中沢新一著「緑の資本論」(集英社、2002)
テキスト「ジオパークについて」の「7森岡正博の『生命の哲学』」の後半で、贈与に関連してタマとモノの説明、あるいは「“ある”の哲学」が触れられています。
またテキスト著者の主著である「劇場国家にっぽん」では「モノとの同盟」が主要なキーワードになっています。「モノとの同盟」の文脈の中で贈与空間の復活を論じています。
しかし、「タマとモノ」、「モノとの同盟」について言葉面以上に理解が深まらないので、思い切って中沢新一「緑の資本論」収録論文である「モノとの同盟」と、併載されている論文を読むことにしました。
ここでは「緑の資本論」の紹介をします。
1 諸元
著者:中沢新一
書名:緑の資本論
発行:集英社
発行年月日:2002年5月10日
体裁:単行本(18.8×13.8×2.4cm)204ページ
ISBN-13:978-4087745764
2 目次
序文
圧倒的な非対称
緑の資本論
シュトックハウゼン事件
appendix モノとの同盟
3 「序文」抜粋
「九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れ落ちていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時に、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった。その鏡は無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。なんの歪みもなく、なんの曇りもなく、なんの希望も、そしてなんの絶望もなく、鏡は静かに、幻想の雲でできた世界の姿を、くっきりと浮かび上がらせてみせた。
その鏡の出現を見てしまってからは、思考の回転はもはやもとのままでいるわけにはいかなくなった。いままでの体制は総崩れ、これからはなにもかもがむきだしのリアルワールドで、思考されなければならない。なにかが口火を切ってしまったのだ。私はもう思考の主人ではいられなくなった。私が思考するのではなく、思考のほうが私を駆り立てて、ことばに向かわせるのである。こうして驚くほどの短期間に、三編の文章が書き上げられることになった。
『圧倒的な非対称』では、思考は一人のルソーとなって、国家の野蛮を告発しようとしている。
(中略)
イスラームに対する偏見や無知への憤りが、『緑の資本論』を書いている。
(中略)
『シュトックハウゼン事件』は、私自身の個人的体験に深い関わりをもっている。
(中略)
『モノとの同盟」という文章だけが、九月十一日以前の、比較的のどかな時間の中で書かれている。これをAppendixとしてこの本に収録したのは、生命過程と魔術の原理の間に共通する増殖性の問題が、貨幣の世界に移し替えられると、商品交換の先端部分で発生する資本の増殖作用に姿を変えていくありさまが、そこにはスケッチされているからで、『緑の資本論』の補強道具となることが期待されたわけである。 2002年3月8日」
4 私のメモ
この本では付録ですが、岩井先生の著書では「モノとの同盟」が重要なキーワードになっているので、まず「モノとの同盟」について読んでみたいと思います。
2001年9月11日の出来事に会い、思考が中沢新一を駆り立てたということです。その内容をこの本から理解したいと思います。同時に、2011年3月11日の出来事に会い、思考が中沢新一を駆り立てているに違いないと想像します。その内容もいつか知りたいところです。そして9月11日の時と比較してみたいと思います。
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