緑の資本論2 一神教の成立
この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載します。
緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
1節【魔術的思考の時代】
2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
1節【象徴界と現実界の一致】
2節【利子の厳禁】
3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
1節【「三位一体」のドグマ】
2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて
(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)
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一 一神教をめぐる認知論的レッスン
2節【一神教の成立】
ア 要約
●一神教の出現によって、魔術的思考にじつに手強い敵対者が現れた。
●神は「無法者の言葉」で書かれた律法を刻んだ石板をモーセに与えた。
●イスラエルの民は国家から逃亡したハベル(逃亡奴隷やならず者)たちの形成する、自然によるのではない律法による新しい共同体だった。
●ヤハヴェの名をもった超越的知性は、今後人間(この時点では、彼が選んだ少数のハベルたちだけ)は自らの本質をなす流動的知性の持つ特徴のうち、想像界の働きに直結するイメージやそのメタモルフオーシスの強度と魅力を愛してはならない、と命令している。(その像を拝んではならない。その神々を愛したら、君を子々孫々まで妬む。)
●モーセはヤハヴェにつかない者三千人を虐殺した。
●一神教は流動的知性の中に変化も生成もしない純然強度たる「一(いつ)」を発見して、世界と自己の認識に新しい段階を画することになったが、その「ハベル的」(逃亡奴隷やならず者的)企画を実現するためには、魔術的思考のうるわしい花々を蹴散らしてしまう必要があった。
… … … … …
●ここで筆者はタリバンのバーミヤン仏像破壊について、それが魔術的思考への惑溺に反対する明確な一つの思想に根ざしているとし、それをほとんどの人が忘れたふりをしていると述べています。
●また、「私たちの科学はいまだかつて、魔術的思考を生活の諸領域で消滅させることに成功したためしがない。しかもそれは、資本主義化した私たちの経済生活の基底で、いままでにないほどの強度を持って活発な活動を続けている。この点においては、一神教の望みは実現しなかったのである。」と述べています。
… … … … …
●モーセは装身具の金属を溶かして、流動体にし、それで子牛の像をつくり、拝んだハベルの民に怒り、その像を砕いて水に撒き、その水を無理やりその民に呑ませた。モーセは人々の宗教行為の中に潜んでいる「貨幣論」的な臭いに敏感に反応し、これを拒絶した。
●筆者はこのモーセの体験の残響を、ケインズの言葉(未来への確実な保証がないとき、価値物を貨幣のような流動体として貯め、その流動体のなかから利子[増殖分]を備えた価値を期待する。)に聞き取ることができると述べています。
●そこから、一神教の背後には一つの「経済学批判」が潜んでいると述べています。(偶像の神々は想像界によって育まれ、魔術的思考を温床として、いずれはそこに増殖する貨幣をめぐる資本主義の思考を成長させていくだろう。はじまりにおける一神教の戦いは、このような人類の未来にまで影響を及ぼすにちがいない根源的な「悪」に関わりを持っている。)
●しかし、今日ではもはやイスラームの原点への回帰をめざす人々だけが、そのことを意識しているだけになってしまった。
イ 感想
●一神教は流動的知性の中に変化も生成もしない純然強度たる「一(いつ)」を発見した。という文章の意味がこの節で説明されるハベルやタリバンの例からだんだんと理解が深まります。
●中沢新一がモーセの行動に「貨幣論」的な臭いに敏感に反応したという解説を、ケインズの学説を引用しながらしています。そうした論の先人の展開はあると思いますが、そうした論を引用ではない文章で表現できる中沢新一の知識や論理力に感心しました。
●一神教のなかでも、イスラーム原理主義者だけが、「悪」=「偶像の神々が魔術的思考を温床とし、増殖する貨幣をめぐる資本主義の思考を成長させる」を意識しているという最後の文章は、私の一神教についての現状理解を深めました。
(つづく)
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