大護八郎「石神信仰」を読む1 カミと「もの」
現在、大護八郎の大著「石神信仰」を読んでいます。1000ページ近くありますので、一気に読みきることが出来ないので、面白いと思ったところがあったときにメモを書きます。
「第1章日本の神 第1節二つの神 1二つの神の存在の事実」では神を「水平移動の神と垂直移動の神」、「海からくる神天から降る神」、「天津神と国津神」、「高天ヶ原の神と出雲の神」、「日本神話の神の系統」、「身分の高い神・低い神」について論じています。
続く「2二つの神の存在理由」では「外来信仰の混在」、「民族の混合と各信仰の混在」、「狩猟時代の神と農耕時代の神」、「アニミズム時代と人格神時代」、「表層文化と基層文化」について論じています。
続く「3日本民族論」では「単一民族か複合民族か」、「日本民族論の移り」、「旧石器時代人」、「縄文時代人」、「弥生時代人」、「騎馬民族征服国家論」、「他の諸学からみた日本民族論」、「南北二系統論」について論じています。
以上の文章は大変興味がありますが、この著書の発行が1977年であり、既に35年近く前であることを考えると、学説紹介が主であるこの部分は後日別の最新情報で補うこととし、今回メモは作成しませんでした。
「第1章日本の神 第1節二つの神」の最後の項である「4神観念の変遷」では「神は進化する」、「民話の中の神」、「神話の中の神」、「祖霊信仰に帰一」が論じられています。
この部分は著者の最も言いたい部分の一つであり、私にとっても「もの」の意味が始めてよくわかった文章でもありますので、抜粋し、メモを作成しました。
【 】は引用者が作成
【カミと「もの」】
石神信仰(ページ80)
第1章 日本の神 第1節 二つの神 4 神観念の変遷 神話の中の神
(前略)
「これらの地方地方の、それぞれの生活に密着したカミが、やがて皇室を中心とする農業国として日本が統一されてきた記紀の頃には、農業神がしだいに最高神とされ、豊受大神が天照大神とともに至高神になっていったのである。それとともに『この国のひらけ初めの時から、神より一段低い地位にある精霊の階級に属する者をひっくるめてもの(物)と呼んで神に対立させた。精霊を屈服させるための語りをものがたり(物語)といい、精霊による災いをもののけ(物の化)などと用いていることに、その性格が伺われるとおり、群りはびこって騒ぎたてる連集であった。草木とともに石とてその仲間なのだが、神が憑り、あるいは祭壇となり、境を護るものであるので、その性格の向上を村人たちは 感じて、神としての待遇を古くから与えている。(13)』ことになったと考えられる。
ここにいうものは、昇華されたカミが考えられるに及んでものとして一段低い精霊とみられるにいたったこと、この草や石と同様であるが、精霊もやがては昇華されて山のカミや海のカミという抽象化されたものになり『常世のカミ=天つカミが古代の固有信仰の基本となるカミそのものだったのである。そのカミは居場所によって常世のカミ(海)、天つカミ(空)とも山のカミ、田のカミとも考えられた。地上に降り立って村国(大地)の守護霊とみられ、それは国つカミ、国霊ともよばれた、そのカミは祖先神=祖霊化された。また訪れるカミの季節によって正月神とも盆の祖霊とも観念された。こういう神が全国各地の村国ごとにそれぞれ人格化・祖先神化されて、おもいおもいの固有名詞をつけられたのである。……これらの無数の神々が、大和朝廷に村国より服従の誓いとして奉られたので、日本のカミは八百万のカミになるのは必定だった。(14)』といわれる常世の神は、ずっと昇華された時代の神であり、記紀の時代はその昇華が中央ではかなり進んだ時代であったのである。しかしその至高神となった伊勢神宮も、五世紀以降天皇勢力の伊勢地方進出にともなって天皇家と結びつき、その祖先神と合体されたものであることは、多くの学者の指摘するところである。」
(13)石上堅著「石の伝説」179p
(14)筑紫申真著「日本の神話」123p
アンダーライン部分は原文では傍点
上記引用文から、皇室を中心とする日本統一の過程で、精霊も昇華されて山のカミ、海のカミになり、常世のカミになっていったプロセスがあること。このプロセスの中で、残った精霊を神と対立する一段低い言葉として「もの」扱いしたことが、よく理解できました。
岩井國臣先生が強調される中沢新一の「モノとの同盟」の「モノ」の意味に近づいてきたと思います。
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