2011年5月1日日曜日
岩井國臣著「劇場国家にっぽん」を読んで
2011年4月19日の記事で、岩井國臣著「劇場国家にっぽん」の概要を紹介しました。
この本は、当時参議院議員だった岩井國臣先生が「憲法問題が議論の俎上にのり、わが国の国家像がとやかく言われるこの機にあたり」出版したものです。本の内容については、著者はあとがきで、「わが国のアイデンティティーは『違いを認める文化』にある。これをどのようにして文明にまで高めるかがこれからの課題であって、私はそのことをこの拙著で言いたかった」と述べています。
ここでは、この本を通読して、私が興味を持ち、あるいは参考になったフレーズを抜粋します。また、著者が伝えようとする内容で、私がさらに学習を深めようと思った項目を抽出しました。さらに、引用図書や参考図書のうち、私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れたものをピックアップしました。
1 私が興味を持ち、参考となったフレーズ
【 】の小見出しは私が作成しました。
【違いを認める文明】
第1章劇場国家にっぽんの礎 まやかしの人権思想
「これから世界が必要とするのは、『人間は生まれながらにして不自由かつ不平等である』という事実を認めたうえで、『違いを認める文明』というものを築き上げていくことではないのか。国民の自由と平等というものは、それぞれの国がそれぞれの歴史を生きるなかで、いろいろなレベルで努力を重ねて確保していくべきものではないだろうか。」
【あるべきようは】
第1章劇場国家にっぽんの礎 明恵の思想「あるべきようは」
「河合隼雄は、その著作『明恵夢を生きる』で『あるべきようは』は、日本人好でみの『あるがままに』というのでもなく、また『あるべきように』でもない。時により事により、その時その場において『あるべきようは何か?』と問いかけ、その答えを生きようとするものであると述べている。何でも受け入れる母性的な『あるがままに』でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な『あるべきように』でもない。白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業……。どちらかに偏してはいけない。違いを認めながら共和する心が大事だという、古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。」
【後戸の神】
第1章劇場国家にっぽんの礎 偉大なるクラウン・マザー
「『クラウン・マザー』というシステムを生み出したインディアンの大いなる知恵に『平和の原理』が隠されているように思われてならない。私は、平和には『奥の奥』という感覚が大切だと考えている。表も大事だが、奥も大事である。光も大事だが、陰も大事なのだ。御本尊だけではどうも元気が出てこない。進化に自ずと限界が出てくるのではないか。御本尊のほかに「後戸の神」が必要なのである。アメリカという御本尊に「後戸の神」としての日本。そんな思いを抱きながら私はイラク戦争を見ている。」
【モノとの同盟】
第2章モノづくり博物館 人類はるかなる旅
「さて、中沢新一は、『モノとの同盟』というこれからの世界をリードするかもしれない素晴らしい哲学を発表した。『光と陰の哲学』といってもよい。彼によれば、霊魂を『タマ』という。この『タマ』というものをよく理解したうえで現代の科学文明に修正を加えていかないと、この先、世界はやっていけないという。私もまったくそのとおりだと思う。『タマ』と『スピリット』が大事だ。物質的な科学文明だけではダメで、『タマとの同盟』が必要なのだが、それをなし得る地域というのは『東北』であり、日本でいうなら東北地方だ。まずそのことをしっかり認識しておきたいものである。」
【贈与経済】
第2章モノづくり博物館 「モノとの同盟」
「そして、私の目指すもの……それは「こころ」である。経済でいえば『贈与経済』ということかもしれないが、少なくとも当面は、わが国の経済システムとして、グローバルな市場経済のなかに、『贈与経済』をつくりだしていかなければならないだろう。モノ的技術はけっして市場経済一点張りでは発達しない。『信』を前提に成り立つ贈与経済によって発展するのである。」
【感動システムづくり】
第2章モノづくり博物館 モノづくり博物館
「もう一つ、モノづくりについて市場経済と贈与経済共通の問題がある。
伝統技術についての情報センター『モノづくり博物館』と、感性を磨くための『響き合いの場所』、及びそれを含む地域の基礎的産業とNPO活動などとのつながりのシステム……それらをつくっていかなければならない……という問題だ。これが私のいう贈与経済における感動システムづくりである。これもまた新しいモノづくりであることはまちがいない。」
【縄文の声】
第3章会津から響く声 縄文の声
「徳一は、まちがいなく縄文の声を聞いて、神仏習合の思想を磨いていったのだと思う。彼の思想は、のちに、茨城は筑波山でこれを実践しながら、着実に空海に伝えていったのである。」
【縄文の響き】
第3章会津から響く声 縄文の声
「徳一と明恵、それに空海。さらには勝道と天海、それに円仁。これらの人びとは、時代を異にしようとも、みな『縄文の響き』を聞いていると思う。『縄文の響き』……これによって思想の円熟が図られていくようだ。」
【即興劇モデル】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 清水博が唱える「場の文化」
「即興劇モデルでいえば、環境は観客、システムは劇場の照明装置や音響装置といった劇場システム、関係子は役者ということになる。すなわち劇場全体の情報は、それぞれの環境からの情報、システムからの情報、関係子で自己組織される情報のトータルである。『劇場国家にっぽん』では、地域の人びとが関係子となって、風土というシステムやビジターという環境から発せられるさまざまな情報を受け取り、臨機応変に即興劇を進めていくのである。それが地域の人びとの自己生産活動である。そして、これからの日本は、そういう活動によって地域の活性化……私流にいえば、地域の活充化を図っていかなければならない。」
【世界多神教】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 天狗の棲む森、河童の棲む川
「わが国の姿というものは、縄文文化が底辺にあって形作られたものと考えている。そして、その一番の特徴は『神仏習合』であり、これからあるべき国の姿(かたち)としては、それをさらに発展、成熟させて、キリスト教やイスラム教なども含めた『世界多神教』のようなものを理想と考えていけばいいと思ったりしている。」
【天狗の棲む森、河童の棲む川】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 天狗の棲む森、河童の棲む川
「今や都市ではほとんど生態系が壊れてしまったので、さかんにビオトープ・ネットワークということが叫ばれているが、川は河童の棲む川でないといけないし、森は天狗の出没する森でなければならない。梅原猛が『巨木の町づくり』を提唱しておられる所以である。今こそ、天狗の出没し得る森を、ぜひとも復活しなければならない。私は、都市におけるピオトープ・ネットワークはもちろんのこと、日本列島全体におけるエコロジー・ネットワークを提唱している。その合い言葉として、天狗の棲む聖域、修験道の行場、河童の棲む川を甦らせたい。むろん河童の棲める川とは、瀬もあり淵もある魚の棲みやすい川のことである。それを日本の風土のベースとして、生態系回廊を作るのだ。これが私のいう『劇場国家にっぽん』の一つの姿である。」
【ビジター産業のすすめ】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) ビジター産業のすすめ
「わが国は情報技術(IT)の最先端国家を目指そうとしている。今後いろんな取り組みが行われて、IT革命が進展するであろうし、それによって人びとのライフスタイルも大きく変革されていくものと思われる。
ライフスタイルの変革をもたらすのはIT革命だけではない。21世紀は平和の時代であり、コミュニケーションの時代であり、旅の時代である。そして何よりも感性の時代であると思う。その新しい時代の動きに対応し、ライフスタイルも変革せざるを得ないであろう。そこで、新しい国土政策が求められ、コンテンツ産業とビジター産業を意識した新たな地域振興策が必要となってくる。
コンテンツ産業とは、インターネットで入手する情報を作る産業のこと。各地域の歴史と伝統・文化にもとづいて作られるものすべてがその対象となり、地域の人びとが幅広く従事できる。またビジター産業とは、いわゆる観光産業のほか、研修や会議、スポーツ大会、グリーンツーリズム、草の根国際交流などを対象とし、その整備からサービス提供までさまざまな職業があり得る。」
【「立たせない力」】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 「大畑原則」と「新技術論」
「私の説く『新技術論』とは、簡単に言うと、光り輝く新しい技術にばかり目を奪われていないで、もっと目を凝らして伝統的な技術の良さを見つめ直そうというものである。場合によっては、新しい技術はあえて使わないということがあってもいいではないか、と私はそう考えている。
ところで、20世紀を代表するドイツの哲学者ハイデツガー(1889~1976)は、『立たせる力』ということを唱えており、避けることも制することもできない『立たせる力』というものが、『世界のヨーロッパ化』の根源だと言っている。つまり『立たせる力』とは、万物生成の宇宙的な力に人間の技術を加えることによってさらに役に立つ物を作るという、現代の科学技術を支えている力と考えてよい。
しかし私は、この世のなかは全体として『空』であり、善に対して悪があるように、『立たせる力』があるとすれば『立たせない力』というものがあってもいいと思っている。つまり『立たせない力』によって、あえて新しい技術を使わないで、伝統の技術で応じるということが21世紀には求められると思うのである。たとえ技術的には可能でも、クローン人間は造ってはならない。これ以上、科学万能主義でいくことはない、役に立たなくてもよい、やみくもに進歩しなくてもいいではないかと……。」
【公共財管理】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 公共財管理と地域の人びと
「公共財を土地の人びとが支える……。それに必要な技術となると、『伝統技術』ということになるであろう。公共財を守る主役が地域だとすれば、それを補佐する脇役『伝統技術』を大事にしていかなければならない。それには日本の歴史に培われた『タマ』を信じ、『陰に埋もれている技術』に目を向けることである。
私の新技術論は、『立たせない力』、『陰の技術』、『伝統技術』、あるいは『心を鼓舞する祭り』を見直すことに尽きるのだが、かといって商業主義や功利主義と結びついた技術開発を否定しているわけではない。河川の技術においても、機械化が進み、コンクリートのプレキャスト化が進んで、工事のスピードアップとコスト・ダウンが図られている。ダムや橋梁なども建設業者の施工技術のめざましい進歩があったからこそ大規模建設も可能になった。水門や堰などの構造物もそうだ。現在の建設技術は建設業者の技術の賜物といっても過言ではない。
しかし、一方で伝統技術はほとんど消え去ってしまった。昔は堤防を作るとき人柱を立てたり、祭事をしたり、民衆の魂というものが堤防にこめられていた。ところが、現代の建設業者の建設技術はたしかに立派だが、いったんできあがれば作り放しで、堤防に対する愛情といったものがまったく感じられない。やや言い過ぎの感もあるが、実態はそれほど違ってはいないだろう。
そこで私が提起したいのは、公共財の管理をPFIでやれば、そのような問題が解決できるのではないかということだ。公共財管理の責任はいうまでもなく行政にある。しかし、陰の立て役者というか『後戸の神』は、水防団をはじめ、地域のNPOではないのか。私は、『公共財というのは土地の人びとが支えていく回路である』という『大畑原則』の理念を大前提とすべきであると思う。だとすれば、水防団なりNPOをどうやって作っていくか? それがいちばんの悩みなのだが、ここで地元の建設業者の出番となる。」
【真に棲みやすい場に回帰しようとする力】
第4章わが国のあるべき姿(かたち) 公共財管理と地域の人びと
「『立たせる力』と『立たせない力』。『光の技術』と『陰の技術』。公共財を土地の人びとが支える……その技術とはいうまでもなく『伝統技術』である。公共財を守る主役が地域だとすれば、とりわけ伝統技術を大事にしなければならない。これを大事にするということは、『立たせる力』や『光り輝く先端技術』に目を奪われることなく、『立たせない力』というものを信じ、『タマ』を信じ、『陰に埋もれている技術』にも目を向けることである。
この先あるべき新技術というのは、科学万能に頼る『立たせる力』によって食欲に開発される技術に対峠した、環境面からの充分なチェックと対策が講じられたものでなければならない。
『立たせる力』と『立たせない力』とのバランスが大事なのである。商業主義に対しては、安全面や環境面からの充分なチェックと対策が講ぜられるよう、地域の厳しい規制が不可欠となる。
すなわち『立たせない力』とは、『立たせる力』の行きすぎを是正する力である。科学技術の進歩にひたすら遇進するものに、ブレーキをかけるものである。
それは、『回帰する力』と言ってもいい。われわれ人類の進化のプロセスを顧みて、真に棲みやすい場に回帰しようとする力である。
伝統文化を懐かしみ、豊かな自然に回帰しようとする力である。形状記憶合金のように、宇宙の『タマ』がそうなさしめるのではないか。水が循環するように、この宇宙には循環する力、回帰する力がある。
私は、科学文明の行きすぎを是正する『立たせない力』が必ず働くことを信じて、伝統技術を大切にし、「大畑原則」に見られるような地域における知恵を大切にしていきたいと思っている。」
2 私が興味を持ち、学習を深めようと思ったこと
ア 「違いを認める文明」について
「違いを認める文明」は違いを認めながら共和する心が大切であるという意味です。ダーウィンの進化論(弱肉強食)の社会ではなく、今西錦司の棲み分け論が示す共生社会をイメージしていると思います。言葉が短いので浅薄な理解をしたり、誤解したりしないように注意します。
イ 「後戸の神」、「モノとの同盟」について
「後戸の神」、「モノとの同盟」は、興味が湧きます。それだけに、なんとなくその意味がわかるような気がするだけなので、現状では欲求不満状態です。「後戸の神」、「モノとの同盟」の説明がもう少しあればわかりやすいのですが。原典である中沢新一の著作物を読んでみたいと思います。劇場国家にっぽんの理解を深めるためには中沢新一の著作の理解が必要のように感じます。
とりあえず、「後戸の神」については中沢新一「精霊の王」を、「モノとの同盟」については中沢新一「緑の資本論」を手始めに読んでみたいと思います。
ウ 「縄文の声」、「縄文の響き」について
著者の足で稼いだ貴重な情報がとても新鮮で説得的です。神仏習合の具体的経過とその文化史的意味がよくわかります。それは、縄文時代の本質が、社会に脈々と引き継がれてきていることの理解でもあります。この本の結論は「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」ですが、その回帰原点である縄文時代の意義の理解を深めることが出来ます。
エ 「立たせない力」について
「空」の概念を補助線として活用して、ハイディガーの「立たせる力」から「立たせない力」を導き、その概念で文明のあり方を論じています。私は、この本の最も独創的なところであると感じました。最も魅力を感じました。ハイディガーの本を読んだことがないのですが「立たせる力」と「立たせない力」の文章は感覚的によく理解できます。
オ 「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」について
著者のこの訴え、決意がこの本の結論であると思います。この結論を読んで、この本の価値が大きなものであると感じました。日本のあるべき姿を考えていく上で基礎となる哲学・思想がここにあると感じました。
カ 公共財管理について
ここで著者の新技術論が「真に棲みやすい場に回帰しようとする力」の考えの下に展開されています。さらに公共財管理についての考えが具体化されています。
3 私が読書予定リストに入れた引用・参考図書
・河合隼雄「ナバホへの旅 たましいの風景」
・中沢新一「熊から王へ」
・中路正恒「古代東北と王権」
・岡野守也「唯識のすすめ」
・奥会津書房シリーズ「縄文の響き」など
・清水博「場の思想」
・清水博「生命を捉えなおす」
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