2011年5月8日日曜日

小林達雄著「縄文の思考」を読んで

            花見川堀割のフジ

 2011年5月4日の記事で、小林達雄著「縄文の思考」の概要を紹介しました。
 この本は、「まえがき」で縄文人の心、いわば哲学思想に接近を試みたものであると説明されています。そうした知識を自分に仕入れるために読みました。

 ここでは、この本を通読して、私が興味を持ち、あるいは参考になった知識・フレーズを要約、抜粋します。また、私がさらに学習を深めようと思った項目を抽出しました。さらに、引用図書や参考図書のうち、私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れたものをピックアップしました。

1私が興味を持ち、参考になった知識・フレーズ
【 】の小見出しは私が作成しました。

【人類文化における縄文文化に位置づけ】
2章縄文革命
1人類文化における第1段階
「人類史上における第1段階の文化が旧石器時代とその文化である。それ故、現代にいたる人類文化600万年におよぶ歴史の大部分が第1段階に属し、第2段階以降は大ざっぱにみれば、1万5000年そこそこということになる。」
2章縄文革命
2人類史第1段階としての縄文文化
「第1段階、旧石器文化、遊動的生活、第2段階、縄文文化、定住的ムラの生活」

【土器つくりレースの先陣を切る】
2章縄文革命
3縄文革命の背景
「土器発明の地域は、東アジアを最古とし、西アジアがこれに次ぎ、アメリカ大陸が悼尾を飾ることとなる。今後の新発見が加えられたとしても、おそらくこの順位の変動はないとみてよい。とにかく、世界の土器作りレースにおいて、東アジアが先陣を切り、そのなかでも日本列島はほとんど一番手にあったのだ。」

【縄文人の詩情の表現】
3章ヤキモノ世界の中の縄文土器
3器放れ
「かくして縄文デザインは、具体的な道具なのに使い易さに背馳する。容器デザインの普遍性、現代風に言えば機能デザインと対極にあることが判る。容器であれば、容器の機能を全うするに適った形態をとらねばならぬはずなのに、そうではなかった。機能デザインの精神に則って弥生土器を生み出した弥生デザインと対極に位置づけられる理由である。縄文デザインは、世界観を表現することを第一義とするのである。言うなれば、現代人が心情を吐露する詩あるいは画家がキャンパスに描く絵に相当するものとも例えることができる。だから、縄文土器は容器であって、かつ縄文人の詩情が表現されているものなのである。」

【煮炊きの効用】
4章煮炊き用土器の効果
「実際、農耕社会の弥生時代における弥生土器の量に肩を並べるほどであり、本格的な農耕をもたない社会としては世界のいかなる地域の土器保有例と較べても断然際立っている。それだけ土器の使用が盛んだったのだ。このことは、縄文人の食事は煮炊き料理が主流であった事実を良く物語っている。」
「人聞の消化器官が生理学的に受け入れない代物を火熱によって化学変化を誘発して消化可能にする作用は、さらに重要な分野に好影響をもたらした。つまり、渋みやアク抜きあるいは解毒作用にも絶大なる効果をもたらした。ドングリ類がやがて縄文人の主食の一つに格付けされ、食料事情が安定するのは、まさに土器による加熱処理のお蔭である。さらにキノコの多くには毒があるが、テングダケ、ツキヨダケなどの猛毒の一部を除けば、煮て、その湯をこぼせば全く安全とは言えないまでも、生命を脅かすほどのものではなくなる。」

【日常的行動圏、生活圏としてのハラ】
5章定住生活
ムラ空間の整備
「ハラは、単なるムラを取り囲む、漠然とした自然環境のひろがり、あるいはムラに居住する縄文人が目にする単なる景観ではない。定住的なムラ生活の日常的な行動圏、生活圏として自ずから限定された空間である。世界各地の自然民族の事例によれば、半径約5-10キロメートルの面積という見当である。ムラの定住生活以前の600万年以上の長きにわたる遊動的生活の広範な行動圏と比べれば、ごく狭く限定され、固定的である。いわばムラを出て、日帰りか、長びいてもせいぜい1、2泊でイエに帰ることができる程度ということになる。つまり、ハラはムラの周囲の、限定的な狭い空間で、しかも固定的であるが故に、ムラの住人との関係はより強く定着する。ハラこそは、活動エネルギー源としての食料庫であり、必要とする道具のさまざまな資材庫である。狭く限定されたハラの資源を効果的に使用するために、工夫を凝らし、知恵を働かせながら関係を深めてゆく。こうして多種多様な食料資源の開発を推進する「縄文姿勢」を可能として、食料事情を安定に導いた。幾度ともなく、ハラの中を動き回りながら、石鏃や石斧などの石器作り用の石材を発見したり、弓矢や石斧の柄や木製容器用の、より適当な樹種を選び出したりして、大いに効果を促進した。」

【炉の象徴性・聖性】
7章住居と居住空間
3炉の象徴性・聖性
「火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。」

【縄文祭壇に由来する常民の心】
7章住居と居住空間
3祭壇
「仏壇も神棚も、仏教あるいは神道への篤い信仰心だけに支えられたものではなかった。換言すれば、宗教としての仏教や神道には直接おかまいなしに仏壇や神棚を備え付けはじめた動機が人々には別にあったのだ。宗教意識が少しでもあると、他の宗教を邪教とみなすばかりか、積極的に排斥する動きに回り、ときには命かけた血腥いほどの衝突に至るのが悲劇的な常道というものである。しかるに、二つともに一つ屋根の下に共存できるほどの寛容さは、いずれにも絶対的宗教心が意識されていたからではないことを示している。それこそは縄文住居空間に登場した祭壇に由来するいかにも日本風土の民俗に根ざした常民の心なのである。いわゆる宗教の前提となる、人間の心に直接かかわる心ばえである。」

【乳幼児甕棺】
7章住居と居住空間
5埋甕
「出産時の後産=胎盤を収納したいわゆる胞衣壺とか、乳幼児甕棺なのではないかと、近年までの民俗例などから主張するのが金関丈夫をはじめ木下忠などであり、同調者も多い。」

【イヌに対する思い入れ】
10章縄文人と動物
1イヌ
「イヌに対する縄文人の思い入れは異常なほどである。単に狩猟犬としてだけでなく、人間同士の付き合いに限りなく近く、分け隔でなく、ほとんど対等の情愛を注いでいたことがわかる。死ぬと人並みに墓穴を掘り、ていねいに埋葬する。しかし、縄文人の末裔、弥生人にはもはやイヌを埋葬する習慣あるいは心情は途絶えている。」

【交易における気っぷの良さ】
12章交易の縄文流儀
1「気っぷ」の贈与
「縄文人同士の交易は、モノでモノを得るというのではなく、モノを与えて心を掴むことであった。一方的に気前の良さを見せつけることであった。気っぷの良さを押しつけるのである。」

【完成を先送りし続ける】
13章記念物の造営
4未完成を目指す縄文哲学
「記念物の造営が20世代あるいはそれ以上にわたって継続しているということは、とりも直さず、いつまで経っても工事が完了していなかったことにほかならない。それでも平気だったのは、記念物を完成させることに目的があったのではなく、未完成を続けるところにこそ意味があったとみなくてはならぬ。むしろ完成を回避して、未完成を先送りし続けることに縄文哲学の真意があったのである。未完成とは完成をあくまで追い求めることにほかならないのだ。」

【縄文文化に共通する左右】
14章縄文人の右と左
4縄文世界の右、左
「とくに松永和人(『左手のシンボリズム』)によると、「左」の習俗が神祭りにかかわり、そして葬制にかかわり、「聖(呪術・宗教的生活活動)」-「俗(世俗的生活活動)」/「左」-「右」の二項対置が、わが国の文化における基礎的な事実として知られる。そのような中に、従来の象徴的二元論に見る「浄」「不浄」/「右」「左」が、わが国の文化の一面にみられる、という指摘は重要である。そうした、左、右にかかわる観念、観念技術のいくつかは縄文文化とも共通するものであったり、あるいはその原点が縄文時代にまで遡る可能性を否定できない。」

【縄文以来の山の神が田の神に分派する】
15章縄文人、山を仰ぎ、山に登る
4山の神から田の神へ
「縄文人が何ぎ、ときには登ることもあった山は、眼に映る単なる景観の一部ではなく、縄文人によって発見された精霊の宿る特別な山であった。この想いは縄文時代の終幕とともに忘却の彼方に押しやられたのではなく、縄文人の心から弥生人の心にも継承された。民間信仰にみられる田の神は、春のはじめに山から降りてきて、田畑や周辺を守ると信じられている。ネリl・ナウマン(『山の神』)の優れた研究がある。山の神は田の神であり、季節によって名称とともに性格が交替すると解釈する。現象としてはそうかもしれないが、もともと縄文人が永らく意識の中に組みこんでいた精霊の宿る山、神のおわします山から新たに開始された農耕の庇護、育成のために勧請されたものとみられる。山の神と田の神の二神があって、単純な交替と解するのでは先後の関係があいまいになる。縄文時代以来の山の神が弥生時代以降農耕とともに二義的に田の神に分派したとみるべきと考える。」

【縄文文化とアイヌ文化と日本文化との三角関係】
15章縄文人、山を仰ぎ、山に登る
5アイヌの人々と山
「それに対して北海道の集団は、冷涼な気候がコメ作りを容易には許そうとはしなかったことを受けて、縄文文化さつもんの枠組みと内容をそのまま踏襲して続縄文文化から擦文文化、さらに文化変容を遂げながら、アイヌ文化へと続いたのである。つまり、日本文化の心とアイヌ文化もともに縄文文化の土台の上に形成され、結果として異なる道を歩みつつ、それぞれの独自性、主体性を確立するに至ったのだ。かくして、縄文文化とアイヌ文化と日本文化との三角関係においては、米作り文化とかかわりを持たなかったアイヌ文化は、米作り文化に裏打ちきれた日本文化との距離よりも縄文文化とのそれの方がはるかに近い理屈が理解できる。この観点からすれば、アイヌの人々の山に対する観念にも、縄文文化以来の思いの丈を引き継いでいる可能性が大いにあるとみてよい。とにかく、アイヌの人々の山に対する思い入れには並々ならぬものがある。山にかかわる名称だけでも、山頂、尾根、裾野、山腹、峠、枝山など区別して名付けしている。」

【縄文語の知の体系は自然との共存共生を通して構築された】
結びにかえて
「文化の中核にはコトバがある。日本的文化は大和コトバから象づくられてきた。さらに遡れば、縄文時代の縄文語(縄文日本語、縄文日本列島語)に行き着くのである。大野晋を代表とする一部の言語学者は、日本語につながる祖形は弥生時代に成立したのではないかと考えている。日本文化の遡源を弥生農耕文化に求める柳田国男と共通するものがある。弥生文化に先行する縄文文化については、その存在を視野に入れながらも、なかなかまともに扱おうとはしない。とるに足らない未開状態とでもみなしているがごとくである。もとより、縄文語は残っていない。その中にあって、小泉保による縄文語の痕跡を探る研究は注目される(『縄文語の発見』)。日本列島に縄文語が行き渡っていたのは紛れもない事実である。」
「縄文人こそは、縄文語に基づく史上稀有な博物学的知識の保持者であったのである。しかも、その知の体系たるや決して出来合いではなく、自然との共存共生の自らの実体験を通して構築されるものであって、何よりも自然と人間との不即不離の関係を象徴するのだ。」


2 私が興味を持ち、学習を深めようと思ったこと
ア 「土器の詩情の表現としての縄文土器」について
土器デザインから、あるいは遺跡から出土する地物から縄文人の詩情(心性)を知りたいと思います。アンテナを張って、関連するような書籍や各種情報を入手して読んでみたいと思いました。

イ 「定住空間としてのムラ」について
ムラとハラについてより具体的情報を知りたいと思います。著者の別の書籍「縄文人の世界」なども読んでみたいと思います。

ウ 交易における気っぷ
テキスト「ジオパークについて」で重要なキー概念の一つである「贈与経済」のことを小林達雄は「交易における気っぷのよさ」といっているのだと思いました。「贈与経済」に関する学習を深めてみたくなるきっかけになるフレーズです。

エ 完成を先送りし続ける
いつまでも未完成でいるプロジェクトとは、現代人にはない心性だと思います。ぜひ、「なぜ」そうした心性なのか、知りたいと思います。人が生きていく上での重要な知恵が隠されているような予感がします。

オ 縄文の山の神が田の神に分派する
この本を読むと、縄文時代の山の神が田の神に分派していくという発想を自然に受け入れることが出来ます。

カ 縄文文化とアイヌ文化と日本文化の三角関係
この本を読んで、縄文文化とアイヌ文化と日本文化の三角関係について知ることができました。これまで自分が使ってきた「アイヌ語由来の地名」などの表現ではなく、「縄文語由来の地名」などの表現に改めなくてはならないかもしれません。もっと自分の情報量を増やして3文化の関係を正確に捉えて、用語法を正確にしたいと思います。

キ 縄文語について
この本で最も関心を持ったのは、縄文語についてです。これまで、アイヌ語=縄文語程度にしか考えていなかったので、それを正す知識に飢えます。縄文語に関する研究が進めばその後に続く日本文化に理解が進むと考えます。本書に引用されている小泉保著「縄文語の発見」も目を通してみます。


3 私が興味を持ち自分の読書予定リストに入れた引用・参考図書
・小林達雄「縄文人の世界」
・小泉保「縄文語の発見」

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