2011年6月19日日曜日

中沢新一「モノとの同盟」に関してもやもやすること


 岩井國臣先生のテキスト「ジオパークについて」の学習をはじめて、その学習の一環として「モノとの同盟」に興味が集中しました。中沢新一と折口信夫も少しだけかじってみました。

 そこに書かれている内容は私の知識欲を満たしてくれるものであります。古代人の思考様式とそれに関連する諸知識は私の他の活動(地域の歴史や特徴の把握)にも大いに役立つものです。

 一方、次のような問題意識がだんだんと大きくなっています。もやもやしていて明解な考えにいつまでもならないので、とりあえず、そのままメモして記録しておくことにします。

1 中沢新一「モノとの同盟」の提案原理はどこにあるのか
 中沢新一「モノとの同盟」では、事例として、現代社会における「生命現象の物質還元」や「資本主義が贈与の空間を消滅させ、自ら価値増殖をおこなう」点などを挙げて、現代文明の危険を察知し、その回避の哲学として「モノとの同盟」(狩猟社会の思考の復活)を提起しています。

 狩猟社会の思考が現代文明の危険の素をつくった思考と異なることはよくわかります。
狩猟社会の思考が現代から見ると自然と調和した思考であり、自然に対して「信」や「礼」のあるものであることもよくわかります。
その思考で世界をつくることができればとても魅力的です。

 しかし、だからといって、狩猟社会の思考方法の復活を現代社会に無条件に復活適用させるという発想はありえません。狩猟社会の思考は役割を終えて、その後の農業社会、工業社会、情報社会の思考に取って代わられてきているわけです。既に一度陳腐化して社会の最前線から退いた思考です。その思考の復活適用に当たって、なんらかの原理的説明が必須です。情報社会のあり方の中でその提案が説明される必要があると思います。

2 現代文明の危機意識
 現代文明に対する現状認識(危機意識)の深さによって「モノとの同盟」の理解が異なることは想像できることです。

 現代文明にさしたる危機を感じなければ、魔術世界の思考復活などありえません。
 迫り来る地球規模での飢餓を想定するような文明危機意識があれば、狩猟社会の思考を取り入れた新しい人類の哲学が必要になるかもしれません。

 東日本大震災を契機にして、震災だけでなく、地球規模での文明的危険についても考える必要があります。

3 情報社会のあり方
 2と関連しますが、工業技術に替わって情報技術が人類社会全体を変革しつつある現在、その人類社会変革に必要な新しい哲学が求められているのだと思います。その新しい哲学がどのようなものであるか。情報社会が必要とする新しい哲学の中で「モノとの同盟」がどのような座席を得るのか、興味があります。

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