取り、臨機応変に即興劇を進めていくのである。それが地域の人びとの自己生産活動である。そして、これからの日本は、そういう活動によって地域の活性化……私流にいえば、地域の活充化を図っていかなければならない。」

【世界多神教】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 天狗の棲む森、河童の棲む川
「わが国の姿というものは、縄文文化が底辺にあって形作られたものと考えている。そして、その一番の特徴は『神仏習合』であり、これからあるべき国の姿(かたち)としては、それをさらに発展、成熟させて、キリスト教やイスラム教なども含めた『世界多神教』のようなものを理想と考えていけばいいと思ったりしている。」

【天狗の棲む森、河童の棲む川】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 天狗の棲む森、河童の棲む川
「今や都市ではほとんど生態系が壊れてしまったので、さかんにビオトープ・ネットワークということが叫ばれているが、川は河童の棲む川でないといけないし、森は天狗の出没する森でなければならない。梅原猛が『巨木の町づくり』を提唱しておられる所以である。今こそ、天狗の出没し得る森を、ぜひとも復活しなければならない。私は、都市におけるピオトープ・ネットワークはもちろんのこと、日本列島全体におけるエコロジー・ネットワークを提唱している。その合い言葉として、天狗の棲む聖域、修験道の行場、河童の棲む川を甦らせたい。むろん河童の棲める川とは、瀬もあり淵もある魚の棲みやすい川のことである。それを日本の風土のベースとして、生態系回廊を作るのだ。これが私のいう『劇場国家にっぽん』の一つの姿である。」

【ビジター産業のすすめ】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) ビジター産業のすすめ
「わが国は情報技術(IT)の最先端国家を目指そうとしている。今後いろんな取り組みが行われて、IT革命が進展するであろうし、それによって人びとのライフスタイルも大きく変革されていくものと思われる。
ライフスタイルの変革をもたらすのはIT革命だけではない。21世紀は平和の時代であり、コミュニケーションの時代であり、旅の時代である。そして何よりも感性の時代であると思う。その新しい時代の動きに対応し、ライフスタイルも変革せざるを得ないであろう。そこで、新しい国土政策が求められ、コンテンツ産業とビジター産業を意識した新たな地域振興策が必要となってくる。
コンテンツ産業とは、インターネットで入手する情報を作る産業のこと。各地域の歴史と伝統・文化にもとづいて作られるものすべてがその対象となり、地域の人びとが幅広く従事できる。またビジター産業とは、いわゆる観光産業のほか、研修や会議、スポーツ大会、グリーンツーリズム、草の根国際交流などを対象とし、その整備からサービス提供までさまざまな職業があり得る。」

【「立たせない力」】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 「大畑原則」と「新技術論」
「私の説く『新技術論』とは、簡単に言うと、光り輝く新しい技術にばかり目を奪われていないで、もっと目を凝らして伝統的な技術の良さを見つめ直そうというものである。場合によっては、新しい技術はあえて使わないということがあってもいいではないか、と私はそう考えている。
ところで、20世紀を代表するドイツの哲学者ハイデツガー(1889~1976)は、『立たせる力』ということを唱えており、避けることも制することもできない『立たせる力』というものが、『世界のヨーロッパ化』の根源だと言っている。つまり『立たせる力』とは、万物生成の宇宙的な力に人間の技術を加えることによってさらに役に立つ物を作るという、現代の科学技術を支えている力と考えてよい。
しかし私は、この世のなかは全体として『空』であり、善に対して悪があるように、『立たせる力』があるとすれば『立たせない力』というものがあってもいいと思っている。つまり『立たせない力』によって、あえて新しい技術を使わないで、伝統の技術で応じるということが21世紀には求められると思うのである。たとえ技術的には可能でも、クローン人間は造ってはならない。これ以上、科学万能主義でいくことはない、役に立たなくてもよい、やみくもに進歩しなくてもいいではないかと……。」

【公共財管理】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 公共財管理と地域の人びと
「公共財を土地の人びとが支える……。それに必要な技術となると、『伝統技術』ということになるであろう。公共財を守る主役が地域だとすれば、それを補佐する脇役『伝統技術』を大事にしていかなければならない。それには日本の歴史に培われた『タマ』を信じ、『陰に埋もれている技術』に目を向けることである。
私の新技術論は、『立たせない力』、『陰の技術』、『伝統技術』、あるいは『心を鼓舞する祭り』を見直すことに尽きるのだが、かといって商業主義や功利主義と結びついた技術開発を否定しているわけではない。河川の技術においても、機械化が進み、コンクリートのプレキャスト化が進んで、工事のスピードアップとコスト・ダウンが図られている。ダムや橋梁なども建設業者の施工技術のめざましい進歩があったからこそ大規模建設も可能になった。水門や堰などの構造物もそうだ。現在の建設技術は建設業者の技術の賜物といっても過言ではない。
しかし、一方で伝統技術はほとんど消え去ってしまった。昔は堤防を作るとき人柱を立てたり、祭事をしたり、民衆の魂というものが堤防にこめられていた。ところが、現代の建設業者の建設技術はたしかに立派だが、いったんできあがれば作り放しで、堤防に対する愛情といったものがまったく感じられない。やや言い過ぎの感もあるが、実態はそれほど違ってはいないだろう。
そこで私が提起したいのは、公共財の管理をPFIでやれば、そのような問題が解決できるのではないかということだ。公共財管理の責任はいうまでもなく行政にある。しかし、陰の立て役者というか『後戸の神』は、水防団をはじめ、地域のNPOではないのか。私は、『公共財というのは土地の人びとが支えていく回路である』という『大畑原則』の理念を大前提とすべきであると思う。だとすれば、水防団なりNPOをどうやって作っていくか? それがいちばんの悩みなのだが、ここで地元の建設業者の出番となる。」

【真に棲みやすい場に回帰しようとする力】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 公共財管理と地域の人びと
「『立たせる力』と『立たせない力』。『光の技術』と『陰の技術』。公共財を土地の人びとが支える……その技術とはいうまでもなく『伝統技術』である。公共財を守る主役が地域だとすれば、とりわけ伝統技術を大事にしなければならない。これを大事にするということは、『立たせる力』や『光り輝く先端技術』に目を奪われることなく、『立たせない力』というものを信じ、『タマ』を信じ、『陰に埋もれている技術』にも目を向けることである。
この先あるべき新技術というのは、科学万能に頼る『立たせる力』によって食欲に開発される技術に対峠した、環境面からの充分なチェックと対策が講じられたものでなければならない。
『立たせる力』と『立たせない力』とのバランスが大事なのである。商業主義に対しては、安全面や環境面からの充分なチェックと対策が講ぜられるよう、地域の厳しい規制が不可欠となる。
すなわち『立たせない力』とは、『立たせる力』の行きすぎを是正する力である。科学技術の進歩にひたすら遇進するものに、ブレーキをかけるものである。
それは、『回帰する力』と言ってもいい。われわれ人類の進化のプロセスを顧みて、真に棲みやすい場に回帰しようとする力である。
伝統文化を懐かしみ、豊かな自然に回帰しようとする力である。形状記憶合金のように、宇宙の『タマ』がそうなさしめるのではないか。水が循環するように、この宇宙には循環する力、回帰する力がある。
私は、科学文明の行きすぎを是正する『立たせない力』が必ず働くことを信じて、伝統技術を大切にし、「大畑原則」に見られるような地域における知恵を大切にしていきたいと思っている。」


2 私が興味を持ち、学習を深めようと思ったこと
ア 「違いを認める文明」について
「違いを認める文明」は違いを認めながら共和する心が大切であるという意味です。ダーウィンの進化論(弱肉強食)の社会ではなく、今西錦司の棲み分け論が示す共生社会をイメージしていると思います。言葉が短いので浅薄な理解をしたり、誤解したりしないように注意します。

イ 「後戸の神」、「モノとの同盟」について
「後戸の神」、「モノとの同盟」は、興味が湧きます。それだけに、なんとなくその意味がわかるような気がするだけなので、現状では欲求不満状態です。「後戸の神」、「モノとの同盟」の説明がもう少しあればわかりやすいのですが。原典である中沢新一の著作物を読んでみたいと思います。劇場国家にっぽんの理解を深めるためには中沢新一の著作の理解が必要のように感じます。
とりあえず、「後戸の神」については中沢新一「精霊の王」を、「モノとの同盟」については中沢新一「緑の資本論」を手始めに読んでみたいと思います。

ウ 「縄文の声」、「縄文の響き」について
著者の足で稼いだ貴重な情報がとても新鮮で説得的です。神仏習合の具体的経過とその文化史的意味がよくわかります。それは、縄文時代の本質が、社会に脈々と引き継がれてきていることの理解でもあります。この本の結論は「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」ですが、その回帰原点である縄文時代の意義の理解を深めることが出来ます。

エ 「立たせない力」について
「空」の概念を補助線として活用して、ハイディガーの「立たせる力」から「立たせない力」を導き、その概念で文明のあり方を論じています。私は、この本の最も独創的なところであると感じました。最も魅力を感じました。ハイディガーの本を読んだことがないのですが「立たせる力」と「立たせない力」の文章は感覚的によく理解できます。

オ 「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」について
著者のこの訴え、決意がこの本の結論であると思います。この結論を読んで、この本の価値が大きなものであると感じました。日本のあるべき姿を考えていく上で基礎となる哲学・思想がここにあると感じました。

カ 公共財管理について
ここで著者の新技術論が「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」の考えの下に展開されています。さらに公共財管理についての考えが具体化されています。

3 私が読書予定リストに入れた引用・参考図書
・河合隼雄「ナバホへの旅 たましいの風景」
・中沢新一「熊から王へ」
・中路正恒「古代東北と王権」
・岡野守也「唯識のすすめ」
・奥会津書房シリーズ「縄文の響き」など
・清水博「場の思想」
・清水博「生命を捉えなおす」