2011年7月18日月曜日

中沢新一著「熊から王へ」を読んで

            中沢新一著「熊から王へ」(講談社、2002)

 中沢新一のカイエ・ソバージュというシリーズの2冊目「熊から王へ」を「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という視点から読んでみます。

1 諸元
著者:中沢新一
書名:熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ
発行:講談社
発行年:2002年6月10日
体裁:単行本(18.7×12.5×1.6cm)244ページ
ISBN 4-06-258239-2


2 目次
はじめに
序 章 ニューヨークからベーリング海峡へ
第一章 失われた対称性を求めて
第二章 原初、神は熊であった
第三章 「対称性の人類学」入門
第四章 海岸の決闘
第五章 王にならなかった首長
第六章 環太平洋の神話学へⅠ
第七章 環太平洋の神話学へⅡ
第八章 「人食い」としての王
終 章 「野生の思考」としての仏教
補 論 熊の主題をめぐる変奏曲
索 引

3 「はじめに」抜粋
「ニ冊目のカイエ・ソパージュでは、『国家』の誕生のことが話題になる。人類の脳のニューロン組織に決定的な飛躍がおこり、いまの現生人類(ホモサピエンス・サピエンス)の『心』が生まれたのが、後期旧石器時代のことであったとすると、それから二万年以上もの間は、そのニューロン組織を使って、神話的思考が発達していったことが考えられる。その頃は私たち現生人類の『心』では、二元性(binary)にもとづく思考がおこなわれ、ものごとは「対称性」を実現すベく細心な調整をほどこされていた。
 そこにはまだ『国家』はない。それが出現するのは、この対称性を覆すべくして人間の意識におこった変化をきっかけにしている。現生人類の脳のニューロン組織は、そのときにはもう完成してしまっているから、このときおこる変化は、生物的進化の要素はまったく含まない。脳の構造もまったく同じ、能力にも変化はない。しかし、その内部で『力の配置』の様式が、決定的な変化を起こすのである。
 そのとき、世界に対称性をつくりだそうとしてきた『心』の働きが、急転回を起こして、それまでの首長のかわりには王が出現し、共同体の上に国家というものが生まれることになった。それと同時に、人間と動物との関係、『文化』と『自然』の関係にも、大きな変化が発生して、人間の世界はいまあるような姿へと、急速な変貌をはじめたのだった。
 おりしも世間では、『文明』と『野蛮』の対立をめぐって、さまざまな議論が戦わされているが、このような概念の使用法そのものに、この本は異議を唱えようとしている。話題に登場するのが、熊や山羊や鮭やシャチのことだからといって、私が現実への『不参加』をきめこんでいるなどと、誤解しないでいただきたい。ただ少しばかり想像力を働かせさえすれば、毎回の講義が、リアルタイムで進行中の歴史との、張りつめた緊張関係を保ちながら進められていることが、おわかりいただけると思う。

4 感想 その1
●野蛮について
要約
・9.11は富配分の極端な非対称による。テロも、報復も野蛮。
・狂牛病や口蹄疫罹患動物の悲劇は現代社会の野蛮だ。狩猟社会では動物はこのようには扱われてこなかった。
・野蛮は現代社会に内部に組み込まれている。
・「このような状況からの脱出の糸口を探っていくためには、私たちの世界の内部にどのような道筋で『野蛮』がセットされるようになったのかが、深いレベルで理解されなければなりません。神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を越えて、じつに今日的な意味をもっていると、私は考えるのです。」(16p)
感想
・中沢新一の問題意識は、9.11や狂牛病問題が社会に内蔵されている野蛮に起因するもので、そうした状況脱出の糸口をみつけようとしていることと、神話について考えることが結びついているとしています。

●対称性知性について
要約
・「しかし人間が非対称の非を悟り、人間と動物との聞に対称性を回復していく努力をおこなうときにだけ、世界にはふたたび交通と流動が取り戻されるだろう。このように語る知性ははたして無力なのだろうか。それとも、それを現代に鍛え上げていくことの中から、世界を覆う圧倒的な非対称を内側から解体していく知恵が生まれるのだろうか。いずれにせよ、狂牛病とテロが、対称性の知性をもういちど私たちの世界に呼び覚まそうとしていることだけは、たしかである(「圧倒的な非対称」、『緑の資本論』集英社、2002年)。」(218p)
・「この講義は、そこで立てられた問いに、一つの解答を与えようとしたのでした。対称性の知性を鍛え上げていくことの中から生まれた仏教は、巨大国家つくりだす圧倒的な非対称の状況に拮抗して、世界を変えていく力を発揮してみせたことも、かつてはあったのですから、現代の私たちがそれに勇気を得て、新しい思想の試みに出かけていくことも可能なのだというメッセージを、この講義は伝えようとしました。」(219p)
感想
・もう一度対称性の知性を呼び覚まして世界を変えていくという哲学的メッセージを中沢新一が発していることをこの書で確認しました。
・私の問題意識「古代社会において人類が開発した思考方法が、現代社会改善のために、再発見・再活用する意義があるのか?」という問に中沢新一が「その通り」と答えたことになります。
・ならば、私の次の問題意識は
1対称性知性回復の道筋は?具体的方法は?対称性知性の中身は?など対称性知性回復の具体化
2その対称性知性を使った現代社会改善の道筋、方法
などに移ります。

5 感想その2
●宮沢賢治「氷河鼠の毛皮」の話は対称性知性を考える上でとても上等な例示であると考えました。
●山羊の神話、熊の神話、シャチの神話、魚の神話など興味深くよみました。対称性の意味が良く理解できました。
●闘牛が旧石器時代の人の活動に起源を有するかもしれないという説明には、虚をつかれたような新鮮さを感じました。
●首長、シャーマン、将軍、王の力の源泉が良くわかりました。ジェロニモの例で国家のない社会の指導者についてよく判りました。
●特に、首長の3つの特性(平和、気前よさ、歌い踊る)が政治の根源をしめしているという論は、その通りと手を打ちました。
●折口信夫の「ふゆ」、花祭、アザラシ結社「ハマツァ」儀礼、「人食い」などの情報を一つの文脈で捉えることができることは痛快です。中沢新一の文章の雄大さです。
●スサノオ神話で説く国家の誕生はわかりやすいものでした。
●文明=野蛮の発生(非対称の発生)を基盤に国家が発生しているから、国家が野蛮を撲滅できないと中沢新一は話しています。アナーキズムにまで論を発展させています。「それはそうだけれども、そこまで掘下げるのならば、そのような論にこれからついていけるのかという気持ちになります。」
●このような心配を払拭するためにであるかのように、「野生の思考」としての仏教を最後に論じ、国家がある社会の中で仏教が「国家というものが誕生して以来押されっぱなしで、すっかりぱっとしないものになっていた、国家を持たない対称性社会の重要な構成原理のいくつかが、文明的に洗練されたかたちにカムフラージュされて、堂々と復活を果たしている様子を、すでに見届けてきました。」(215p)と述べています。
●仏教についての基礎知識が不足する私にとって、仏教が対称性社会復活の起死回生策であるのかどうか、確信は全くありません。とりあえず、中沢新一がそう述べているとだけ理解しておきます。

0 件のコメント: