2013年5月6日月曜日

船越に関する興味深い論文に接する


船越に関する抜書きをしながらWEBで検索していたら、興味を刺激される論文に接しました。
その論文は次の2編です。
船越」古川清久、古田史学会報第68号、2005.06.01
船越(補稿)」古川清久、古田史学会報第70号、2005.10.07

その紹介と感想を述べます。

1 「船越」古川清久、古田史学会報第68号、2005.06.01
論文「船越」古川清久は次の構成になっています。
・船越という地名
・九州の船越
・対馬 小船越と阿麻氏*留神社
(氏*は、氏の下に一。JIS第三水準、ユニコード6C10
・『肥前国風土記』『延喜式』に見る高来郡駅と船越
・諫早の船越、小船越

「船越という地名」では全国の船越地名を調べた結果を概観するとともに、その意義を検討しています。参考になるので、次に引用させていただきます。
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船越という地名があります。“フナコシ”とも“フナゴエ”とも呼ばれています。決して珍しいものではなく、海岸部を中心に漁撈民が住みついたと思える地域に分布しているようです。
 遠くは八郎潟干拓で有名な秋田県男鹿半島の船越(南秋田郡天王町天王船越)、岩手県陸中海岸船越半島の船越(岩手県下閉伊郡山田町船越)、岩手船越という駅もあります。また、伊勢志摩の大王崎に近い英虞湾の船越(三重県志摩市大王町船越)、さらに日本海は隠岐の島の船越(島根県隠岐郡西ノ島町大字美田)、四国の宿毛湾に臨む愛南町の船越(愛媛県南宇和郡愛南町船越)、・・・・・・など。
 インターネットで検索したところ、北から青森、岩手、宮城、秋田、福島、栃木、埼玉、千葉、神奈川、新潟、岐阜、静岡、三重、大阪、兵庫、鳥取、広島、
山口、愛媛、福岡、長崎、沖縄の各県に単、複数あり、県単位ではほぼ半数の二三県に存在が確認できました(マピオン)。もちろんこれは極めて荒い現行の字単位の検索であり、木目細かく調べれば、まだまだ多くの船越地名を拾うことができるでしょう。
 それほど目だった傾向は見出せませんが、九州に関しては、鹿児島、宮崎、熊本、佐賀、大分にはなく、一応“南九州には存在しないのではないか”とまでは言えそうです。
 勝手な思い込みながら、海人(士)族の移動を示しているのではないかと考えています。この点から考えると、大分県南部や熊本県の八代あたりにあってもよさそうなのですが、ちょっと残念な思いがします。大分にはたしか海士(海人)部があったはずですし(現在も南、北海士郡があります)、かつては海賊の拠点でもあったのですから。もちろん地名の意味は半島の付け根で、廻送距離を大幅に軽減するために船を担いだり曳いたり、古くはコロによって、後には台車などに乗せて陸上を移動していたことを今にとどめる痕跡地名であり、踏み込んで言えば普通名詞に近いものとも言えそうです。
 ここで、一応お断りしておきます。“佐賀にはない”としましたが、日本三大稲荷と言われる鹿島市の祐徳稲荷神社南側の尾根筋に「鮒越(ふなごえ)」という地名があります。地形から考えてこれはここで言う船越地名ではないと思います。また、表記が「船越」であっても鳥取県西伯郡伯耆町の船越のように本当の山奥にあるものもありますので、ここで“船越”が行なわれたわけではありません。あくまでも全国の船越という地名の中には“船越”が行なわれていたものがかなりあるのではないかというほどの意味であることをご理解下さい。また、山奥にあっても、海岸部の船越地名が移住などによって持ち込まれたものがありますので、地名の考察とは非常に難しいものです。
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「九州の船越」以降の章では九州の船越について絞った検討をしていて、特に対馬と諫早の船越について詳述しています。船越が存在していたことを実証する立場からのとても興味深い検討がなされえいます。その中で船越地名分布と山車の分布が重なることからその関連に言及していますが、私にとっては刺激の強い論考ですので、その部分について引用させていただきます。
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非常に大雑把な話をすれば、全国の船越地名の分布と、祭りで山車(ダンジリ、ヤマ)を使う地域がかなり重なることから、もしかしたら、祭りの山車は、車の付いた台車で“船越”を行なっていた時代からの伝承ではないかとまで想像の冒険をしてしまいます。
直接には長崎(長崎市)に船越地名は見出せませんが、ここの"精霊流し"もそのなごりのように思えてくるのです(長崎の精霊船は舟形の山車であり底に車が付いており道路を曳き回しますね)。
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祭の山車が「台車に乗せた舟」であるという指摘は大変刺激的で興味を掻き立てるものです。

佐原の山車

秩父の山車

古代における生活活動形態としての船越(舟の陸行)が、それが失われた後も、民俗として現代にまで伝わってきているという指摘です。
花見川流域が地峡であり、船越があったに違いないという考えを持っている私にとっては、検討の一つの糸口の近くまできたという期待感を持ちました。地形地質や考古学的資料のみならず、花見川流域の地名を仔細に調べ、民俗というジャンルから情報を引き出せば意外な事実がわかるかもしれないという期待感です。

2「船越(補稿)」古川清久、古田史学会報第70号、2005.10.07
論文「船越(補稿)」古川清久は次の構成になっています。
・はじめに
・船越は実在した
・船越の新たな展開と収束

この論文では、対馬の船越を実見して船越の実在について確信をもったことと、死者を葬地に送るために、舟に乗せて運んだこと、その場合水上を航行するだけではなく、陸上を運んだことについても述べています。

これら二つの論文に興味を刺激されて、全国の船越地名をさらに調べてみたいと思います。

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