抜書き5「船越」(島の人生 柳田國男 昭和26年)
「此は人の力ではあるまいが、長門の萩の東北に笠山といふ半島がある。昔は勿論笠島であったのであらう。僅なる平沙で主陸と接続してをつて、其地点を船越浜と言ひ内外二面の湾入部に嫁泣、夕凪の二つの小港を作って居る。船越といふ地名は諸国の海辺によくある地名で、大抵島を主陸に結び付けた頸部である。その最も著しい例は志摩国の御座岬の根の所に船越、つまり岬端を回って漕巡る労力と時間とを省く為に、船頭を多くして船を陸へ上せるのである。三河の伊良湖岬の小山とチョッポリ山との間にも船越といふ砂丘がある。大洋に面した海岸から伊勢海の方へ船を越すのである。此所も以前は島であった。」(3港と島)
山口県萩市笠山の船越
グーグルマップによる
三重県志摩市船越
グーグルマップによる
愛知県田原市の船越
グーグルマップによる
柳田國男が滞在したことのある場所の「船越」の例を説明しています。こうした事例を次々に見ると、地名として残るかどうかということは別にして、舟を陸路運ぶことにより労力を節約するという方法は、古くは極めて一般的な活動であったことが判ります。
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