2013年6月12日水曜日

地名「船越」に関する鏡味完二の語源説 1

ブログ「ジオパークを学ぶ」を再開するためのテーマとして地名「船越」を取り上げ、いくつか記事を書いてきました。情報もいろいろ集まり、面白くなってきたと思っていました。ところが、地名学の大御所である鏡味完二(注)によって、世に流布している見立てとだいぶ異なる検討が行われていることを知りました。

鏡味完二の「船越」語源説(「船越」≠曳舟説)はなぜか、現在ほとんど知られていないと感じます。

しかし、私にはかなり説得力があり、到底無視できません。
これまでの私の見立てを大幅に修正せざるを得ない状況に追い込まれつつあります。

とりあえず、鏡味完二の語源説を年代を追って紹介します。鏡味完二の語源説紹介の後、その検討と感想を述べたいと思います。

注)鏡味完二:戦前から戦後にかけて活動した日本を代表する地名学者の一人。(1909-1963)。「地名学」(日本地名学研究所)、「日本地名学 科学編」(日本地名学研究所)、「日本地名学 地図編」(日本地名学研究所)など著書多数。

1 鏡味完二の1942年の「船越」検討(「船越」=曳舟説)
まず、鏡味完二は1942年の論文「海岸の地名 船越、福良等の分布」(地理学評論第18巻、第5号、399-425)で「船越」地名を検討し、吉田東伍の地名辞書等を根拠に「船越」=曳舟説を展開しています。
これまで私が信じてきた説であり、現在も一般に信じられている説と同じです。
この論文だけを見つけて来たならば、「船越」に関する情報が増えたと無邪気に喜んでいたと思います。このブログの記事作成ももっと素早く沢山書いていたと思います。

次に、この論文(「船越」=曳舟説)を画像で引用します。
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鏡味完二(1942):「海岸の地名 船越、福良等の分布」、地理学評論第18巻、第5号、413-416
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引用論文の第21表に24の船越地名をリストアップしており、そのうち6地名には*印をつけて、「船越地形のないもの」としています。
追って紹介する後日の鏡味完二論文(「船越」≠曳舟説)の伏線となる情報です。

なお、類似地名として堀越や満越をあげ、(百貨店名称の)三越が満潮を利用して初めて交通できた事に関連するかもしれないと述べているところは興味をそそられます。

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参考情報

この記事では戦中学術論文を引用しましたが、私は、日本の主要な科学技術論文が明治期以降ほとんど全てWEBで閲覧できることをブログ活動の中で知り、重宝に利用しています。

J-STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)(独立行政法人科学技術振興機構)

このサイトを利用することによって、いちいち国会図書館等に足を運ぶ手間が減少しました。
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つづく

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