2011年4月11日月曜日

岩井國臣著「桃源雲情」紹介

            岩井國臣著「桃源雲情」(新公論社、1994)

 岩井國臣先生の最初の主著である「桃源雲情」を紹介します。
 紹介は1諸元、2目次、3「序にかえて」抜粋により行います。この図書の概要と意気込みがわかると思います。
 なお、4私のメモを最後につけました。

1諸元
著者:岩井國臣
書名:桃源雲情-地域づくりの哲学と実践
発行:新公論社
発行年月日:1994年12月25日
体裁:単行本(18.4×13.6×2.4cm)324ページ
ISBN-10: 4915156087

2目次
序にかえて
中国地方との出会い
草ぐさのおもい
交流活充運動の理念と提唱
人と地域と国を繋ぐ
饒舌の平和から明るい平和都市へ
三次・庄原の明日を素描
伝承が埋もる比婆を照射
総都市化に健全な未来はない
清麻呂復活にかける町づくり
世々日本文化を受継いだ百姓衆
おしゃべりコンチェルト
地域づくりの哲学とは何か
あとがき

3「序にかえて」抜粋
岩井先生の、あるべきコスモス(文明の原理)に対する実践からのアプローチに関する部分と「この小著を世に問うてみようと思いたった動機」に関する部分を抜粋しました。

序にかえて
 カオスからコスモスへ
(3)実践からのアプローチ
 私は、川づくり、地域づくり、国づくりに携わる一介の土木技術者である。しかし、川づくり、地域づくり、国づくりに携わっていて痛感することは、もはや今までの延長ではやっていけないということだ。これからあるべき文明の原理(コスモス)とは何か、そういったものが判らないとこのようなカオスの時代をやっていけないのではないか、自分の仕事を通じてそんなことを強く感じている。個人はともかく、国としてはネオ・コスモス(新秩序)が必要だ。外交もしかり、経済もしかり、政治もしかり、国づくりもしかり、地域づくり、川づくりも然りだと思う。
 私がつくづく実感するのは、わが国の哲学者が怠けているように思えてならないことだ。国づくり、地域づくりの方向が見えない。ネオ・コスモスがおぼろげにも見えて来ないのだ。これからあるべきコスモスを見いだす、それが哲学者の使命なのに、である。
 わが国も今は新たなカオスの時代。世界のカオスを見て、それからわが国のコスモスを考える。私には直感でしか考えられないが、国づくり、地域づくり、川づくりの立場からそれを考え、実践している。これは当然のことと思うが、これからあるべきコスモスというものは、国づくり、地域づくり、川づくりにも当てはまるものでなければならない。逆に、これからあるべきコスモスというものを考えていくとすれば、私などが考えている望ましい国づくりのあり方、地域づくりのあり方、川づくりのあり方をも包含したものでなければならないだろう。ところがこれからあるべきコスモス(文明の原理・秩序)が明らかでない。哲学者が怠けているからだ。だとすれば、当面は、政治、経済、行政それぞれの立場、これからあるべきコスモス(文明の原理)を直感にもとづいて感得し、それによって政治、経済、行政のあり方を考えるしか方策がないではないか。所詮、我々は直感でしか物事はできないのだが。

(4)遥かなる想い
 先に述べたような社会の著しい混迷状態(カオス)に落ちいったとき、われわれの先達は、紀元前六世紀ごろの釈迦、孔子、ソクラテス、それに第二イザヤ(キリスト)を加え、世に言う四聖人を引き合いにして、それぞれの思想、哲理を指導原理に仰いだ。そしてまた、われわれをとりまく事物の価値判断が混乱をきたすいわゆる過渡期といった時代が到来すると、いつも原点に立ち帰っての「自然観」がテーマとなって浮上していた。
 いま心静めて「汝自身を知れ」と言ったソクラテスの太古に想いをめぐらそう。というのは現在の西欧社会では自然はあくまで征服すべきものとするキリスト教義に従う普遍的な認識があると思うが、ギリシャ文明初期には、なお、万物は神々に満ちている(タレス)、そこかしこに神々が住む(ラクレイトス)といった自然観があって、人間も神々と一緒に自然の中に内在していたからである。なお、メソポタミアから東遷したインダス文明、あるいは黄河文明にもすでに自然との共生思想が培われていたのはいうまでもない。
 ところで、「神々の流竄」「水底の歌」「隠された十字架」などで名高い梅原猛先生は元来、哲学者である。私の尊敬する偉大な哲学者である。だが、先生は梅原史学、梅原日本学あるいは演出家梅原猛といった幅広い分野で活躍しておられるので、とかく哲学者であることを忘れさせ、そのことがまた梅原信者を増やす結果にもなっている。私としては、やはり哲学者としての梅原猛先生を思い出して欲しいのである。この梅原哲学の一端に触れるべく、やや長くなるが「森の思想」から引用してみよう。
 「近代文明は自然科学と巨大な技術力を生み出した。現代は、文明が森を求めて旅するという歴史はこれ以上は続けられない。古代文明からギリシャ文明に移り、ローマ、北ヨーロッパ、そして新大陸へと文明は森を求めて旅をした。まだ森の残存するアメリカや日本に文明は栄えたけれど、森を求める文明の旅は今後はできない。しかし交通網の発達は遠い地球の果ての森まで破壊している。それにこの文明の破壊力は、かっての農業文明の比ではない。しかもその力はますます強くなっている。これが地球の生態系のバランスを狂わせている。それがいま叫ばれている『地球、環境の破壊』である。」
 古代文明はチグリス・ユーフラテス両河、ナイル河、インダス河、黄河の四大河畔に生まれたという従来からの「河」に対して「森」を置かれたのは「山に森がないと文明は存在しない」というギリシャ文明の興亡にいささか係わるようだ。さらに先生は、「共生と循環」という伝統的な思想を文明の中に持っている日本人が、あえて、人類をして破滅の道を免れしめる理論体系をつくりだす、そういう試みをしなくてはならないのではないか……と強調されるのである。
 大袈裟に言えば、この小著を世に問うてみようと思いたった動機は、この日本の自負と責務を説かれた刺激的で魅力的な先生の言葉である。「共生と循環」の思想がこれからあるべき文明の原理(コスモス)を創り出すのではないかと直感しながら……。


4私のメモ
 この「桃源雲情」は岩井國臣先生の地域づくりの哲学の出発点とも言える図書である。この図書を再読することで、テキスト「ジオパークについて」の学習の基礎固めができると思う。
一般向け文章なども含む、地域づくり関係の著作物を集成した図書である。哲学的な中身は濃いが、読みやすいので、再読は難しくないと考える。

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